Nj句

July 0772008

 花火尽き背後に戻る背後霊

                           加藤静夫

える句だ。霊界にはからきし不案内だが、ネットで拾い読みしたところでは、背後霊は守護霊の子分みたいな位置づけらしい。どんな人にも当人を守る守護霊一体がついているのだが、守護霊一体だけでは本人の活動範囲全般にわたって効果的に守護することは難しいので、守護霊を補佐するような形で背後霊がついている。背後霊は二、三体いるのが普通で、たいていは先祖の誰かの霊なのだそうだ。この句では、それがあろうことか花火見物(手花火をやっているのかもしれないが、同じことだ)に来ている当人をさしおいて、背後から前面に出て見ほれてしまい、打ち上げが終わったところであわてて所定の位置である背後に戻って行ったと言うのである。背後霊は神ではないので、こんなこともやりかねない。花火に夢中になっている間に財布をすられるなんぞは、たいてい背後霊がこんなふうに持ち場を離れたせいなのだろう。しかし背後霊は先祖の誰かのことが多いのだから、あまり文句を言うわけにもいかないし……。作者は、ユーモア感覚を詠みこむのが巧みな人だ。こういう句を読むと、俳句にはもっともっと笑いの要素やセンスが取り込まれるべきだと思う。蛇足ながら、自分の背後霊を具体的に教えてくれるサイトがある。むろん先祖の名が出てくるのではないけれど、興味のある方はここからどうぞ。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)


July 1472008

 向日葵に路面電車の月日かな

                           藤城一江

年も、向日葵が勢いよく咲く季節になった。向日葵に限らず夾竹桃も百日紅なども、夏の花はみな元気だ。そんな向日葵が咲きそろった舗道を、路面電車が通過していく。この電車、相当に古びているのだろう。レール音も、心なしか喘いでいるように聞こえる。この街に住んで長い作者は、その昔、まだ電車が向日葵を睥睨するようにして、颯爽と走っていた時代を知っているのだ。それが年を経るうちに、いつしか立場は逆転して、いまや路面電車に精気はほとんど感じられない。かたや向日葵は、毎夏同じように精気にあふれているのだから、いやでも電車の老朽化を認めないわけにはいかなくなってきた。すなわち、それは作者自身の老齢化の自己認知にもつながっているのであり、なんでもないようなありふれた光景にも、このように感応する人は感応しているのである。路面電車といえば、広島市内には、かつての各地の路面電車の車両が当時そのままの姿で走っている。以前同市を訪れた際に、あまりの懐かしさに行く宛もないまま、昔の京都スタイルの市電に乗ってしまったのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 2172008

 暑うしてありありものの見ゆる日ぞ

                           今井 勲

者は私と同年。昨夏、肝臓ガンで亡くなられたという。句は亡くなる前年の作で、何度も入退院を繰り返されていたが、この頃は比較的お元気だったようだ。が、やはりこの冴え方からすると、病者の句と言うべきか。暑くてたまらない日だと、たいていの人は、むろん私も思考が止まらないまでも、どこかで停止状態に近くなる。要するに、ぼおっとなってしまう。でも作者は逆に、頭が冴えきってきたと言うのである。「見ゆる日ぞ」とあるから、暑い日にはいつも明晰になるというわけではなく、どういうわけかこの日に限ってそうなのだった。ああ、そうか。そういうことだったのか。と、恐ろしいほどにいろいろなことが一挙にわかってきた。死の直前の句に「存命の髪膚つめたき真夏空」があり、これまた真夏のなかの冷徹なまでの物言いが凄い。「髪膚(はっぷ)」は髪の毛と皮膚のこと。人は自分に正直になればなるほど、頭でものごとを理解するのではなく、まずは身体やその条件を通じてそれを果たすのではあるまいか。病者の句と言ったのはその意味においてだが、この透徹した眼力を獲得したときに、人は死に行く定めであるのだとすれば、人生というものはあまりに哀しすぎる。しかし、たぶんこれがリアルな筋道なのだろうと、私にはわかるような気がしてきた。こういうことは、誰にでも起きる。遺句集『天樂』(2008・非売)所収。(清水哲男)


July 2872008

 冷奴大和島根は箸の国

                           渡辺恭子

べ物の句は、とにかく美味しそうでなければならない。美味しいという感覚は、むろん食品そのものの味にまず関わるが、それだけではなくて、それを食するときの「お膳立て」いっさいに関わってくる。冷奴などは料理とも言えない素朴な食べ物であるが、なるほどこれは箸で食べるから美味いのであって、スプーンでだったら美味さも半減してしまうだろう。句の「大和島根」は島根県のことではなくて、大和(日本)の島々、つまり日本の国のことだ。戦前戦中に流行した大八洲(おおやしま)などとという呼称に似ている。したがっていささか旧弊な神国日本の影を引く言葉ではあるけれど、この句はたかが冷奴に神国の伝統をあらためて持ち出し、「神の国」ならぬ「箸の国」とずらせてみせたことで、現代の句として面白い味を出している。猛暑のなかの食卓につつましくのせられた一鉢の冷奴。この句を思い出して箸をつければ、他のおかずもいろいろに美味さが違ってくるかもしれない。今夜の一品はだんぜん冷奴に決めました。たまには揚句のように、冷奴も気合いを入れて食べてみなければ。月刊「俳句」(2008年8月号)所載。(清水哲男)


