2008N10句

October 01102008

 秋風や案山子の骨の十文字

                           鈴木牧之

風と案山子で季重なりだが、案山子にウェイトが置かれているのは明らかゆえ、さほどこだわることはあるまい。「案山子」の語源は、もともと鳥獣の肉を焼き、その臭いを嗅がせて鳥を追い払ったところから「かがし」が正しいという(ところが、私のパソコンでは「かかし」でしか「案山子」に変換できない)。実った稲が刈り取られたあと、だだっ広い刈田に、間抜けな姿でまだ佇んでいる案山子の光景である。稲穂の金波のうねりに揺られるようにして立っている時期の案山子とはまるでちがって、くたびれて今やその一本足の足もとまですっかり見えてしまっている。なるほど案山子には骨のみあって肉はない。竹で組まれた腕と足を、「骨の十文字」とはお見事。寒々しく間抜けているくせに、どこかしら滑稽でさえある。昨今の日本の田園地帯では、もはや案山子の姿は見られなくなったのではないか。数年前に韓国の農村地帯で色どり豊かな案山子をいくつか見つけて驚いたことがある。それは実用というよりも、アート展示の一環だったようにも感じられた。案山子ののどかな役割はもはや終焉したと言っていいだろう。与謝蕪村は「水落ちて細脛高きかがしかな」と詠んでいて、こちらは滑稽味がさらにまさっている。牧之は越後塩沢の人で、縮(ちぢみ)の仲買いをしていて、雪国の名著『北越雪譜』『秋山記行』を著わした文雅の士であった。文政四年(1830)に自撰の『秋月庵発句集』が編まれた。「牧之」は俳号。『秋月庵発句集』(1983)所収。(八木忠栄)


October 02102008

 椎茸の見給うは我が和服かな

                           永田耕衣

思議な句だ。この椎茸はどこにある椎茸なのだろう。人工栽培のために木陰に並べられた椎や楢のほだ木のあちこちにむくむく生え出た椎茸なのか、それともお膳の上に甘辛く煮付けて出された椎茸なのか。丸太の椎茸なら和服を正面に見ているのかもしれないし、皿の中の椎茸なら見上げる視線なのかもしれない。どちらにしてもこの句の中心は椎茸と和服の関係で、椎茸が見ているのが和服を着た自分でなく、和服そのものという発想が面白い。しかもこれと対になって並んでいる句が、「椎茸を見給うは我が和服かな」と、助詞一字を変えるだけで主体と対象との関係を一瞬にして裏返しているのだから、更におかしさが増幅される。椎茸と和服の出会いをこんな風に俳句で創造できる自在な感性が素敵だ。そういえば耕衣翁はなまずが好きでよく句にしているが、椎茸のつるん、ぬめっとした感触はなまずの頭に似てはいないか。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)


October 03102008

 私忌いな世界忌の大夕焼

                           高橋睦郎

のボタンを押す権利を持ってる人が、自分の死後もこの現実世界が続くことをねたましく腹立たしく思い、自らの死の瞬間にボタンを押して世界を消滅させる。そうすれば私忌が世界忌になる。日曜の朝の子供向けドラマのような想定を、死ぬということがむしょうに怖かったころよく考えた。ドラマだとここでウルトラマンか仮面ライダーが現れ、その悪の支配者を倒して終わる。かくしてまた現実世界は平安を取り戻すのである。ここで作者が言うのは「認識」のことだ。知覚するがゆえに我が存する。自分が死ねばおのずから世界も消滅する。自分が死んだあと、自分にとっては存在しない「世界」を夕焼が照らす。これこそ「虚」の美しさだ。『別冊俳句・平成秀句選集』(2007)所載。(今井 聖)


October 04102008

 人形焼ころころ生まる秋日和

                           石原芳夫

田原駅前にあったデパートの地下のガラス張りの一角。人形焼きが次々に焼き上がっていくのを、おそらくぽかんと口を開けて飽きずに見ていた。脈絡も理由もなく、断片的に記憶されている場面の一つ。薄暗い蛍光灯の光の中で続く単純作業に、なぜか見入ってしまうのだった。この句は九月二十四日、吟行句会で出会った一句。吟行場所は浅草だったので、仲見世の人形焼き屋である。この日は朝からよく晴れ少し暑いくらいの一日で、色濃い秋日が浅草の賑やかな風景と混ざり合った、まさに秋日和だった。吟行は、行ばかりになって、吟がおろそかになってはいけない、と言われる。歩いていてもできません、立ち止まってともかく観よ、空を見上げて、それから足元を観よ、とも。それはなにも、眉間に皺を寄せて難しいことを考えよというわけではないだろうけれど、それにしてもついうろうろきょろきょろ。何気なく立ち止まった人形焼き屋の店先で、こんなふうに、軽やかでくっきりした吟行句が生まれることもあるんだなあ、と。(今井肖子)


