October 142008
さはやかに湯をはなれたるけむりかな
安藤恭子
昨日に引き続き「爽やか」句。人が何をもって爽やかさを実感するかは、まことにそれぞれと思う。掲句は一見、「熱湯」と「爽やか」とはまるで別種なものであるように感じるが、熱された水のなかで生まれた湯気がごぼりと水面へと押し出され、そして「けむり」として空中へと放たれる。立ち上る煙が秋の空気に紛れ、徐々に薄れ溶け込んでいく様子は、心地よく爽快な気分をもって頭に描かれる。「煙」も「けむり」と平仮名で書かれるだけで、水から生まれた透明感を感じさせている。また、水が蒸発して雲になり、雲が雨を降らせ、また地に戻り、という健やかに巡る水の旅の一コマであることにも気づかされる。俳句は語数が限られているだけに、たびたび立ち止まって考えてみることが必要な、ある意味では不親切な文芸である。しかし、そこに含まれている内容が意外であるほど、理解し、共感しえたときの喜びは大きい。一方句集のなかには〈烏賊洗ふからだの中に手を入れて〉という作品も。こちらは掲出の頭に描かれる景色とはまったく逆の、内蔵を引き抜かれ、ぐったりとしたイカの生々しくもあやしい感触を手渡しされた一句であった。〈小揺るぎもせぬマフラーの上の顔〉『朝饗』(2008)所収。(土肥あき子)
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