October 202008
色鳥や切手はいまも舐めて貼る
川名将義
秋に渡ってくる小鳥たちのなかでも、マガモやジョウビタキなど、姿の美しいものを「色鳥(いろどり)」と言う。どんな歳時記にもそんな説明が載っているけれど、まず日常用語の範疇にはない。美しい言葉だが、ほとんどの人は知らないだろう。俳句を知っていて少しは良かったと思うのは、こういうときだ。ただし、揚句の色鳥は実物ではなくて、切手に描かれた鳥たちのことを指している。なぜ切手に鳥が多く印刷されているのかは知らない。が、とにかく鳥と花が切手図案の双璧である。切手の世界も「花鳥風月」なのかしらん(笑)。そんな鳥の切手を、作者はぺろりと舐めて貼ったのである。「いまも」と言うのだから、子供の頃からそうしてきたのだ。そして子供の頃から、こういう貼り方には抵抗があったのだろう。オフィスなどで見られる水を含んだスポンジなどで湿して貼るほうが上品だし清潔だし、第一、ぺろっと舐めて貼るなんぞは相手に対して失礼な感じがする。しかし、わかっちゃいるけど止められない。ついつい、ぺろっとやってしまう。それだけの句であるが、人はそれだけのことを、気にしつつも生涯修正しないままに続けてしまうことが実に多い。そのあたりの機微を、この句は上手く言い止めている。なんでもない日常の小事をフレームアップできるのも、俳句ならではのことと読んだ。余談だが、谷川俊太郎さんが「ぼくは切手になりたいよ」と言ったことがある。「それも高額のものじゃなくて、普通の安い切手ね。そうなれれば、いろんな人にぺろぺろ舐めて貰えるもん」。『湾岸』(2008)所収。(清水哲男)
September 102013
羊羹の夜長の色を切りにけり
川名将義
残暑がどれほど長い尾を引いていようと、日がずいぶんと短くなったことだけは確かだ。本日の東京の日の出は午前5時20分、日の入りは午後5時56分と、夏至の頃と比べると日の出は一時間遅く、日の入りは一時間早くなった。実際にもっとも夜が長くなる冬至だが、夜長という言葉はこの時期のほんの少し前とのギャップが思わせるもので、夜そのものに抱くイメージもさみしさより懐かしさを募らせるものだ。掲句は羊羹を前にして、夜長の色という。たしかに切り分けるときのねっちりとした手応えと、漆黒というより小豆の赤みを凝縮した暗色に覚える安らぎは、長い夏を終えたというひとごこちが思わせるものだろう。いつもは敬遠している強烈な甘さも、長い夜を楽しむための濃いお茶とともに、一切れ欲しくなる夜である。『海嶺』(2013)所収。(土肥あき子)
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