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October 27102008

 紐解かれ枯野の犬になりたくなし

                           榮 猿丸

んだ途端にアッと思った。この句は今年度角川俳句賞の候補になった「とほくなる」五十句中の一句。選評で正木ゆう子も言っているように、山口誓子に「土堤を外れ枯野の犬となりゆけり」がある。揚句がこの句を踏まえているのかどうかは知らないが、私がアッと思ったのは、人間はもとより、犬のありようもまた誓子のころとは劇的に変わっていることを、この句が教えてくれたからである。そう言われれば、そうなのだ。昔の犬は紐を解かれれば、喜んで遠くに駈け出していってしまったものだ。だがいまどきの犬は、人間に保護されることに慣れてしまっていて、誓子の犬のようには自由を喜ばず、むしろ自由を不安に感じるようだと、作者は言っている。犬に聞いてみたわけではないけれど、作者にはそんなふうに思われるということだ。それだけの句と言えばそれまでだが、しかし私には同時に、作者の俳句一般に対する大いなる皮肉も感じられる。つまり、俳句の犬はいつまでも誓子の犬のように詠まれており、実態とは大きくかけ離れていることに気がついていない。むろんこのことは犬に限らず、肝心の人間についても同様だと、作者は悲観しつつもちょっと犬を借りてきて批判しているのだと思う。たとえ作者に明確な批判の意識はないのだとしても、この句はそういうところにつながっていく。今後とも、この作者には注目していきたい。「俳句」(2008年11月号)所載。(清水哲男)


January 0212011

 ノートパソコン閉づれば闇や去年今年

                           榮 猿丸

時記によると、去年今年とは、「去年と今年」という並列の意味ではなく、年の行き来のすみやかなことをいうとあります。ということは今日の句は、大晦日の夜から元旦にかけてノートパソコンで作業をしていたことになります。ノートパソコンという言葉から思いつくのは、やはりオフィスの中です。深夜の、それもその年の最後まで仕事をしているところを想像してしまいます。年末まで仕事をしていた同僚も、一人、二人と「よいお年を」の挨拶をして帰っていったなと、思いながら集中して画面に見入っていたようです。気がつけば広いオフィスは自分のところだけに電気がついていて、あとは右も左も真っ暗です。やっと終えた仕事は、年初の会議に使う資料ででもあるのでしょうか。「なんとか終わったか」と安堵して時刻を見れば、気づかぬうちにすでに新年を迎えてしまっています。ほっと一人で笑みがこぼれてきます。明かりを消して、やっと昨年と、PCが閉じられます。『超新撰21』(2010・邑書林)所載。(松下育男)


January 2012011

 M列六番冬着の膝を越えて座る

                           榮 猿丸

技場の座席を思うか、劇場の座席を思うかで状況はだいぶ変わってくる。天皇杯、ライスボール、全国大学ラグビー、一月は見ごたえのある試合が目白押し。そういえば冬の競技場の雰囲気はナイターと雰囲気が違うなぁ。掲句を読んで思った。座席が狭くて、「すみません、すみません」と膝を脇へよけてもらいながら自分の席に座る状況はいっしょだが、ナイターの場合はひょいひょいと軽快に越えてゆく感じ。カクテル光線に照らし出された球場のざわめきも冬の競技場のそれとは違う。冬着の膝なんてまわりくどい言い方をせずに「着ぶくれ」という季語があるじゃないか、と見る向きもあろうが、季語はときには現実世界を大雑把にくるんでしまう。着ぶくれは上半身にポイントが置かれ、脚の動きは置き去りにされる感じ。字余りを押して書かれた座席番号と冬着の膝に微妙なニュアンスが感じられる。『超新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


March 2032014

 蒲公英や三つ揃ひ着てヘルメット

                           榮 猿丸

付バイクにでも乗るのだろうか。この頃は三つ揃いの背広姿の人もあまり見かない。例えば建設現場を見にきた重役なら上等そうな三つ揃いスーツにヘルメットという姿はありそう。だけど、そんな重さは蒲公英に似つかわしくない。ここは可憐な蒲公英との取り合わせで、春らしく明るいシーンが似合う。普段はTシャツにジーンズで跨がる原付に今日は三つ揃い。結婚式かパーティーか初出勤か。ヘルメットと三つ揃いのアンバランスが特別な日を感じさせる。その華やいだ気持ちを春の日差しを浴びて輝く蒲公英が引き立てている。丸く愛嬌のある蒲公英は胸元に挿しても似合いそうな。『点滅』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2442014

 風車売居座る警備員囲む中

                           榮 猿丸

楽で賑わう公園の近辺に「物売り禁止」の看板があちこちにかかっている。隅々まで管理の行き届いた都会では「街角の風を売るなり風車」と三好達治が詠んだ牧歌的光景なんてない。しかし、この句にある滑稽な哀感は今の時代ならではのもの。囲まれてだんだんと意地になってくる風車売。力づくでどかすわけにもいかず、顔を見合わす警備員の困惑ぶりを考えると何となくおかしい。どんなトラブルも少し距離をおいてみると戯画的な要素を多分に含んでいる。ささいなことなのに「まあいいじゃない」と流せないのは、今の世の中が杓子定規で余裕がないせいだろうか。そんな思惑をよそにからから回る風車。このあと風車売りはどうなったのだろう。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)


December 29122014

 暖房の室外機の上灰皿置く

                           榮 猿丸

煙家ならば、誰もがうなずける句だろう。いまではたいていの室内が禁煙だから、吸いたいときには室外に出ざるを得ない。句は、オフィスの室外だろうか。寒風の吹くなか、震えながらの喫煙となるが、灰皿を持って出ても、適当な置き場所もないので手近の室外機の上に置いている。そもそも室外機の上に物を置く行為がなんとなく後ろめたいうえに、そんなことまでして煙草を吸う惨めさが身にしみてきて、およそゆったりとした気分にはなれない。だが、それでも吸いたいのが煙草好きの性なのだ。味わうなんてものじゃなく、とにかく煙を吸ったり吐いたりする行為にこそ、意味があるわけだ。どんな職場にもそうした男たちが何人かは存在する。仕事ではウマが合わなくても、こういう場所では同志的連帯感がわいてくる。これからの季節、しばらくはこんな情景があちこちで見られるだろう。喫煙者以外には、わかりにくい句かもしれない。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)


January 2212015

 雪の教室壁一面に習字の雪

                           榮 猿丸

庭一面に降り積もった雪、体育館も渡り廊下の屋根も雪で覆われている。人いきれで曇った窓を手で拭って見ると普段の学校とは全然違う景色が広がっている。そして、教室の後ろの壁一面には生徒たちが習字の課題で書いた「雪」が黒々と張り出されている。40枚近く連続した「雪」「雪」「雪」の文字が様々な書きぶりで踊っているのだ。生徒たちでにぎわう教室より、授業が終わって閑散とした薄暗い教室で降る雪と壁面いっぱいに張り出されている「雪」に囲まれている情景を想像するとより印象的で、映画のワンシーンのようだ。「雪の教室」という出だしと結語の「習字の雪」というリズムも響きも良くて一読忘れがたい句である。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)




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