O迪子句

November 22112008

 汲みたての水ほのめくや冬桜

                           三橋迪子

開という言葉はあまり似合わない冬桜だが、ご近所のそれは日に日に花を増やして咲き続けている。最初の一輪を見てからもうずいぶん経つが、立ち止まって眺めている人はほとんどいない。白く小さい花は花期の長さも梅に似ているが、まさに〈冬桜野の梅よりも疎なりけり 沢木欣一〉の風情だ。掲出句の背景はそんな冬桜のある庭。ほのめく、という、淡さを思わせる言葉によって、冬桜の静かなたたずまいが思われる。そう感じてから、あらためて、ほのめくの主語は何かな、と考えると、やはり水か。水がほのめく、とはどんな様子なのか。おそらくこの水は、水道からバケツに汲まれたのではなく、井戸から手桶へ汲み上げられたのだろう。寒いと、汲みたての井戸水にはわずかにぬくもりが感じられる。外気が冷たければ、はっきりとではないが、なにかゆらゆらとたちのぼるようにも思われる。そんな水の質感が、ほのめく、で表現されているのだろう。ほのめく、には、ほのかに見える、の他に、ほのかに匂う、の意味もあるというが、この場合は前者と思う。本棚でふと目にとまった濃淡の茶に白のラインが、紙本来の美しさと、なんとなく冬を感じさせる装丁の「俳句歳時記(藤原たかを編)」(2000・ふらんす堂)所載。(今井肖子)




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