G黷ェユ憂句

November 11112008

 胎児いま魚の時代冬の月

                           山田真砂年

児は十ヵ月を過ごす母胎のなかで、最初は魚類を思わせる顔から、両生類、爬虫類を経て、徐々に人間らしい面差しを持つようになるという。これは系統発生を繰り返すという生物学の仮説によるものであり、掲句の「魚の時代」とはまさに生命の初期段階を指す。母なる人の身体にも、まだそう大きな変化はなく、ただ漠然と人間が人間を、それも水中に浮かぶ小さな人間を含んでいる、という不思議な思いを持って眺めているのだろう。おそらくまだ愛情とは別の冷静な視線である。立冬を迎えると、月は一気に冷たく締まった輪郭を持つようになる。秋とははっきりと違う空気が、この釈然としない胎児への思いとともに、これから変化するあらゆるものへの覚悟にも重ってくる。無条件に愛情を持って接する母性とはまったく違う父性の感情を、ここに見ることができる。〈秋闌けて人間丸くなるほかなし〉〈虎落笛あとかたもなきナフタリン〉『海鞘食うて』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1122009

 冬の坂のぼりつくして何もなし

                           木下夕爾

な坂道をくだるとき、前方はよく見えている。けれども、坂道をのぼるときはもちろん前方は遠くまで見えているとはかぎらない。坂のむこうには空だけ、あるいは山だけしか見えていないかもしれない。その坂をのぼりきったところで、冬は何もないかもしれないのだ。いや、枯れ尽くした風景か冬の風物が、忘れ物のようにそこにあったとしても、まるで何もないように感じられるのだろう。春、夏、秋では「何もなし」とはならない。もっとも掲出句の場合は、現実の風景そのものというよりも、心象的な空虚感も詠みこまれているのではあるまいか。冬の寒々とした風景は、場合によってはもはや風景たり得ていないこともある。そこには作者の心の状態が、色濃く影を落としているにちがいない。懸命に坂をのぼってきてようやくのぼりきったのに、達成感よりもむしろ空虚感がぽっかり広がるのみで、作者の心に満たされるものとてない。ここに一つの人生論的教訓みたいなものまで読みとりたいと、私は思わないけれど、何やらそのようなものが感じられないこともない。寒々しい冬にふと感じられた、風景と心のがらんどう「何もなし」を、素直に受けとめておこう。夕爾には「樹には樹の哀しみのありもがり笛」という句もある。『菜の花集』(1994)所収。(八木忠栄)


December 12122009

 耳剥ぎに来る風のあり虎落笛

                           加古宗也

これを書いている間もずっと、ヒューという音がし続けている。現在仮住まい中のマンションの五階、南に向いた振り分けの部屋のうち東側の六畳間、他の部屋ではこの音はしない。いろいろ試してみた。サッシを少し開けると、太めに音色が変わり、思いきり開けると音は止む。玄関を始め、家のどこかを開けるとこれまた音は止む。いくらそ〜っとサッシを閉めても、風はうっかり見逃すということはなく、この部屋のサッシのわずかな隙間に気づいて、もの悲しげな音をたて続けるのだ。昼は別の部屋の窓を少し開けておけば音はしないが、寒くなってきたので夜はそうはいかない。目を閉じて聞いていると、虎落笛(もがりぶえ)のようでもある、やや単調だけれど。それにしても、掲出句の、剥(は)ぐ、は強烈だ。「虎」の字とも呼び合って、まさに真冬の烈風を思わせる。それこそ窓をうっかり開けたら、突然恐ろしいものが飛び込んできそうだが、吹き荒れる木枯を聞き恐いものを想像しながら、ぬくぬくと布団をかぶっているのは、これまたちょっと幸せでもある。原句の「剥」は正字。「俳句歳時記 第四版 冬」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


January 2612014

 遥かなる瀬戸の海光探梅す

                           小尻みよ子

梅は、宋代の漢詩に使われて以来、連歌、俳諧に用いられるようになった晩冬の季語です。つぼみのなか、梅の開花を探しに行く、風雅な冬のお散歩です。掲句(平成11年作)は、遥か向こうに瀬戸内の穏やかな海の光を見て探梅しているので、のどかな丘陵でしょう。ところで、平成12年作に「海望む吾子の墓所や木の葉降る」があり、「瀬戸の海光」は亡き息子がつねに見続けている遥かな先であることがわかります。1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に侵入した目出し帽の男が散弾銃をいきなり発射、支局員だった小尻知博記者(当時29歳)が命を奪われました。「未解決今日もあきらめ明日を待つ」「知博に会いに行く道今日も過ぎ」「おもいだす地名も辛し西宮」。句集前半の84句に季語はほとんどありません。それが、平成5年作「夢叶はざりし子の忌近づく雉子の声」同6年作「来し方をゆさぶる真夜の虎落笛」と、季語を読み込むことで句に変化が現れてきます。決して忘れることのできない不条理な悲しみを、季語が共鳴しているようです。「探梅す」の掲句にいたっては、ややもすると内向きになりがちな気持ちを外に向かわせてくれている作者の心持ちをたどることができます。季語が、前向きに生きる応援をしています。なお、句集の中で特筆したいのは、加害者に対する怨みの一言もない点です。高貴な心に触れました。『絆』(2002・朝日新聞社)所収。(小笠原高志)


February 0122015

 天の邪鬼虎落笛をば吹き遊ぶ

                           相生垣瓜人

五は「吹き遊(すさ)ぶ」とルビがあります。そこに、へそ曲がりな天の邪鬼のふるまいが表れています。天の邪鬼は、虎落笛(もがりぶえ)で冬の烈風を吹き遊んでいる。それを聞く人は、寒々とした心持ちになりますが、性根の曲がっている天の邪鬼は、聞いて怯える子どもらを笑い飛ばしています。しかし、天の邪鬼には悪気はなく、ふつうに冬将軍を楽しんでいるだけなのでしょう。だからかえってたちが悪い。そのような、天の邪鬼を主体とした句作が面白く、それは、季節を詠んでいるということにもなります。句集には他に、「虎落笛胡笳の聲にも似たらむか」があり、「胡笳(こか)」は、アシの葉を巻いて作った笛で、悲しい音が出るそうです。また、「徒然に吹く音あれや虎落笛」。この句の主体も、風が竹垣を奏でる冬を広くとらえたものでしょう。なお、「もがり」は古くは「殯」で、高貴な人を仮葬すること。後にその木や竹の囲いをもがりと呼びました。それが、戦場で防衛するための柵となり、虎落の名がついたといいます。以降、転じて、人を通さない縄をもがり縄と言い、横車を押す者、ゆすりたかりをもがり者というのもそこから出てきているようです。だから、天の邪鬼が虎落笛で遊ぶのは、然るべきなんですね。『相生垣瓜人全句集』(2006)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます