ソス竝イソスソスソスソスYソスソス句

September 0392008

 新涼の水汲み上ぐるはねつるべ

                           岩佐東一郎

い横木の一端に重石をとりつけ、その重みでつるべをはねあげて水を汲みあげるのが撥釣瓶(はねつるべ)。そんなのどかな装置は、時代劇か民俗学の時間のかなたに置き去られてしまったようだ。私も釣瓶井戸は見ているが、撥釣瓶井戸の実物は幼い頃に見た記憶がかすかにあるていど。もはや「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という千代女の句で、知ったふりをするしかない。秋になって改めて味わう涼しさは、ホッとして身がひきしまる思いがする。「新涼や/水汲み・・・」ではなく、「新涼の水汲み・・・」で「新涼の水」を汲みあげているととらえている。冷やかに澄みきった井戸水であろう。ただの井戸や川から汲むのではなく、撥釣瓶で汲みあげるという設定によって空間が大きくなり、ゆったりとした動きも加わった。のどかにしてすがすがしい動きに加え、かろやかな音さえ聞こえてくるようである。それにつれて人の動きも同時に見えてくる。水を汲みあげるという作業のなかに、人々の生活の基本が組みこまれていた――そんな時代があったことを、この句は映し出している。新涼と水をとり合わせた句は少なくない。西東三鬼には「新涼の咽喉透き通り水下る」の句がある。東一郎は昭和十年代、北園克衛、安藤一郎、岡崎清一郎、他の詩人たちとともに俳句誌「風流陣」の同人だった。ほかに「月の梅うすうすと富士泛(うか)べたり」の句があり、句集に『昼花火』がある。『昼花火』(1940)所収。(八木忠栄)


June 0162016

 馬洗ふ田川の果の夕焼(ゆやけ)雲

                           岩佐東一郎

日ではほとんど見られなくなった光景である。田の農作業が終わって、暑さでほてり、汗もかいてよごれた馬を、田川で洗っている。その川はずっと遠くまでつづいていて、ふと西の方角を見れば夕焼雲がみごとである。馬も人もホッとしている日暮れどきである。ここでは「馬洗ふ」人のことは直接触れられていないけれど、一緒に労働していた両者の心が通っているだろうことまでも理解できる。馬だけではなく、洗う人も水に浸かってホッとしているのだ。遠くには赤あかと夕焼雲。「馬洗ふ」には「馬冷やす」「冷し馬」などの傍題がある。かつて瀬戸内海地方には陰暦六月一日に、ダニを洗い落とすために海で牛を洗う行事があったというが、現在ではどうか? 掲出句はその行事ではなくて、農作業の終わりを詠んだものであろう。詩人・岩佐東一郎には「病める児と居りて寂しき昼花火」がある。加藤楸邨には「冷し馬の目がほのぼのと人を見る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます