July 142008
向日葵に路面電車の月日かな
藤城一江
今年も、向日葵が勢いよく咲く季節になった。向日葵に限らず夾竹桃も百日紅なども、夏の花はみな元気だ。そんな向日葵が咲きそろった舗道を、路面電車が通過していく。この電車、相当に古びているのだろう。レール音も、心なしか喘いでいるように聞こえる。この街に住んで長い作者は、その昔、まだ電車が向日葵を睥睨するようにして、颯爽と走っていた時代を知っているのだ。それが年を経るうちに、いつしか立場は逆転して、いまや路面電車に精気はほとんど感じられない。かたや向日葵は、毎夏同じように精気にあふれているのだから、いやでも電車の老朽化を認めないわけにはいかなくなってきた。すなわち、それは作者自身の老齢化の自己認知にもつながっているのであり、なんでもないようなありふれた光景にも、このように感応する人は感応しているのである。路面電車といえば、広島市内には、かつての各地の路面電車の車両が当時そのままの姿で走っている。以前同市を訪れた際に、あまりの懐かしさに行く宛もないまま、昔の京都スタイルの市電に乗ってしまったのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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