August 0482008

 まっすぐにきて炎天の鯨幕

                           大島得志

夏の葬儀は辛い。もう四十年も昔のことになるが、仕事仲間のカメラマンが交通事故で死んだ。ついその前日に、仕事の段取りを打ち合わせたばかりだった。そのときの彼はすこぶる上機嫌で、それもそのはず、長い間欲しかった車を中古ではあったが、ようやく手に入れたと言い、それに乗って撮影に行ってくからとはりきっていた。カメラマンは荷物が多いので、たしかに車はないよりもあったほうがよいだろう。そして、別れてから二十四時間経ったか経たないかのうちに訃報が入り、思わず電話をくれた相手に「ウソだろ」と問い返していた。しかし、それは現実だった。センターオーバーで他の車と衝突し、即死状態だったという。しかも運転席の彼の横に、彼はお母さんを乗せていた。親孝行も兼ねてのドライブだったのだ。幸い、母堂は一命をとりとめたということだったが、その後のことは知らない。三十歳にも満たない短い生涯だった。葬儀はめちゃくちゃに暑い日で、小さな都営住宅の自宅で行われたこともあり、私は黒い服のままほとんど炎天の道端に立ち尽くして出棺まで見送った。汗という汗はすべて出尽くしてしまい、襲ってくる眩暈に耐えての参列だった。恋人らしき若い女性が泣いていた様子以外、何も覚えていないのは、そんな猛暑のせいである。そういうこともあったので、この句は実感としてよくわかる。遠慮も逡巡もなく、葬儀の場に「まっすぐにきて鯨幕」に向かうとは、あまりの暑さに「鯨幕」の陰に救いを求めたいという心理が優先しての措辞だ。暑い日でなければ、おもむろに鯨幕の向こうに入っていくのだが、そんなに悠長に構えてはいられなかった作者の心情がよく出ている。『現代俳句歳時記・夏』(学習研究社・2004)所載。(清水哲男)


August 1182008

 家はみな杖にしら髪の墓参

                           松尾芭蕉

参はなにも盆に限ったことではないが、俳句では盆が供養月であることから秋の季語としてきた。芭蕉の死の年、元禄七年(1694年)の作である。句の情景は説明するまでもなかろうが、作者にしてみれば、一種愕然たる思いの果ての心情吐露と言ってよいだろう。芭蕉には兄と姉がおり、三人の妹がいた。が、兄の半左衛門には子がなくて妹を養女にしていたのだし、芭蕉にもなく、あとの姉妹の子も早逝したりして、このときの松尾家には若者はいなかったと思われる。残されて墓参に参加しているのは、年老いた兄弟姉妹だけである。それぞれが齢を重ねているのは当たり前の話だから、あらためてびっくりするはずもないのだけれど、しかし実際にこうしてみんなが墓の前に立っている姿を目撃すると、やはりあらためて愕然とするのであった。この句の「みな」の「杖」と「しら髪(が)」は老いの象徴物なのであって、白日の下にあってはその他の老いの諸相も細部に至るまで、あからさまにむき出しにされていたことだろう。松尾家、老いたり。朽ち果てるのも時間の問題だ。このときの芭蕉は体調不良だったはずだが、、猛暑のなか、かえって頭だけは煌々と冴えていたのかもしれない。矢島渚男は「高齢者家族の嘆きを描いて、これ以上の句はおそらく今後も出ないことであろう」(「梟」2008年8月号)と書いている。同感だ。(清水哲男)


August 1882008

 喪服着てガム噛みゐたり秋の昼

                           星川木葛子

儀に出かけるために、喪服に着替えた。しかし、家を出るにはまだ少し時間がある。煙草を喫う人ならばここで一服となるところだろうが、作者はガムを噛んで時間をつぶすことにした。煙草でもガムでも、こういうときのそれは、べつに味を求めて口にするわけではない。ただ漫然と時間をつぶす気持ちになれなくて、何かしていなければ気がすまない状態にある。そしてたまたま手近にあったガムを噛んだのだが、噛めば噛んだで、口中の単純な反復行為は、噛んでいないときよりも、故人のあれこれを思い出す引き金のようになる。まあ、一種の集中力が口中から精神にのりうつってくるというわけだ。いっそうの喪失感が湧き上がってくる。その意味で、喪服とガムはミスマッチのようでいて、そうではないのである。煙草を喫うよりも、噛みしめる行為が伴うので、余計に心には響くものがある。時はしかも秋の昼だ。外光はあくまでも明るく、空気は澄んでいる。人が死んだなんて、嘘のようである。葬儀に向かう心情を、あくまでも平凡で具体的な行為に託しながら捉えてみせた佳句と言えよう。おそらくは誰だって、比喩的に言えば、ガムを噛んでからおもむろに葬式に臨むのである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 2582008

 秋灯洩れるところ犬過ぎ赤児眠る

                           金子兜太

務からの帰宅時だろう。若い父親である作者はまだ外にいて、我が家の窓から燈火の光が洩れているのに気がついている。その薄暗い光のなかを犬が通りすぎていく。昔は犬は放し飼いが普通だったから、この犬に不気味な影はない。通行人と同じような印象である。この様子は実景だが、室内で「赤児眠る」姿は見えているはずもなく、こちらは想像というよりも「そのようにあるだろう」という確信である。あるいは「そのようにあれよ」という願望だ。一つの灯をはさんでの室外と室内の様子を一句にまとめたアイディアは斬新とも言えようが、しかしよく考えてみると、誰でもが本当は実際にこういうものの見方をしていることに気づかされる。そこを具体的に言ってみせたたところが、作者の非凡である。句が訴えてくる情感は、これまた誰にでも覚えのある「ホーム、スイート・ホーム」的なそれだ。帰宅時に家の灯がついているだけで心やすまる上に、新しい命の赤ん坊もすくすくと育っているのだから、ひとり幸福な感情にとらわれるのは人情というものである。ましてや、季節は秋。人恋しさ、家族へのいとしさの情感を、巧まずして「秋灯」が演出してくれている。そんな秋も間近となってきた。第一句集『少年』(1955)所収。(清水哲男)


September 0192008

 一塁後方十三米芋嵐

                           今坂柳二

きごろの「朝日新聞」に「詩歌はスポーツに冷淡だ」という趣旨のコラムを書いたら、揚句の作者が四冊の句集を送ってくださった。全ての句の素材は、作者が打ち込んできたマラソンとソフトボールに関連している。冷淡どころか、実に熱いスポーツ句集だ。しかも作者がはじめてソフトボールの球を握ったのは五十五歳のときだったというから、おどろかされる。やりたくても、家業の農業が忙しく、その年齢まで待たねばならなかったのである。七十八歳のいまも現役だ。さて、揚句。いかにソフトといえども、一塁後方が十三米とはあまりにも狭すぎる。ソフトのホームベースと投手間の正式な距離が14.02米と知れば、なおさらその狭さがおわかりだろう。しかも狭いライトのすぐ後ろは里芋畑だ。風の強い日で、芋の大きい葉がばたばたと煽られている。句からだけでは作者の立ち位置はわからないけれど、その芋畑は農業者の作者には絶対の聖域である。そのなかにボールが転々としても、興奮して飛び込み踏み荒らすことは絶対に許されない。打者ならば間違ってそちらに深く飛んでほしくはないだろうし、守備者ならば飛ぶなと願う。でも、飛ぶ球はそれこそ風まかせだ。不気味に風が強まるたびに、作者の心はおだやかではなくなっている。そんな思いまでして、なぜソフトに打ち込むのか。そのような質問を単なる愚問としてしりぞけるのが、スポーツの魔力というものだろう。今年も芋嵐の季節がやってきた。『白球論』(2000)所収。(清水哲男)


September 0892008

 向ひあふ真夜の西瓜のあかあかと

                           丹羽真一

の句にポエジーを感じるのは、読者がこの一行を「俳句」として書かれているのだと認識して読むからだろう。散文や自由詩の切れ端ならば、他の行で相当ていねいにフォローしてやる必要がありそうだ。叙述としては、とりあえず「真夜(深夜)」に西瓜を食べることになった心持ちを述べているだけである。西瓜を食べるのに別に決まった時間はないのだけれど、深夜に西瓜はなんとなくそぐわない。そのそぐわなさは俳句の季語のしばりから、あるいは世間常識から来ているもので、俳句の読み一般から常識を抜くことは不可能に近い。何かの行きがかりで、作者は深夜に西瓜を食べる羽目になり、それも「向ひあふ」というくらいの大きさのものなので、ちょっとたじろいでいる。とても「かぶりつく」気にはなっていない。手を伸ばす前に西瓜を見て、それが「あかあかと」して見えるところに、たじろいでいる感じがよく出ている。「赤々と」ではなく「あかあかと」見えていて、この「あか」にはいささかの毒気すら感じられる。私はこの句を読んだときに、「ああ、俳句的とはこういうことだな」と直覚した。そしてこの「あかあか」が、しばらく脳裏に焼きついて離れなかった。俳句様式でないと成立しない「詩」が、ここにある。俳句同人誌「琉」(2008年8月・14号)所載。(清水哲男)


