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August 2382008

 別れとは手を挙げること鰯雲

                           原田青児

年の八月七日早朝、立秋の空にほんのひとかたまりの鰯雲を見た。朝焼けの秋立つ色に染まる鰯雲をしばらく見ていたのが午前五時過ぎ、小一時間の朝の一仕事を終えて再び見た時には消えていた。それから半月後の旅先。一面の稲田を青い稜線が取り囲む広い空に、すじ雲が走り、夏雲が残り、鰯雲が広がっていた。帰京してこの句を読み、その見飽きることのなかった空が思い出される。別れ際というと、会釈する、手を振る、握手する、見つめ合う、抱き合う等々、その時の心情や状況によってさまざまだろう。そんな中、手を挙げる、から連想されるのは、高々と挙げた手を思いきり左右に振って、全身で別れを惜しむ人の、だんだん遠ざかる姿だ。その手の先に広がる鰯雲の大きな景が、別れを爽やかなものに昇華させているのか、より深い惜別の思いとなってしみるのか、読み手に託されているようでもある。『日はまた昇る』(1999)所収。(今井肖子)


May 0952010

 縞馬の流るる縞に夏兆す

                           原田青児

て、シマウマの縞は縦だったか横だったかと、にわかにわからなくなり、さっそく調べてみれば、1頭の体の中には縦も横もあり、確かに「流れる」ように全身を覆っています。こんな模様はどこかで見たことがあるなと思い起こせば、両手の指に刻まれた指紋のようであります。同じ縞模様は二つとないのだと書いてあるネットの解説に、それではなおさら指紋と同じではないかと、再び感心してしまったわけです。シマウマを詠んだ句では、かつて今井聖さんがこの欄で採り上げた「しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る」(富安風生)が愉快に思い出されますが、どちらの句も、初夏を詠っています。緑鮮やかに生えそろった草を食むシマウマのゆったりとした姿が、夏の開放感を感じさせてくれるからなのでしょうか。それにしても、なんであんなにあざやかな模様がついているのだろうと、不思議でなりません。シマウマに限らず、複雑な模様のついた動植物を見るにつけ、地味な色で出来上がっている自分の体と人生に、なぜか思いは巡ってゆきます。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)




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