ITS'DEMO。あっ、表記が間違ってる。と思ったら「いつでも」の洒落でした。(哲




2008ソスN10ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 01102008

 秋風や案山子の骨の十文字

                           鈴木牧之

風と案山子で季重なりだが、案山子にウェイトが置かれているのは明らかゆえ、さほどこだわることはあるまい。「案山子」の語源は、もともと鳥獣の肉を焼き、その臭いを嗅がせて鳥を追い払ったところから「かがし」が正しいという(ところが、私のパソコンでは「かかし」でしか「案山子」に変換できない)。実った稲が刈り取られたあと、だだっ広い刈田に、間抜けな姿でまだ佇んでいる案山子の光景である。稲穂の金波のうねりに揺られるようにして立っている時期の案山子とはまるでちがって、くたびれて今やその一本足の足もとまですっかり見えてしまっている。なるほど案山子には骨のみあって肉はない。竹で組まれた腕と足を、「骨の十文字」とはお見事。寒々しく間抜けているくせに、どこかしら滑稽でさえある。昨今の日本の田園地帯では、もはや案山子の姿は見られなくなったのではないか。数年前に韓国の農村地帯で色どり豊かな案山子をいくつか見つけて驚いたことがある。それは実用というよりも、アート展示の一環だったようにも感じられた。案山子ののどかな役割はもはや終焉したと言っていいだろう。与謝蕪村は「水落ちて細脛高きかがしかな」と詠んでいて、こちらは滑稽味がさらにまさっている。牧之は越後塩沢の人で、縮(ちぢみ)の仲買いをしていて、雪国の名著『北越雪譜』『秋山記行』を著わした文雅の士であった。文政四年(1830)に自撰の『秋月庵発句集』が編まれた。「牧之」は俳号。『秋月庵発句集』(1983)所収。(八木忠栄)


September 3092008

 人間は水のかたまり曼珠沙華

                           松尾隆信

体の化学成分比率は水分が60%、組織が40%であるという。新生児には80%だったという水分量を聞くと、大人になったことで失ってしまったさまざまな潤いが数字に表れているようにも思う。それでもやはり、人間の半分以上は水なのだ。考えたり、悩んだり、いらついたり、右往左往する水のかたまりを、作者はわずかに苦笑しつつ、愛おしく感じているのだと思う。そして曼珠沙華も人臭い花である。法華経に「摩訶曼珠沙華」として登場し、サンスクリット語で 「マカ」は「大きい」、「マンジュシャカ」は「赤い」を意味するありがたい花のはずなのだが、有毒であったり、鮮紅色が災いしたりで「死人花」「捨て子花」「幽霊花」など因果を強く感じさせる別名を持つ。さらに枝葉を許さぬ花の形が、だんだん人間の姿となって、かたまり咲く曼珠沙華が冠を載せた人の群れのように見えてくる。〈渚より先へは行けず赤とんぼ〉〈鯛焼の五匹と街を行きにけり〉『松の花』(2008)所収。(土肥あき子)


September 2992008

 ふるさとは風に逆らふ稲穂かな

                           八木忠栄

者は新潟の出身だ。言わずと知れた米所、一大穀倉地帯である。同じ田園といっても、山口県の寒村のちまちましたそれしか知らなかった私は、新潟の列車の窓から見た行けども尽きぬ田園風景には圧倒された覚えがある。句では、その田園が実りの秋を迎えている。ちょうど今ごろだ。初夏には青田風にそよいでいた稲たちも、いまやずっしりとした稲穂をつけており、少々の風にはびくともしないほどに生長している。そんな「ふるさと」の光景に、これぞ我が風土と、作者は頼もしげに共感している。そしてこのとき「風になびかぬ」ではなくあえて「逆らふ」と詠んだのは、作者がこの土地の歴史を意識しているからだ。有名な戊辰戦争において、決して時の権力に迎合しなかった先祖たちの反骨の気構えを誇りに思っての詠みである。読者としては、その後の「米百俵」の故事も想起され、さらには作者その人の生き方にも思いが及んでゆく。スケールの大きい佳句と言えよう。『身体論』(2008)所収。(清水哲男)




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