September 1592008

 敬老の日のとしよりをみくびる芸

                           瀧 春一

日敬老の日に、たいていの自治体が高齢者を招いて演芸会を開く。このテレビ時代に演芸会でもあるまいにと思うが、我が三鷹市でも77歳以上の市民を対象に「敬老のつどい」がこの土日に開かれた。ちなみに、出し物は青空球児・好児の漫才と菊池恵子の歌謡ショーだった。むろん私は見ていないので、みくびりがあったかどうかは何も知らない。ただ揚句が言うように、テレビではかなり以前から「みくびり芸」が多いことに腹を立ててきた。元凶はNHKのど自慢の司会者だった宮田輝だと、私は言い張りたい。高齢者が登場するや、抱きかかえんばかりの表情で、名前を呼ばずに「おじいちゃん、おばあちゃん」を連発した男だ。彼の前に出たら最後、出演する高齢者は固有の名前を剥ぎ取られ、彼のペースで良き老人役を演じさせられるのだから、たまらない。かつて私は芸能プロまがいの事務所にいたことがあるのでわかるのだが、この宮田ウィルスの跳梁ぶりはひどかった。作者はそんな時代に、敬老行事に招かれたのだろう。瀧春一は十五歳で三越に入社し、戦後は労組の副委員長を務めた苦労人だ。「みくびり」などは、すぐにわかってしまう。この句が哀しいのは、しかしみくびりを見抜きながらも、芸人に「なめるんじゃない」とは言えないところだ。言っても甲斐がない。多くの高齢者は、そんなふうにあきらめているように思える。私もいずれ、そうなるのかもしれない。『硝子風鈴』(1971)所収。(清水哲男)


September 2292008

 木守柿万古へ有機明かりなれ

                           志賀 康

の実をすべて採らずに一つだけ残しておく。来年もよく実がなりますようにという願いからか、あるいは全部採ってしまったら鳥たちが可哀相だからか。これが「木守柿」。木のてっぺんに一つぽつんと残された柿は、なかなかに風情があるものだ。作者はこれを一つの灯のようにみなし、蛍光のような有機の明かりとしてではなく、ほの暗い自然のそれとして、「万古(ばんこ)」すなわち遠い昔をいつまでも照らしてくれよと祈っている。私はこの句から、シュペルヴィエルの「動作」という詩を思い出した。草を食んでいる馬がひょいと後ろを向いたときに見たもの。それは二万世紀も前の同じ時刻に、一頭の馬がひょいと後ろを向いて見たものと同じだったというのである。この発想を生んだものこそが、木守柿の明かりであるなと反応したからである。つまり、揚句における木守柿は、シュペルヴィエルにおける詩人の魂だと言えるだろう。魂であるからには、有機でなければならない。作者もまた、かくのごとき詩人の魂を持ちたいと願い、その祈りが木守柿に籠められている。近ごろの俳句には、なかなか見られない真摯な祈りを詠んだ句だ。他の詩人のことはいざ知らず、最近の私は無機の明かりにに毒され過ぎたせいか、この句を読んで、初発の詩心を忘れかけているような気がした。詩を書かねば。『返照詩韻』(2008)所収。(清水哲男)


September 2992008

 ふるさとは風に逆らふ稲穂かな

                           八木忠栄

者は新潟の出身だ。言わずと知れた米所、一大穀倉地帯である。同じ田園といっても、山口県の寒村のちまちましたそれしか知らなかった私は、新潟の列車の窓から見た行けども尽きぬ田園風景には圧倒された覚えがある。句では、その田園が実りの秋を迎えている。ちょうど今ごろだ。初夏には青田風にそよいでいた稲たちも、いまやずっしりとした稲穂をつけており、少々の風にはびくともしないほどに生長している。そんな「ふるさと」の光景に、これぞ我が風土と、作者は頼もしげに共感している。そしてこのとき「風になびかぬ」ではなくあえて「逆らふ」と詠んだのは、作者がこの土地の歴史を意識しているからだ。有名な戊辰戦争において、決して時の権力に迎合しなかった先祖たちの反骨の気構えを誇りに思っての詠みである。読者としては、その後の「米百俵」の故事も想起され、さらには作者その人の生き方にも思いが及んでゆく。スケールの大きい佳句と言えよう。『身体論』(2008)所収。(清水哲男)


October 06102008

 男なら味噌煮と決めよ秋の鯖

                           吉田汀史

はは、こりゃいいや。俳句で「鯖」といえば夏の季語。まだ痩せていて、そんなに美味いとは思わない。対して「秋の鯖(秋鯖)」は脂がのっていて美味である。もっとも青魚が苦手な人には敬遠されそうだが、味噌煮という調理法はそういう人の口にも入るように開発されたのではあるまいか。あるいは貧弱な夏季の鯖用だったのかもしれない。いずれにしても鯖は釣り人が嫌う(釣っても自慢にはならないから)ほどにたくさん釣れるので、昔から庶民の食卓に乗せられつづけてきた。安定食屋の定番でもあった。そんなありふれた魚ゆえ、能書きも多い。ネットをめぐっていたら、こんな意見が出ていた。「俺は、サバは塩焼きか水煮で食するのが正解なので、味噌煮は間違っているのではないかと思うわけです。というのも、サバって味が濃い魚でしょう。それを味の濃い味噌で食べると、両者の特徴が相殺されてしまって、サバを味わっているのか味噌を味わっているのかがよくわからなくなる。ここはやはり塩焼きが正解なのではないでしょうか」。作者は、よほど味噌煮好きなのだろう。「秋鯖に味噌は三河の八丁ぞ」の句もある。この種の意見の持ち主に対して、ごちゃごちゃ言うな、鯖は味噌煮に限るんだと叱っている。「男なら」の措辞は、味噌煮といういささか大雑把な料理法に通じていて、句に「味」をしみこませている。俳誌「航標」(2008年10月号)所載。(清水哲男)


October 13102008

 爽やかや弁当の箸忘れをり

                           浅見 百

を忘れたのは小学生くらいのお子さんだろう。句集には、この句の前に「子育ての右往左往に水澄めり」と載っている。普通の日なら学校給食があるので、今日は秋の遠足か運動会か。いずれにしても、子供にとっては愉しかるべき日のはずだ。天気もすこぶるつきの上天気。その爽やかさに作者も気分良く背伸びなどをしているときに、食卓の上に忘れられている箸に気がつき、はっとした。こういうときの親心は、むろん届けてやろうという具合に動く。作者にもかつて箸を忘れた体験があるわけで、あの不便さったらない。私などは仕方がないから、鉛筆を箸代わりにしたものだが、食べにくいし、第一格好が悪い。だから一瞬届けてやろうと気持ちは動いたのだが、しかし作者は「まあ、いいか。何とかするだろう」とそのままにしておくことにした。すなわちこの句の面白さは、天候によって人の気持ちに差異が出ると言っているところだ。これがしとしとと雨の降っている日だったりすると、同じ状況でも、心の動きは違ってくる。とても「爽やか」なので、そんなに深刻には考えないのである。晴天には総じて心をゆったりと持つことができ、悪天候だとくよくよとなりがちだ。そのあたりの人情の機微がさりげなく詠まれていて、いまの私も、なんだか爽やかな気持ちになっている。『時の舟』(2008)所収。(清水哲男)


October 20102008

 色鳥や切手はいまも舐めて貼る

                           川名将義

に渡ってくる小鳥たちのなかでも、マガモやジョウビタキなど、姿の美しいものを「色鳥(いろどり)」と言う。どんな歳時記にもそんな説明が載っているけれど、まず日常用語の範疇にはない。美しい言葉だが、ほとんどの人は知らないだろう。俳句を知っていて少しは良かったと思うのは、こういうときだ。ただし、揚句の色鳥は実物ではなくて、切手に描かれた鳥たちのことを指している。なぜ切手に鳥が多く印刷されているのかは知らない。が、とにかく鳥と花が切手図案の双璧である。切手の世界も「花鳥風月」なのかしらん(笑)。そんな鳥の切手を、作者はぺろりと舐めて貼ったのである。「いまも」と言うのだから、子供の頃からそうしてきたのだ。そして子供の頃から、こういう貼り方には抵抗があったのだろう。オフィスなどで見られる水を含んだスポンジなどで湿して貼るほうが上品だし清潔だし、第一、ぺろっと舐めて貼るなんぞは相手に対して失礼な感じがする。しかし、わかっちゃいるけど止められない。ついつい、ぺろっとやってしまう。それだけの句であるが、人はそれだけのことを、気にしつつも生涯修正しないままに続けてしまうことが実に多い。そのあたりの機微を、この句は上手く言い止めている。なんでもない日常の小事をフレームアップできるのも、俳句ならではのことと読んだ。余談だが、谷川俊太郎さんが「ぼくは切手になりたいよ」と言ったことがある。「それも高額のものじゃなくて、普通の安い切手ね。そうなれれば、いろんな人にぺろぺろ舐めて貰えるもん」。『湾岸』(2008)所収。(清水哲男)


October 27102008

 紐解かれ枯野の犬になりたくなし

                           榮 猿丸

んだ途端にアッと思った。この句は今年度角川俳句賞の候補になった「とほくなる」五十句中の一句。選評で正木ゆう子も言っているように、山口誓子に「土堤を外れ枯野の犬となりゆけり」がある。揚句がこの句を踏まえているのかどうかは知らないが、私がアッと思ったのは、人間はもとより、犬のありようもまた誓子のころとは劇的に変わっていることを、この句が教えてくれたからである。そう言われれば、そうなのだ。昔の犬は紐を解かれれば、喜んで遠くに駈け出していってしまったものだ。だがいまどきの犬は、人間に保護されることに慣れてしまっていて、誓子の犬のようには自由を喜ばず、むしろ自由を不安に感じるようだと、作者は言っている。犬に聞いてみたわけではないけれど、作者にはそんなふうに思われるということだ。それだけの句と言えばそれまでだが、しかし私には同時に、作者の俳句一般に対する大いなる皮肉も感じられる。つまり、俳句の犬はいつまでも誓子の犬のように詠まれており、実態とは大きくかけ離れていることに気がついていない。むろんこのことは犬に限らず、肝心の人間についても同様だと、作者は悲観しつつもちょっと犬を借りてきて批判しているのだと思う。たとえ作者に明確な批判の意識はないのだとしても、この句はそういうところにつながっていく。今後とも、この作者には注目していきたい。「俳句」(2008年11月号)所載。(清水哲男)


November 03112008

 よく喋る女に釣瓶落の日

                           飯田綾子

いぶんと古い言い回しに思えるが、山本健吉が提唱して定着したというから、「釣瓶落(し)」はかなり新しい季語なのだ。でも、もうそろそろ廃れる運命にはあるだろう。肝心の「釣瓶(つるべ)」が消えてなくなってしまったからだ。日常的に井戸から釣瓶で水を汲んだことのある人も、みんな高齢化してきた。句意は明瞭だ。暗くなる前にと思って買い物をすませてきた作者だったが、家の近所でばったり知り合いの主婦と出会ってしまった。そこで立ち話となったわけだが、この奥さん、とにかくよく喋る人で、なかなか話が終わらない。最初のうちこそ機嫌よく相槌など打ってはいたものの、だんだん苛々してきた。そのうちに相槌も曖昧になり生返事になってきたというのに、相手はまったく頓着せず、油紙に火がついたように喋りつづけている。なんとか切り上げようとタイミングを計っているうちに、ついに釣瓶落しがはじまって、あたりは薄暗くなってくる。冷たい風も吹き出した。しかしなお、延々と喋りやめない「女」。夕飯の支度などもあり、気が気でない作者のいらだちは、他人事だから可笑しくもあるけれど、当人はもう泣きたい思いであろうか。結局、別れたのは真っ暗になってからだったのかもしれない。滑稽味十分、情けなさ十分。とかくこの世はままならぬ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 10112008

 寺寒し肉片のごと時計垂れ

                           今井 勲

もほとんど帰ってしまった通夜の席ではなかろうか。冬の寺はだいたいが寒いところだが、夜が更けてくるにつれ、しんしんと冷え込んでくる。私にも経験があって、火の気の無い冬の寺で夜明かしするには、とりあえずアルコールでも補給しないことには辛抱しきれないのであった。線香の煙を絶やさないように気配りすることくらいしかやることもなく、所在なくあたりを見回していた作者の目にとまったのは、いささか大きめな掛け時計であった。何もかもが動きを止めているようなしんとした堂内で、唯一動いている時計。それが作者には、肉片のように生々しく思えたのだろう。ここで私などは、どうしてもダリの描いた柔らかい時計、溶ける時計を思い出してしまうが、作者にも無意識にせよ、ダリの絵の情景と交叉するところがあったに相違ない。寺の調度類は総じて固く見えるから、ひとり動いている時計がそれだけ柔らかく見えたとしても不思議ではないと思う。もう少し突っ込んで考えてみれば、死者の棺を前にして、故人との思い出深い時間が直線的な時系列的にではなく、だらりと垂れた時計のように行きつ戻りつ歪んで思えてきたということなのかもしれない。いずれにしても、読後しばらくは、それこそ「肉片のごと」生々しく心に引っかかって離れない句ではある。遺句集『天樂』(2008・非売)所収。(清水哲男)