October 05102008

 夕焼けて玩具の切符は京都行き

                           西宮陽子

焼けは夏の季語ですが、個人的にはむしろ、秋が似合っている感じがするのです。それはたぶん、日の暮れ方の寂しさが、寒さへ向かう季節を連想させるからなのだと思います。一日を終えて、夕焼けを顔いっぱいに浴びながらその日の終点にたどり着く。この句を読んでいると、そんな時の動きが、空間の移動に自然に結びついてきます。とはいうものの、「玩具の切符」というのですから、この移動は遊びの中の出来事でしかありません。作者は、縁側に置きっぱなしにされた子供の遊び道具を見ているのでしょうか。夕焼けがきれいに映し出すその中に、薄っぺらな紙に電車の切符を模した玩具があります。見れば行き先は京都。かつての人生で、京都に行った日のことなども思い出していたのかもしれません。「切符」という言葉を見るだけで、ちょっとうれしくなるのはなぜなのでしょうか。この句を読んでいると、胸がどこかしら、弾んでくるのです。『俳句鑑賞450番勝負』(2007・文芸春秋)所載。(松下育男)


October 06102008

 男なら味噌煮と決めよ秋の鯖

                           吉田汀史

はは、こりゃいいや。俳句で「鯖」といえば夏の季語。まだ痩せていて、そんなに美味いとは思わない。対して「秋の鯖(秋鯖)」は脂がのっていて美味である。もっとも青魚が苦手な人には敬遠されそうだが、味噌煮という調理法はそういう人の口にも入るように開発されたのではあるまいか。あるいは貧弱な夏季の鯖用だったのかもしれない。いずれにしても鯖は釣り人が嫌う(釣っても自慢にはならないから)ほどにたくさん釣れるので、昔から庶民の食卓に乗せられつづけてきた。安定食屋の定番でもあった。そんなありふれた魚ゆえ、能書きも多い。ネットをめぐっていたら、こんな意見が出ていた。「俺は、サバは塩焼きか水煮で食するのが正解なので、味噌煮は間違っているのではないかと思うわけです。というのも、サバって味が濃い魚でしょう。それを味の濃い味噌で食べると、両者の特徴が相殺されてしまって、サバを味わっているのか味噌を味わっているのかがよくわからなくなる。ここはやはり塩焼きが正解なのではないでしょうか」。作者は、よほど味噌煮好きなのだろう。「秋鯖に味噌は三河の八丁ぞ」の句もある。この種の意見の持ち主に対して、ごちゃごちゃ言うな、鯖は味噌煮に限るんだと叱っている。「男なら」の措辞は、味噌煮といういささか大雑把な料理法に通じていて、句に「味」をしみこませている。俳誌「航標」(2008年10月号)所載。(清水哲男)


October 07102008

 水澄むや水のやうなるビルの壁

                           長嶺千晶

句でまず思い浮かべたのは、表参道に並ぶハナエモリビル。立体的な外壁のガラスに街路樹や空が映る様子に「ああ、東京ってすごい」と、素直に見とれたものだった。丹下健三氏の設計によるこのビルは、映り込みを徹底的に意識して作られたものなので、ことに美しく感じたのだが、それにしても最近の高層ビルは全面がのっぺりと鏡のようになっているものが多い。高層化に伴い空が映ったり、雲が映ったりで美しいかといえば、接近しすぎの隣のビルを映しているだけだったりする。それでもビルに映し出される風景は、どこか虚像めいていて、不思議な感触を覚える。掲句も、無機質なビルの壁を見上げているが、それを「水のやう」とまことに美しく捉えている。都会の風景を瑞々しく表現するのは容易でない。しかも「水澄む」という自然界の季語を扱うことで、現代の都会にも季節が流れ、生活が存在することを実感させている。現代社会に顔をしかめるのではなく、この町のなかで、機嫌良く生きていこうとする作者の姿勢に強く共感する。〈百年の秋風を呼ぶ大樹かな〉〈良夜かな人すれ違ひすれ違ひ〉『つめた貝』(2008)所収。(土肥あき子)


October 08102008

 家遠く雲近くして野老掘る

                           佐藤春夫

老(ところ)は薯蕷(とろろ)芋や山芋と属は同じヤマイモ科だが、別のものである。苦いので食用には適さず、薬用とされる。ヒゲ根が多いところから長寿の老人になぞらえて、「海老(えび)」に対して「野老」と記すといういわれがおもしろい。高い山で野老を探して掘りつづけているのである。だから晴れわたった秋空に浮く雲は、すぐ近くに感じられる。もちろん奥山だから、わが家(あるいはその集落)からは、遠いところに来てしまっている。野老を掘っているうちに、いつのまにか山の高いあたりまで到りついたのであろう。広大な風景のなかの澄みわたった空気、その静けさのなかで黙々と掘る人の映像が見えてくる。この場合の「遠」と「近」との対照的な距離が、句姿を大きく見せている。いかにも秋ではないか。春夫の句について、村山古郷は「形や内容にとらわれないで、のびのび嘱目感想を詠んだ」と評している。秋を詠んだ他の句に「柿干して一部落ある夕日ざし」「思ひ見る湖底の村の秋の燈を」などがある。いずれも嘱目吟と思われる。『能火野人(のうかやじん)十七音詩抄』(1964)所収。(八木忠栄)


October 09102008

 弁当は食べてしまつた秋の空

                           麻里伊

動会、ピクニック、山登り。行楽に気持ちのよい季節になった。芝生の上に色とりどりのビニールシートを広げて、それぞれの家族が食事を楽しんでいる。コンビ二やデパートの弁当を買ってきて外で食べるだけでも気分が変わっていいものだけど、弁当の王者はなんと言っても三段重ねの重箱だろう。各地を転勤して回ったなかで一番弁当が豪華だったのは鹿児島の運動会だった。ご近所が誘い合って座る大判のビニールシートの真ん中にいくつも重箱が並び、魔法瓶に詰めた焼酎を酌み交わしていた。このご時世アルコールは禁止になっているだろうが、あの賑わいはよかった。手の込んだ弁当をみんなで食べるのも楽しみだが、梅干をどかんとおいた日の丸弁当でも充分。一粒も残さず食べた空っぽの弁当の蓋を閉じて見上げればどこまでも広がる秋の空。「食べてしまつた」と単純な言葉であるが、楽しい行楽の半ば以上が終わってしまったさみしさと秋空の空白感が響き合っている。運動会、遠足。あんなにもお弁当が楽しみだった子供の、家族の心持ちを懐かしく思い出させる句である。『水は水へ』(2002)所収。(三宅やよい)


October 10102008

 夜昼夜と九度の熱でて聴く野分

                           高柳重信

信は「もの」を写してつくる手法をとらない。現実や風景がそこに在るように写すことの意義を認めない。五感を通して把握した「実感」を第一義に優先して言葉にすることの意義も認めない。俳句に用いる言葉は詩語であるから、言葉自体から発するイメージを紡いでいくのが本質だと思っている。だから彼が伝統俳句を読み解くときも詩語としての働きが言葉にあるかどうかの角度から始める。飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」も最初にこの人が取り上げて毀誉褒貶の論議が起こった。その角度に対する賛否はここでは言わない。ただ、この句、「夜昼夜」の畳み掛けに驚きとリアリティがあり「九度」もまた作者にとっての「真実」を援護する。たとえ、それが仕掛けだろうと伝統的書き方に対する揶揄だろうと。と、これは自分の実感を第一義に考える側に立った角度からの鑑賞である。朝日文庫『金子兜太・高柳重信集』(1984)所収。(今井 聖)


October 11102008

 カンガルー横座りして小鳥来る

                           永沢達明

の通勤途中に仰ぐ空が、日々高くなってきた。そしてどこからともなく降ってくる小鳥の声。それは秋日のように、次々と青空からこぼれ、花水木の小さい赤い実をゆらしている。小鳥来る、主語述語、と具体的でありながら、秋という季節の持つ明るい一面を軽やかに象徴する季節の言葉だ。そこにカンガルー。以前見た横座りしているカンガルーは、肩と肘(?)のあたりや伸びた後ろ脚が、思わずまじまじと見入ってしまうほど人間ぽく、いきなり話しかけられても普通に会話できそうだったのを思い出す。そんな、ふっと笑ってしまうようなカンガルーのはっきりとした姿と、小鳥来る、の持つきらきら感が出会って、一句に不思議なおもしろさと、自由でのびのびとした表情を与えている。明日から、小鳥の声を聞くたびに、カンガルーを思い浮かべてしまいそうな、インパクトの強い句である。『彩 円虹例句集』(2008・円虹発行所)所載。(今井肖子)


October 12102008

 人間が名付け親なり鰯雲

                           酒井せつ子

際に空を仰いで見るというよりも、この季節になると、鰯雲の「写真」をたびたび見ることがあります。ネットであったり、新聞であったり、雑誌であったり、まるで「鰯雲」という新商品がいっせいに発売されたかのように、空の写真が頻繁に日常の中に入り込んできます。たしかにそのすがたは美しく、目を雑誌に落としている瞬間も、遠くの空を見渡しているような心持になるものです。今日の句は、鰯雲の見た目を詠っているのではなく、句を作る発想の足元を、一歩後ろへ下げています。すでにあるものとしてそのものを詠うのではなく、そのものの成り立ちや起源に目を向けることは、俳句の世界では必ずしも珍しいことではありません。それでもこの句が私の目を惹いたのは、「ああそうか、ひとつひとつの名前の奥には、名づけるという人の動作が隠されているのだ」ということを、改めて思い出させてくれたからなのです。さらに、「名付け親」の一語が、妙に物語めいた雰囲気を醸しだしていて、読み手を空想の世界に導いてくれるのです。ただ漫然と空を見上げているだけでも、わたしたちが「名付け親」なのだと思えば、鰯雲との距離も、かすかに近づいてくるはずです。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2008年10月6日付)所載。(松下育男)


October 13102008

 爽やかや弁当の箸忘れをり

                           浅見 百

を忘れたのは小学生くらいのお子さんだろう。句集には、この句の前に「子育ての右往左往に水澄めり」と載っている。普通の日なら学校給食があるので、今日は秋の遠足か運動会か。いずれにしても、子供にとっては愉しかるべき日のはずだ。天気もすこぶるつきの上天気。その爽やかさに作者も気分良く背伸びなどをしているときに、食卓の上に忘れられている箸に気がつき、はっとした。こういうときの親心は、むろん届けてやろうという具合に動く。作者にもかつて箸を忘れた体験があるわけで、あの不便さったらない。私などは仕方がないから、鉛筆を箸代わりにしたものだが、食べにくいし、第一格好が悪い。だから一瞬届けてやろうと気持ちは動いたのだが、しかし作者は「まあ、いいか。何とかするだろう」とそのままにしておくことにした。すなわちこの句の面白さは、天候によって人の気持ちに差異が出ると言っているところだ。これがしとしとと雨の降っている日だったりすると、同じ状況でも、心の動きは違ってくる。とても「爽やか」なので、そんなに深刻には考えないのである。晴天には総じて心をゆったりと持つことができ、悪天候だとくよくよとなりがちだ。そのあたりの人情の機微がさりげなく詠まれていて、いまの私も、なんだか爽やかな気持ちになっている。『時の舟』(2008)所収。(清水哲男)


October 14102008

 さはやかに湯をはなれたるけむりかな

                           安藤恭子

日に引き続き「爽やか」句。人が何をもって爽やかさを実感するかは、まことにそれぞれと思う。掲句は一見、「熱湯」と「爽やか」とはまるで別種なものであるように感じるが、熱された水のなかで生まれた湯気がごぼりと水面へと押し出され、そして「けむり」として空中へと放たれる。立ち上る煙が秋の空気に紛れ、徐々に薄れ溶け込んでいく様子は、心地よく爽快な気分をもって頭に描かれる。「煙」も「けむり」と平仮名で書かれるだけで、水から生まれた透明感を感じさせている。また、水が蒸発して雲になり、雲が雨を降らせ、また地に戻り、という健やかに巡る水の旅の一コマであることにも気づかされる。俳句は語数が限られているだけに、たびたび立ち止まって考えてみることが必要な、ある意味では不親切な文芸である。しかし、そこに含まれている内容が意外であるほど、理解し、共感しえたときの喜びは大きい。一方句集のなかには〈烏賊洗ふからだの中に手を入れて〉という作品も。こちらは掲出の頭に描かれる景色とはまったく逆の、内蔵を引き抜かれ、ぐったりとしたイカの生々しくもあやしい感触を手渡しされた一句であった。〈小揺るぎもせぬマフラーの上の顔〉『朝饗』(2008)所収。(土肥あき子)


October 15102008

 母恋ひの若狭は遠し雁の旅

                           水上 勉

は十月頃に北方から日本にやってきて、春先まで滞在する。真雁(まがん)はきれいなV字形になって飛び、菱喰(ひしくい)は一列横隊で飛ぶ。雁にも種類はいろいろあるけれども、一般によく知られているのは真雁か菱喰である。秋の大空を渡って行く雁を見あげながら、若狭出身の自分は遠いその地に残してきた母を思い出し、恋しがっているのであろう。遠い地にはしばらく帰っていないから、母にもしばらく会っていない。渡る雁は鳴いていて、その声を母を恋う自分の声であるかのように重ねながら、しばし呆然としているのかもしれない。そんな心境を、石田波郷は「胸の上に雁ゆきし空残りけり」と詠んだ。波郷には雁が去って行った空が、勉には故郷若狭が見えている。いきなりの「母恋ひ」は、私などには面映くて一瞬戸惑ってしまうけれども、若い日の水上勉の世界としてみればいかにも納得がいく。ここは北陸の若狭であるだけに、句にしっとりとした味わいが加わった。当方が若い日に読んで感激した直木賞作品「雁の寺」を、やはり想起せずにはいられない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 16102008

 硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ

                           大本義幸

識はなくとも篤実な人柄を感じさせる俳人がいる。この作者の俳句を読むとしみじみと懐かしさがこみあげてくる。「熱き尿放つ京浜工業地帯の夜の農奴よ」「旗を灯に変えるすべなし汗の蒲団」など時代のやるせなさを詠じた句も多いが、重苦しい現実との闘いを経ても作者の心はへし折れることはない。「朝顔にありがとうを云う朝であった。」抒情溢れる句が生み出す優しい強さに力づけられる。掲句について大井恒行は解説で「ついに風が充ちないことを知りながら、なお、充ちてよと願わざるを得ないのである。」と書き綴っている。「硝子器」とは現実に息詰まりそうになる自分自身であろうが、その内側にある精神はすがすがしい風に充たされ、解き放たれることを乞わずにはいられない。純粋なものへの憧れを抱き続ける心がこの国の情けない姿に悲嘆しつつも、「この国に死なむ」とすべてを受け入れようとしているのだろう。苦しみの底にこそ軽やかな精神が存在する。作者がたどってきた複雑な人生の色合いが俳句に織りなされた一冊だと思う。『硝子器に春の影みち』(2008)所収。(三宅やよい)


October 17102008

 ときに犬さびしきかほを秋彼岸

                           山上樹実雄

世というものがあったのなら、僕は犬だったような気がする。初めて出遭った犬も僕には妙に親近感を示す。「不思議よねぇ。この犬、他人にはだめなんだけど」なんて言われるとこちらも尻尾をふりたくなる。昔から犬顔だと言われ、犬という渾名をつけられたこともある。僕はどんな犬だったのだろうか。目をつぶって念じて観ると、白粉花なんかが路傍に咲いている坂のある街が見えてきた。何種もの血が混じってなんとも愛嬌のある風貌をした僕は、毎日そんな坂を上り下りしたのだった。散歩の帰りに坂の上から見る茜雲のきれいだったこと。写生という方法は、瞬間のカットの中に永遠を封印する。秋の日向の道にしゃがんで犬の背や頭を撫でているときに、犬はふっと人間のような表情を見せる。犬の前世は人間だったのかも知れぬ。人間から犬へ、犬から人間へ。輪廻の永遠の時間の中の瞬間が今だ。秋彼岸とはそのことへの意識。『晩翠』(2008)所収。(今井 聖)


October 18102008

 風葬の山脈遠く秋耕す

                           目貫るり子

作の畑に種を撒くことや、稲刈りを終えた田の土を起こすことを秋耕という。春の「耕し」に比べて、気持ちはややゆったりとして、ときおり仰ぐ空は青く高い。くっきりとした稜線を見せながら、仄かに色づきつつある山。そのまた先の見知らぬ山々と、どこまでも続く澄んだ空に、風葬、の一語が風となって渡ってゆく。空葬ともよばれる風葬は、山奥の洞窟や高い木の上、海に向かった断崖などを選んで行われたという。晒される、と考えると、その語感とはうらはらな印象もあるが、この句の風葬の山のその先には、海が広がり遙かな水平線が見える。澄んだ青空から山そして海へ、風と共に彷徨うように運ばれた視線。それを、秋耕す、の下五が、足元の大地へひきもどす。耕すことは生きることであり、遠近の対比は、生と死の対比でもあるのだろう。『彩 円虹例句集』(2008・円虹発行所)所載。(今井肖子)


October 19102008

 秋夜遭ふ機関車につづく車輛なし

                           山口誓子

ふは、あまりよくないことに偶然にあうという意味です。ということは、作者は駅のホームにいたのではなく、どこか街中の引込み線か、金網越しの操車場に向かって歩いていたのでしょうか。夜中にうつむいて、とぼとぼと歩いていたら、突然目の前に機関車がわっと現れた、というのです。それも、本来はいくつもつながっているはずの車輛が、見えません。なにかに断ち切られたようにして、機関車だけがそこにぽつんと置かれてあります。読むものとしては、どうしても機関車を擬人化し、引き離された孤独を感じてしまいます。またその孤独は、操車場近くの暗い道を歩く作者の内面から出たものとして、読み取ろうとしてしまいます。しかし、多くの車両を引くために、日々力強く走る機関車を、家族のために働き続ける世のお父さんやお母さんの姿とダブらせてしまうのは、作者の意図するところではないのでしょう。読み返すほどに、なにげなく置かれた「つづく」の見事な一語が、身にせまる孤独感をさらに増しているように感じられます。『俳句の世界』(1995・講談社)所載。(松下育男)


October 20102008

 色鳥や切手はいまも舐めて貼る

                           川名将義

に渡ってくる小鳥たちのなかでも、マガモやジョウビタキなど、姿の美しいものを「色鳥(いろどり)」と言う。どんな歳時記にもそんな説明が載っているけれど、まず日常用語の範疇にはない。美しい言葉だが、ほとんどの人は知らないだろう。俳句を知っていて少しは良かったと思うのは、こういうときだ。ただし、揚句の色鳥は実物ではなくて、切手に描かれた鳥たちのことを指している。なぜ切手に鳥が多く印刷されているのかは知らない。が、とにかく鳥と花が切手図案の双璧である。切手の世界も「花鳥風月」なのかしらん(笑)。そんな鳥の切手を、作者はぺろりと舐めて貼ったのである。「いまも」と言うのだから、子供の頃からそうしてきたのだ。そして子供の頃から、こういう貼り方には抵抗があったのだろう。オフィスなどで見られる水を含んだスポンジなどで湿して貼るほうが上品だし清潔だし、第一、ぺろっと舐めて貼るなんぞは相手に対して失礼な感じがする。しかし、わかっちゃいるけど止められない。ついつい、ぺろっとやってしまう。それだけの句であるが、人はそれだけのことを、気にしつつも生涯修正しないままに続けてしまうことが実に多い。そのあたりの機微を、この句は上手く言い止めている。なんでもない日常の小事をフレームアップできるのも、俳句ならではのことと読んだ。余談だが、谷川俊太郎さんが「ぼくは切手になりたいよ」と言ったことがある。「それも高額のものじゃなくて、普通の安い切手ね。そうなれれば、いろんな人にぺろぺろ舐めて貰えるもん」。『湾岸』(2008)所収。(清水哲男)


October 21102008

 動物は一人で住んで蓼の花

                           川島 葵

(たで)科の花は、「水引(みずひき)」「溝蕎麦(みぞそば)」「継子の尻拭い(ままこのしりぬぐい)」など、どれも野道で見かけるつつましい花である。その野の花の奥に住む生きものの姿を思い浮かべる。大多数の動物は母親だけで子育てをする。そこに父親と名乗るものが登場しても、彼はあたたかく出迎えられるどころか、侵入者として威嚇されることだろう。さらに親子であっても子離れの早さや、その後の徹底した縄張り争いなどを思うと、動物たちの「一人で住んで」の厳しさを思う。一匹でも一頭でもなく「一人」と書かれることに違和感を覚えるむきもあるだろうが、作者はより人間に引きつけて思いを強くしているのだろう。さらに谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』が、人間の混迷する関係を描く小説だったことを思うと、掲句の「動物」にもうひとつの側面が見えてくる。〈秋澄むや子供が靴を脱ぎたがり〉〈我々の傾いてゐる葦の花〉『草に花』(2008)所収。(土肥あき子)


October 22102008

 刷毛おろす襟白粉やそぞろ寒

                           加藤 武

かにも演劇人らしい視線が感じられる。役者が楽屋で襟首に刷毛で白粉(おしろい)を塗っている。暑い時季ならともかく、そろそろ寒くなってきた頃の白粉は、一段と冷やかに白さを増して目に映っているにちがいない。他人が化粧している様子を目にしたというよりも、ここは襟白粉を塗っている自分の様子を、鏡のなかに見ているというふうにも解釈できる。鏡を通して見た“白さ”に“寒さ”を改めて意識した驚きがあり、また“寒さ”ゆえに一段と“白さ”を強く感じてもいるのだろう。幕があがる直前の楽屋における緊張感さえ伝わってくるようである。もっとも、加藤武という役者が白粉を塗っている図を想像すると、ちょっと・・・・(失礼)。生身の役者が刷毛の動きにつれて、次第に“板の上の人物”そのものに変貌してゆく時間が、句に刻みこまれている。東京やなぎ句会に途中から参加して三十数年、「芝居も俳句も自分には見えないが、人の芝居や句はじつによく見える」と述懐する。ハイ、誰しもまったくそうしたものなのであります。俳号は阿吽。他に「泥亀の真白に乾き秋暑し」「行く春やこの人昔の人ならず」などがある。どこかすっとぼけた味のある、大好きな役者である。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


October 23102008

 省略がきいて明るい烏瓜

                           薮ノ内君代

ことに省略のきいたものは明るい輝きを持っている。俳句もしかり、さっぱりと片付けた座敷も。ところで秋になると見かける烏瓜だけど、あれはいったいどんな植物のなれの果てなのだろう。気になって調べてみると実とは似ても似つかない花の写真が出てきた。白い花弁の周りにふわふわのレースのような網がかかった美しい花。夏の薄暮に咲いて昼には散ってしまうという。「烏瓜の花は“花の骸骨”とでも云った感じのするものである。遠くから見る吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。」と寺田寅彦が『烏瓜の花と蛾』で書いている。烏瓜というと、秋になって細い蔓のあちらこちらに明るい橙色を灯しているちょうちん型の実しかしらなかったので、そんな美しい経歴があろうとは思いもよらなかった。実があるということはそこの場所に花も咲いていたろうに、語らず、誇らず枯れ色の景色の中につるんと明るい実になってぶら下がっている。省略がきいているのはその形だけではなかったのね。と烏瓜に話しかけたい気分になった。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)


