昨日は暑気払いの会。暑気を払ったんだか、纏ったんだか…。前後朦朧。(哲




2008ソスN8ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1482008

 戦死せり三十二枚の歯をそろへ

                           藤木清子

は学徒出陣で海軍に配属され、鹿児島県の志布志湾に秘密裡に作られた航空基地で敗戦の日を迎えた。同年齢の義父は、広島の爆心地で被爆した後郷里に戻り静養していた。九死に一生を得た二人とも戦争についてほとんど語らなかったが、戦死した同世代の青年達をいつも心の片隅において生涯を過ごしたように思う。祖国の土を踏むことなく異国の地で果てた若者たちはどれほど無念だったろう。私が小さい頃、街には戦争の傷痕がいたるところに残っていた。向かいの病院は迷彩色を施したままであったし、空襲の瓦礫が山積みになった野原もあった。戦後63年を経過し、戦争の記憶は薄れつつある。三十二枚の健康な歯をそろえながら飢えにさいなまれ、南の島や大陸で戦死した青年達の口惜しさは同時代を生きたものにしかわからないかもしれない。そうした人々への愛惜の気持ちがこの句を清子に書かせたのだろう。事実だけを述べたように思える言葉の並びではあるが、「そろへ」と中止法で打ち切られたあとに、戦死したものたちの無言の声を響かせているように思う。『現代俳句』上(2001)所載。(三宅やよい)


August 1382008

 神宮の夕立去りて打撃戦

                           ねじめ正一

宮球場だから東京六大学野球でもいいわけだけれど、豪快な「打撃戦」であろうから、ここはプロ野球のナイターと受けとりたい。ヤクルト対阪神か巨人か。ドーム球場では味わえない、激しい夕立が去って幾分ひんやりしたグランド上で、さてプレー再開というわけである。選手たちが気をとり直し、生き返ったように、中断がウソだったように派手な打撃戦となる。夕立が両チームに喝を入れたのであろう。スタンドにも新たな気合が加わる。夕立であれ、停電であれ、思わぬアクシデントによる中断の後、試合内容が一変することがよくある。夕立に洗われた神宮の森も息を吹き返して、球場全体が盛りあがっているのだろう。その昔、神宮球場の試合が夕立で中断しているのに、後楽園球場ではまったく降っていないということが実際にあった。夕立は局地的である。ドーム球場では味わえなくなった“野の球”が、神宮では今もしっかりと生きているのはうれしい。長嶋茂雄ファンの正一は、「打撃戦」のバッター・ボックスに、現役時代の長嶋の姿を想定しているのかもしれない。掲出句は雑誌の句会で、正客として招かれた正一が投じたなかの一句。席上、角川春樹は「『夕立』を使った句の中でも類想がない。佳作だよ」と評している。ほかに「満月を四つに畳んで持ち帰る」「ちょん髷を咲かせてみたし豆の花」などに注目した。「en-taxi」22号(2008年6月)所載。(八木忠栄)


August 1282008

 山へゆき山をかへらぬ盆の唄

                           小原啄葉

仕事に行ったきり帰ってこない者を恋う歌なのだろうか。具体的な歌詞を知るために、まずは作者の出身である東北地方最古といわれる盆踊り唄「南部盆唄」から調べてみた。ところが、これがもうまったく不思議な唄だった。「南部盆唄」はまたの名を「なにゃとやら」と呼ばれ、「なにゃとやらなにゃとなされのなにゃとやら」と、文字にするのも困難を極めるこの呪文のような文句を、一晩中繰り返し唄い踊るのだった。しかし、元々盆唄とは歌詞は即興であることも多く、その抑揚そのものが土地へとしみ渡っているように思う。「なにゃとやら」と続くリズムを土地の神さまへ納めているのだろう。掲句の盆唄もまた、山を畏怖する土地に伝承されている唄と把握すればそれ以上知る必要はないのだ。抑揚のみの伝搬を思うと、今、やたらと耳につき、思わず口ずさんでいることすらあるメロディーがある。「崖の上のポニョ」。このメロディーもまた、やはりなにか信仰につながるような現代に粘り付くメロディーがあるように思い当たるのだった。〈草の中水流れゐる送り盆〉〈精霊舟沈みし闇へ闇流る〉〈あらくさに夕陽飛びつく二十日盆〉句集名『而今』は「今の一瞬」の意。道元禅師の「山水経」冒頭より採られたという。(2008)所収。(土肥あき子)




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