阪神のM、戦中戦後の電燈みたいについたり消えたり(笑)。半歩前進。(哲




2008ソスN9ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1092008

 ブラジルに珈琲植ゑむ秋の風

                           萩原朔太郎

そらく俳人はこういう俳句は作らないのだろう。「詩人の俳句」と一言で片付けられてしまうのか? ブラジルへの移民が奨励され、胡椒や珈琲の栽培にたいへんな苦労を強いられた人たちがいたことはよく知られている。1908年、第一回の移民団は八百人近くだったという。今年六月に「移民百年祭」が実施された。四十年近く前、私の友人の弟が胸を張り、「ブラジルに日の丸を立ててくる!」と言い残してブラジルへ渡った。彼はその後日本に一度も里帰りすることなく、広大な胡椒園主として成功した。ところで、珈琲は秋に植えるものなのか。朔太郎にブラジルへ移民した知人がいて、その入植のご苦労を思いやって詠んだものとも考えられる。「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と詩でうたった朔太郎が、フランスよりもさらに遠いブラジルに思いを馳せているところが愉快。遠い国「ブラジル」と「珈琲」のとり合わせが、朔太郎らしいハイカラな響き生んでいる。そういえば、「珈琲店 酔月」というつらい詩が『氷島』に収められている。朔太郎の短歌四二三首を収めた自筆歌集『ソライロノハナ』が死後に発見されているが、俳句はどのくらい作ったかのか寡聞にして知らない。友人室生犀星に対して、朔太郎は「俳句は閑人や風流人の好む文学形式であって同時に老成者の愛する文学」である、と批判的に書いた。犀星は「俳句ほど若々しい文学は他にない」と反論した。朔太郎が五十歳を過ぎたときの句に「枯菊や日々にさめゆく憤り」がある。まさしく「老成者」の文学ではないか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 0992008

 菊の日のまだ膝だしてあそびゐる

                           田中裕明

日重陽(菊の節句)。3月3日の桃の節句や5月5日の端午の節句、7月7日の七夕などの他の五節句に比べるとかなり地味な扱いではあるが、実は「陽数の極である九が重なることから五節句のなかで最もめでたい日」であり、丘に登って菊花酒を酌み交わし長寿を祈るという、きわめて大人向けの節句である。旧暦では十月初旬となり、本来の酒宴はすっかり秋も定着している景色のなかで行うものだが、はっきり秋とわかる風を感じるようになったここ数日、落ち着いて来し方行やく末につれづれなる思いを馳せていることに気づく。掲句では、むき出しの膝が若さを象徴している。四十半ばで早世した作者に、雄大な自然を前に無念の心を詠んだ杜甫の七言律詩「登高」の一節「百年多病(ひゃくねんたびょう)独登台(ひとりだいにのぼる)」が重なる。眼前の健やかな膝小僧が持つ途方もない未来を眩しく眺める視線に、菊の日の秋風が底知れぬ孤独を手招いているように思えるのだ。『田中裕明全句集』(2007)所収。(土肥あき子)


September 0892008

 向ひあふ真夜の西瓜のあかあかと

                           丹羽真一

の句にポエジーを感じるのは、読者がこの一行を「俳句」として書かれているのだと認識して読むからだろう。散文や自由詩の切れ端ならば、他の行で相当ていねいにフォローしてやる必要がありそうだ。叙述としては、とりあえず「真夜(深夜)」に西瓜を食べることになった心持ちを述べているだけである。西瓜を食べるのに別に決まった時間はないのだけれど、深夜に西瓜はなんとなくそぐわない。そのそぐわなさは俳句の季語のしばりから、あるいは世間常識から来ているもので、俳句の読み一般から常識を抜くことは不可能に近い。何かの行きがかりで、作者は深夜に西瓜を食べる羽目になり、それも「向ひあふ」というくらいの大きさのものなので、ちょっとたじろいでいる。とても「かぶりつく」気にはなっていない。手を伸ばす前に西瓜を見て、それが「あかあかと」して見えるところに、たじろいでいる感じがよく出ている。「赤々と」ではなく「あかあかと」見えていて、この「あか」にはいささかの毒気すら感じられる。私はこの句を読んだときに、「ああ、俳句的とはこういうことだな」と直覚した。そしてこの「あかあか」が、しばらく脳裏に焼きついて離れなかった。俳句様式でないと成立しない「詩」が、ここにある。俳句同人誌「琉」(2008年8月・14号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます