通勤の朝、高田馬場の雀荘から出てくる学生たち。かつての私がそこにいる思い。(哲




2008ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592008

 曼珠沙華思へば船の出る所

                           摂津幸彦

年の今ごろ埼玉の高麗へ曼珠沙華の群生を見に出かけた。鬱蒼と茂る緑の樹下のどこまでも真っ赤な曼珠沙華が広がり広がり続くので不安になった。「曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは」(小守有里)という歌のままに、この不思議な花を見つめている自分が内側から歪んでゆくような妙な気分だった。地面からするすると緑の軸が伸びてきて花を開くのが彼岸どきというのも出来すぎている。摂津の句は夢のようなつじつまのあわなさが魅力であるが、この句の場合は「曼珠沙華」と「船」が現実と非現実を結ぶ紐帯となって読み手を不思議な世界へ誘う。ゆく船を見送る寂しい気持ち。その気分は「曼珠沙華」が呼び起こすあの世への旅立ちとも繋がっている。「思へば」という動詞が現実の曼珠沙華から船着場の映像をだぶらせる効果的な言葉として働いている。摂津の句を読んでいると実人生と言葉の二重性を生きた人のせつなさが感じられてしんとした気持ちになる。『摂津幸彦全集』(1997)所収。(三宅やよい)


September 2492008

 谷戸谷戸に友どち住みて良夜かな

                           永井龍男

戸は「やど」とも呼ばれる。「谷(やと/やつ)」のことでもあり、龍男が住んでいた鎌倉に多い地名でもある。詩人・田村隆一はかつて稲村ヶ崎から入った谷戸の奥の小高い土地に住み、書斎の窓からは水平線がよく眺望できた。「良夜」は時期的に今やちょっと過ぎてしまったが、主として十五夜=九月十三日の月の良い夜をさす。鎌倉住いの龍男は名月を見上げながら、同じ鎌倉の谷戸に住んでいる友だちの誰彼を想っているのだろう。良夜であるゆえにことさら、親しい友だちは今どうしているか気になっている。同じように月を眺めているか、まだ片付かない仕事の最中か、のんびり悠然と酒盃をかたむけているか・・・・それからそれへと自在に想像を連ねているのだ。ここでは「鎌倉」という地名は隠されているけれども、「谷戸谷戸」によってその土地が奥床しくも、幸せな一夜のように感じられてくる。昭和十年、横光利一がリーダーになってつくった門下生たちの十日会で、「俳句は小説の修業に必要だ」と横光は俳句を奨励した。そのなかに中里恒子や永井龍男らがいた。横光の歿後も、龍男は文芸春秋句会や文壇俳句会にも参加して、味わいのある俳句を詠んだ。谷戸の多い鎌倉を詠んだ句に対し、橋の多い深川を詠んだ龍男の句に「橋多き深川に来て月の雨」がある。平井照敏編『新歳時記(秋)』(1989)所収。(八木忠栄)


September 2392008

 山裏に大鬼遊ぶ稲光

                           小島 健

年ほど雷が鳴り響く夏はなかったように思う。雷鳴は叱られているようでおそろしいが、夜空に落書きのように走る稲妻を眺めるのは嫌いではない。学生時代アルバイトからの帰り道、派手な稲妻が空を覆ったかと思った途端、街中が停電したことがあった。漆黒の闇のなか、眼を閉じても開いても、今しがた刻印されたの稲光りの残像だけがあらわれた。あれから私の雷好きは始まったように思う。掲句は、鬼がすべったり転んだりする拍子に稲光が起きているのだという。この愉快な見立ては、まるで大津絵と鳥獣戯画が一緒になったような賑やかさである。また、雷に稲妻、稲光と「稲」の文字が使用されているのは、稲の結実の時期に雷が多いことから、雷が稲を実らせると信じられていたことによる古代信仰からきているという。文字の由来を踏まえると、むくつけき大鬼がまるで気のいい仲人さんのごとく、天と地を取り持っているように見えてきて、ますます滑稽味を加えるのである。〈はじめよりふぐりは軽し秋の風〉〈秋雨や人を悼むに筆の文〉『蛍光』(2008)所収。(土肥あき子)




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