November 17112008

 葱買ひにゆくだけのことペダル踏む

                           フレザー文枝

りたてて上手な句ではないし、ましてや凄い句でもない。でも私が着目したのは、ほとんど習慣になっている自分の行為を客観視してみたところだ。葱であろうが大根や人参であろうが、それを買いに行くのに自転車を使う。そういうことは多くの人が日常的にやっていることだし、何の変哲もないことではあるのだけれど、作者はペダルを漕ぎながら、多分ふと自分はいま、何のために自転車に乗って急いでいるのだろうかと思ってしまった。たかが葱二三本を買うために、一生懸命ペダルを踏んでいる自分をあらためて意識してみて、なんだか可笑しいような不思議なような気分になっているのである。人はふつう、自分の行為をいちいち見張るようにして生きているわけではない。とくに習慣や癖などについては、無自覚であるのが当たり前だろう。しかしこの句のように、その無自覚な部分に自覚の光を当ててみると、なかなかに面白い発見やポエジーが潜んでいないとも限らない。案外、揚句の視線は句作りの盲点かもしれないと思ったのだ。作者は故人。片仮名の姓は、夫君がアメリカ人だったことによる。句集は娘さんが「ママ、あなたの句集ですよ」と纏めたものである。『バラ百本』(私家版・2008)所載。(清水哲男)


November 24112008

 煙草火の近づいてくる寒夜かな

                           盛生高子

くて真っ暗な淋しい夜の道である。肩をすぼめるようにして家路を急いでいると、ちらっと遠くに小さな赤い火の玉のようなものが見えた。何だろう。目を凝らすと、だんだんそれは明滅しながら近づいてくる……。なあんだ、煙草の火か。作者はそう納得して一瞬ほっとはしたものの、しかしながら、なんとなく不気味な感じは拭えない。体感的な寒さに、心理的なそれが加わった図だ。誰にも似た経験はあるだろうけれど、暗闇から煙草の火が近づいてくるのは結構こわいものがある。明滅するからなのだ。近づいてくるのが懐中電灯の明かりだったら、さして不気味ではないけれど、煙草の火は暗くなったり明るくなったりするだけにこわい。つまり火の明滅の正体はわかっていても、その明滅は人の息遣いを伝えるものであるから、かなり生々しく「人」を意識してしまうことになるのである。夜の道で人の息遣いを感じさせられているこわさが、よりいっそう周囲の寒さを助長してくるという句だ。ところで、闇の中で煙草を吸うのは、同じ状況で饅頭を食うのと同様に、ちっとも味がしないと言ったのは開高健だった。逆に、饅頭とは違い、闇の中でも煙草だけは美味く感じると書いているのは古井由吉である。私は美味い派だが、あなたが煙草好きならば、どちら派でしょうか。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


December 01122008

 谷内六郎のおかつぱ冬夕焼

                           山田富士夫

かっぱ頭でいちばん有名なのは、サザエさん家のワカメちゃんだろう。戦後すぐに登場したこの女の子の髪形は、現在まで一度も変わっていない。漫画ならではの特権だが、作者や私が子供だったころの女の子は、ほぼ全員が同様におかっぱだった。学校での集合写真が、そのことを証明している。谷内六郎が好んで描いたのも、おかっぱや三つ編みの少女である。そして、誰もが同じ顔をしている。ノスタルジーにとって重要なのは、このようなキャラクターや周辺の風景などの単純化だろう。むろん実際にはやんちゃな子、内気な子などいろいろいたのだけれど、振り返ってみればそのようなキャラクターなどはどうでもよくて、みんな同じに幼かったという一点で、郷愁の焦点は絞られるものなのだ。長い歳月が、過去の細々とした現実を洗い流してしまうとでも言うべきか。このときに冬の夕焼けは、ノスタルジーの深度をより増幅させるのに効果的だ。時刻も早く、すぐに消えてしまう冬の夕焼け。作者は谷内六郎の絵を見ながら、思い出しているのは実は女の子のだれかれのことではなくて、おかっぱの女の子たちと一緒だったそのころの自分のことなのだと思う。その自分のありようからしてもはや単純であるという思いが、歳月茫々の観を深め、ふたたび三度おかっぱの絵に戻っては、ここまで生きてきた人生の不思議を思っていると読んだ。そう言えば天野忠に『単純な生涯』という凄い詩集がある。『砂丘まで一粁』(2008)所収。(清水哲男)


December 08122008

 人込みに又逢ふ人や十二月

                           植田 航

年を迎えるための買い物客でごったがえしている「人込み」だろう。歳末の人込みは、普段のそれとはだいぶ違う感じがする。物理的には変わらないにしても、普段のそれが人々の目的意識がばらばらであるのに比して、年末のそれはおおかたが年用意のためとわかっているからだ。見知らぬ他人にも、なんとなく連帯感のような感情すら覚えてしまう。この「又逢ふ人」は見知らぬ人であっても構わないけれど、むしろ顔見知りのほうが面白い。そんなに親しくはないが、道で会えば会釈をかわすくらいの関係である。だから最前、人込みですれ違ったときにも、お互いにすぐに気がついて、軽く頭をさげあったばかりなのだ。が、作者が買い物に手間取ってうろうろしているうちに、またその人に出会ってしまった。先方も、たぶんうろうろと同じところを歩き回っていたのだろう。こういうときは、なまじ顔看取りであるだけに、バツが悪い。もう一度会釈をするわけにもいかないので、半分は口の中で「やあ」などと言いながら苦笑ともなんとも言い難い表情をつくるしかないのである。いかにも「十二月」ならではの人情の機微を良くとらえた佳句である。『半日の旅』(2008)所収。(清水哲男)


December 15122008

 皆伐の淵に泡古る年のくれ

                           竹中 宏

慣れない言葉だが、漢字を眺めているうちに、おおよその見当はつくはずだ。「皆伐(かいばつ)」とは、森林などの樹木を全部または大部分伐採することを言う。反対に、適量を抜き切りするのが「択伐(たくばつ)」である。したがって、この「淵」は川の淵ではなく、奥深い山の湖沼のそれだろう。私は、つげ義春の漫画にでも出てきそうな沼を想像してしまった。もともとは鬱蒼たる樹木に取り囲まれていた沼だったのが、いまでは痛々しくもその淵までをも赤裸に姿をさらしている。周囲にはかつて盛んに元気よく水分を吸い上げてくれていた樹木の影もない。生気を失った沼はひどく淀んでいて、淵には泡がぶつぶつと浮いたまんまだ。それらは古びて茶褐色に変色し、沼の淀みをますます露(あらわ)にしているのである。まさにそんな感じの「年のくれ」だと、作者は喩的に述べているのだと思う。とりわけて今年の暮は、嫌でもそんな印象が濃い。淵にこびりついているような古びた泡は年が明けても消えることがないように、今の世の中の淀みも汚い泡も露なままに、そう簡単には消えてくれる可能性はないのである。まったく、なんという歳末であろうか。俳誌「翔臨」(第63号・2008年11月)所載。(清水哲男)


December 22122008

 もののけの銀行かこむ師走かな

                           井川博年

走の銀行で思い出した。三十代のはじめころ、年末年始を無一文状態で過ごしたことがある。暮の三十日だったかに、家人が買い物の途中で貰いたてのボーナスを袋ごと擦られてしまったからだった。たしか五万円ほどだったと思うが、我々には大金である。それだけあれば年は楽に越せると踏んでいたので、お互い真っ青になった。銀行にいささかの預金はあったのだけれど、昔の銀行は年末年始は休業で引き出せない。大晦日には、私の原稿料が小切手で送られてはきたものの、これまた現金化は不可能だ。要するに「金はあるけど金は無し」状態となったわけで、大いにうろたえた私は、もしかすると銀行が開いているかもしれぬと出かけてみたものの、むろん徒労に終わったのである。このときの銀行の前の私は、おそらく小さな「もののけ」のようであったに違いない。この句のそれらは私のようなちっぽけな存在ではなくて、貸し渋りなどで倒産した企業主や従業員の恨みや呪いをまとった「物の怪」たちである。夜となく昼となく、それらが銀行をかこんでいるのだ。この大不況の中だから、この句は異様に切実な実感を伴って迫ってくる。読み捨てにできる読者は、よほど恵まれた人なのだろう。こういう句が二度と詠まれることのない世の中の到来を願いつつ、あえて愉快ではない句をご披露した次第だ。『余白句会』(第80回・2008年12月20日)出句作品より。(清水哲男)


December 29122008

 五徳なるものが揃ひて村滅ぶ

                           福田 基

五徳
得(ごとく)はもう茶の道具くらいにしか使われない。昔はどこの家にもあって、その上に薬缶や鉄瓶を置いていたものだ。五徳というくらいだから、なにやらありがたい道具のように思えるが、なんのことはない。大昔のそれは輪を上にして使っており、「竈子(くどこ)」と呼ばれた。それが安土桃山期の茶道の発達とともに、それまでとは逆に爪を上にして使われるようになった。だから「くどこ」を逆にして「ごとく」と呼んだのだという。したがって「五徳」は当て字。仁・義・礼・智・信の五徳などとは、何の関係もないのである。句ではしかし、実際の道具としての五徳と観念的な五徳との両義がかけてある。村中、どの家にも五徳がある。すなわち、五つの徳目が全て揃っている。なのに、村は滅びつつある。それはすなわち、全てを備えるには至難の徳目が容易に揃ったことで、もはや村には求め極めるものが消失してしまい、逆に自壊の方向に向かっているということなのだ。何であっても、極まればあとは崩れるしかない。なんとも皮肉たっぷりの句だけれど、過疎地をこのように捉えた句はめずらしく、作者の哀感もよく伝わってくる。福田基は昭和八年生まれ、林田紀音夫直門。あとがきに「われ老いたり、心身とも老いたり」とあるのが、私などには身につまされる。『回帰回想』(2008)所収。(清水哲男)




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