tv句

October 08102008

 家遠く雲近くして野老掘る

                           佐藤春夫

老(ところ)は薯蕷(とろろ)芋や山芋と属は同じヤマイモ科だが、別のものである。苦いので食用には適さず、薬用とされる。ヒゲ根が多いところから長寿の老人になぞらえて、「海老(えび)」に対して「野老」と記すといういわれがおもしろい。高い山で野老を探して掘りつづけているのである。だから晴れわたった秋空に浮く雲は、すぐ近くに感じられる。もちろん奥山だから、わが家(あるいはその集落)からは、遠いところに来てしまっている。野老を掘っているうちに、いつのまにか山の高いあたりまで到りついたのであろう。広大な風景のなかの澄みわたった空気、その静けさのなかで黙々と掘る人の映像が見えてくる。この場合の「遠」と「近」との対照的な距離が、句姿を大きく見せている。いかにも秋ではないか。春夫の句について、村山古郷は「形や内容にとらわれないで、のびのび嘱目感想を詠んだ」と評している。秋を詠んだ他の句に「柿干して一部落ある夕日ざし」「思ひ見る湖底の村の秋の燈を」などがある。いずれも嘱目吟と思われる。『能火野人(のうかやじん)十七音詩抄』(1964)所収。(八木忠栄)


June 3062010

 千枚の青田 渚になだれ入る

                           佐藤春夫

書に「能登・千枚田」とある。輪島市にあって観光地としてもよく知られる千枚田であり、白米(しろよね)の千枚田のことである。場所は輪島と曽々木のほぼ中間にあたる、白米町の山裾の斜面いっぱいに広がる棚田を言う。国が指定する部分として実際には1,004枚の田があるらしい。私は三十年ほど前の夏、乗り合いバスでゆっくり能登半島を一人旅したことがあった。そのとき初めて千枚田を一望して思わず息をのんだ。「耕して天に到る」という言葉があるが、この国にはそのような耕作地が各地にたくさんあり、白米千枚田は「日本の棚田百選」に選ばれている。まさしく山の斜面から稲の青がなだれ落ちて、日本海につっこむというような景色だった。秋になれば、いちめんの黄金がなだれ落ちるはずである。千枚田では田植えの時期と稲刈りの時期に、今も全国からボランティアを募集して作業しているのだろうか。春夫が千枚田を訪れたのはいつの頃だったのか。日本海へとなだれ落ちる青田の壮観を前にして、圧倒され、驚嘆している様子が伝わってくる。いちめんの稲の青が斜面から渚になだれ入る――それだけの俳句であるし、それだけでいいのだと思う。この文壇の大御所は折々に俳句を作ったけれど、雑誌などに発表することはなかったらしい。他に「松の風また竹の風みな涼し」「涼しさの累々としてまり藻あり」など、出かけた土地で詠んだ句がある。いずれも屈託がない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 2832012

 影ふかくすみれ色なるおへそかな

                           佐藤春夫

の「おへそ」はもちろん女性のそれだけれども、春夫は女性の肉体そのものを直接のぞいて詠ったわけではない。ミロのヴィーナスの「おへそ」である。一九六四年に上野の国立西洋美術館にやってきて展示され、大きな話題を呼んで上野の山に大行列ができた。その折、春夫は一般の大行列に混じって鑑賞したわけではなく、特別に許されて見学者がいないところで、ヴィーナスに会うことができたのだという。それにしても「すみれ色」とはじつに可憐で奥床しく、嫌味がない。春夫があの鋭い目と穏やかならざる凄みのある表情で、「おへそ」をじっと睨みつけている様子が想像される。私は後年、パリのルーブル美術館で通路にさりげなく置かれたヴィーナス像を、まばらな見学者に拍子抜けしながら、しげしげと見入ったことがあったけれど、さて、おへその影が何色に見えたか記憶にない。同じときに春夫は「宝石の如きおへそや春灯(はるともし)」という句も作っている。「宝石」よりは「すみれ色」のほうがぴったりくることは、誰の目にも明らか。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


July 1372016

 凉しさの累々としてまり藻あり

                           佐藤春夫

海道の阿寒で詠まれた句である。北海道ゆえに夏なお凉しいはずである。湖畔に行くと、波に揺られながらまり藻がいくつか岸辺に漂っている。累々と浮かんでいる緑色のまり藻が、視覚的にも凉を感じさせてくれる。まり藻は特別天然記念物である。私は学生時代の夏休みに北海道一周の旅の途次、阿寒湖畔に立ち寄り、掲出句と同じような光景に出くわしたことをよく記憶しているが、現在はどうか? 現在は、立派な展示観察センターができていて、まり藻を詳しく観察することができるし、マリモ遊覧船で湖上を島へと渡ることもできるらしい。当時、傷んでいるまり藻は展示室でいくつか養生されていて、回復すると湖に戻してやるということをやっていた。その旅ではみやげもの店で売っているニセモノのマリモを買ったっけ。マリモは別の種類のもの(フジマリモ)が、山中湖や河口湖などに生息しているという。春夫には他に松江で詠んだ句「松の風また竹の風みな凉し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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