October 24102008

 月に脱ぐシャツの農薬くさきかな

                           本宮哲郎

くさい、汗くさい、は労働のイメージの定番。花の匂い、草の匂いは花鳥諷詠の定番。五感のひとつ嗅覚は、他の四つの感覚と並んで、対象から「体」で直接受けとる感動の核である。「農薬くさき」はリアルの中心。ここに「私」も「真実」も存する。この句の隣の頁には「稲架乾く匂ひが通夜の席にまで」がある。この句も嗅覚。「乾く匂ひ」が眼目。稲の匂いや稲架の匂いは言えても「乾く」が言えない。ここが非凡と平凡の岐れ道。もっとも後の句の通夜の席という設定を見れば、従来の俳句的情緒との融和の中での「乾く」。前の句は「月」との融和。わび、寂びや花鳥風月の従来の俳句観も大切にしつつ「私」も同時に押し出す作者の豪腕を思わせる。『日本海』(2000)所収。(今井 聖)


October 25102008

 天高く高層ビルの檻にゐる

                           伊藤実那

い粒子の、ひとつぶひとつぶが見えるような秋晴れの空。そこに突き出している高層ビルの中に作者はいるのだろうか。天高し、ならそんな気がするが、天高く、といわれると、ビルの外から、ビルを見ているようにも思える。檻は、その存在に気づいた時に檻になる。ビルの中で、浮遊しつつ立ち歩いている人々のほとんどは、檻の中に居るとは思っていないだろう。檻の中に居ることは、不自由といえば不自由、安全といえば安全。閉じ込められていると感じるか、守られていると感じるか、ともかくその外へ出たいか、そこを檻の中と気づくこともないまま過ごしてゆくか。作者自身は、空と自分を隔てる一枚のガラスを突き破って飛びたい、と願っているのかもしれない。この句は、「花いばら」と題された三十句の連作のうちの一句。〈花いばら産んでもらつても困る〉で始まる数々の句からは、自分らしさを自分で打破しながら、高きに登ろうとする志が感じられる。俳誌「河」(2008年七月号)所載。(今井肖子)


October 26102008

 きちきちの発条ゆるび着地せり

                           益子 聡

ちきちばったなるものを知らなかったわたしは、この句を読んで、きつきつに押さえられていた発条(ぜんまい)から、手を放した瞬間を詠ったものだと思っていました。空中に飛び跳ねるようにして浮かんだゼンマイは、全身を伸びきったところで地上に落ちてきます。とはいうものの、ゼンマイに季節があるわけのものではなく、小澤實氏の「まるで発条じかけのように感じられる飛び方である」という解説を読んで、なるほどと納得したわけです。ネットで調べれば、きちきちばったとは「飛ぶときにキチキチという音を出す、しょうりょうばったの雄の別称」とあります。ちなみにしょうりょうばったのしょうりょうは、漢字では「精霊」と書くということ。なるほど精霊が宿ったゼンマイなのかと、解説を読んでもまだゼンマイを詠んだ句に思えてしまうから、弱ったものです。ゼンマイというものの、エネルギーを蓄えていたものが一瞬のうちに発散しておとなしくなってゆく様子から、ひとの一生の流れを思い始めてしまうのは、秋も深まってきたからなのでしょうか。金属製のゼンマイにも、幾重にも折り込まれた季節が、隠されているような気がしてきました。「読売俳壇」(「読売新聞」2008年10月20日付)所載。(松下育男)


October 27102008

 紐解かれ枯野の犬になりたくなし

                           榮 猿丸

んだ途端にアッと思った。この句は今年度角川俳句賞の候補になった「とほくなる」五十句中の一句。選評で正木ゆう子も言っているように、山口誓子に「土堤を外れ枯野の犬となりゆけり」がある。揚句がこの句を踏まえているのかどうかは知らないが、私がアッと思ったのは、人間はもとより、犬のありようもまた誓子のころとは劇的に変わっていることを、この句が教えてくれたからである。そう言われれば、そうなのだ。昔の犬は紐を解かれれば、喜んで遠くに駈け出していってしまったものだ。だがいまどきの犬は、人間に保護されることに慣れてしまっていて、誓子の犬のようには自由を喜ばず、むしろ自由を不安に感じるようだと、作者は言っている。犬に聞いてみたわけではないけれど、作者にはそんなふうに思われるということだ。それだけの句と言えばそれまでだが、しかし私には同時に、作者の俳句一般に対する大いなる皮肉も感じられる。つまり、俳句の犬はいつまでも誓子の犬のように詠まれており、実態とは大きくかけ離れていることに気がついていない。むろんこのことは犬に限らず、肝心の人間についても同様だと、作者は悲観しつつもちょっと犬を借りてきて批判しているのだと思う。たとえ作者に明確な批判の意識はないのだとしても、この句はそういうところにつながっていく。今後とも、この作者には注目していきたい。「俳句」(2008年11月号)所載。(清水哲男)


