October 152008
母恋ひの若狭は遠し雁の旅
水上 勉
雁は十月頃に北方から日本にやってきて、春先まで滞在する。真雁(まがん)はきれいなV字形になって飛び、菱喰(ひしくい)は一列横隊で飛ぶ。雁にも種類はいろいろあるけれども、一般によく知られているのは真雁か菱喰である。秋の大空を渡って行く雁を見あげながら、若狭出身の自分は遠いその地に残してきた母を思い出し、恋しがっているのであろう。遠い地にはしばらく帰っていないから、母にもしばらく会っていない。渡る雁は鳴いていて、その声を母を恋う自分の声であるかのように重ねながら、しばし呆然としているのかもしれない。そんな心境を、石田波郷は「胸の上に雁ゆきし空残りけり」と詠んだ。波郷には雁が去って行った空が、勉には故郷若狭が見えている。いきなりの「母恋ひ」は、私などには面映くて一瞬戸惑ってしまうけれども、若い日の水上勉の世界としてみればいかにも納得がいく。ここは北陸の若狭であるだけに、句にしっとりとした味わいが加わった。当方が若い日に読んで感激した直木賞作品「雁の寺」を、やはり想起せずにはいられない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
June 242015
母恋ひの舳倉(へくら)は遠く梅雨に入る
水上 勉
能登半島の先端輪島の沖合に舳倉島はある。周囲5キロの小さな島である。一般にはあまり知られていないと思われる。近年は定住者もあり、アワビ、サザエ、ワカメ漁がさかんで、海士の拠点になっているという。野鳥観察のメッカとも言われるから、知る人ぞ知る小島である。私はもう40年ほど前に能登半島を一人旅したとき、輪島の浜から島を眺望したことがあった。鳥がたくさん飛び交っていた。作者は「雁の寺」や「越前竹人形」「越後つついし親不知」などで知られているが、母恋物を得意とした。梅雨の時季に淋しい輪島の浜にたたずんで、雨にけむる舳倉島をじっと眺めて感慨にふけっている様子が見えてくる。「母恋ひの舳倉」の暗さは、心憎いほどこの作家らしく決まっている俳句である。母への愛着恋着は時代の変遷にかかわりはあるまいけれど、「母恋ひ」などという言葉は近ごろ聞かれなくなった。作者には似た句で、他に「母恋ひの若狭は遠し雁の旅」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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