October 28102008

 歩きまはればたましひ揺らぐ紅葉山

                           本郷をさむ

ろそろ都心の街路樹も色づき始めた。淡い色彩で満開になる桜と違い、鮮やかな赤や黄色が満載の紅葉を視界いっぱいに映していると、くらくらとめまいがするような心地になる。それは、単純に色だけの問題ではなく、もしかしたら科学的に身体や視覚に作用するなにかがあるのかもしれないと調べてみたら、紅葉の仕組みはまだ解明されていない点が多いらしい。花見や月見と違って、紅葉を見物することは紅葉狩、「見る」ではなく「狩る」なのである。秋の山の奥へ奥へと進み、紅葉する木々を眺めることは、花や月を愛でつつ飲食を伴う遊山とは違う、きりりと張り詰めた緊張感があるように思う。透き通った空気のなかで原色の世界に身を置く不安が「足を止めてはいけない」と、心を揺さぶるのだろうか。ところで、書名となっている「物語山」とは、群馬県下仁田町にある実在の山だという。名の由来には諸説あるらしいが、この風変わりな名を持つ山では、きっと魂を閉じ込めておくのが難しいほどの美しい紅葉を見せてくれるのではないかと思うのだった。〈物語山返信のやうに朴落葉〉〈コンビニを曲りて虫の村に入る〉『物語山』(2008)所収。(土肥あき子)


October 29102008

 月見酒天動説のまことかな

                           小林直司

時記に月見酒あり、月見団子あり。なるほど、お月見にも辛党と甘党があるわけだ。月見酒とか雪見酒という風流の極致と言いたい言葉は古くからあるけれど、今日、風流をたしなむ俳人はともかくとして、なかなか実行する機会は少ないのではないか。ままよ、さっぱりお月さまが見えない薄闇のなかで、ワイワイ飲んでいる。そんな風情を私は一概に否定はしたくない。コペルニクスが、太陽が宇宙の中心だと唱えた地動説以前の宇宙構造説が天動説である。宇宙科学の「まこと」はともかく、地動説よりも天動説のほうがポエティックではないか? 宇宙原理に基づいた、まっとうな地動説ばかりがまかり通るようでは、世の中はつまらないことおびただしい。「天動説のまこと」とは大胆にずばり言い切ったものである。下五が憎らしいほどに功を奏している。地動説危うしとなって、月見酒の席は気宇壮大にとほうもなく盛り上がっているにちがいない。つい最近、私が参加した句会で「鬼胡桃何がなんでも天動説」に出くわして、思わず高点を投じてしまった。地動説を信じて疑わない精神こそ厄介なのではあるまいか。「朝日新聞」2008年9月29日の「朝日俳壇」で大串章選で入選した句。(八木忠栄)


October 30102008

 朝寒の膝に日当る電車かな

                           柴田宵曲

中にあたる昼の日差しは汗ばむようだが、朝は厚めの上着がほしいぐらい冷え込むようになってきた。おそらくは通勤の膝に当たっている日差しをぼんやりと眺めているのだろう。昔の電車だから今のように暖房が完備されているわけはなく、木の床板や車窓の隙間から入ってくる風に身体をすくめながら膝にあたるかすかなぬくみに朝の寒さを実感している。そんな情景が想像される。作者の『古句を観る』(岩波文庫)はこのコーナーでもよく紹介される本だが、何度読んでも飽きない。元禄時代の無名俳人の句を取り上げているのだが、的をはずさない句の解釈もさることながら、簡潔で味わい深い文章の魅力に引きつけられる。広い教養に裏打ちされた作者の人柄が文章に反映しているのだろう。この本はしばらく絶版だったが、多くの読者の希望で復刊されたと聞く。宵曲は一時期ホトトギスに所属、丸ビルの事務所にも通っていたが、のちには寒川鼠骨を助けて『子規全集』を編集。その交遊のうちに俳句を続けたという。『虚子編季寄せ』(三省堂・1941)所載。(三宅やよい)


October 31102008

 黄菊白菊自前の呼吸すぐあへぐ

                           石田波郷

郷最後の句集の作品。結核による呼吸困難の重篤な状態の中で詠まれた。いわゆる境涯俳句や療養俳句と呼ばれた作品は自分の置かれた状態を凝視する点を意義としている。従来の「伝統俳句」は花鳥風月をテーマとして詠じ、それら「自然」の背後に微小なる存在として、あるいはそれらによって象徴されるべき受身の立場として、「我(われ)」が在った。いな、我はほとんど無かったと言った方がよい。この句、呼吸の苦しさは切実な我を反映しているが、そこに斡旋された季語においては、映像的、感覚的な計らいがなされている。黄菊白菊という音のリズムに乗った上句は、リズムとともに、黄と白のちらちらする点滅を思わせる。危機に瀕している己れの生に向かって波郷は黄と白の信号を点滅してみせる演出をする。波郷の凄さである。『酒中花以後』(1970)所収。(今井 聖)




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