2008N12句

December 01122008

 谷内六郎のおかつぱ冬夕焼

                           山田富士夫

かっぱ頭でいちばん有名なのは、サザエさん家のワカメちゃんだろう。戦後すぐに登場したこの女の子の髪形は、現在まで一度も変わっていない。漫画ならではの特権だが、作者や私が子供だったころの女の子は、ほぼ全員が同様におかっぱだった。学校での集合写真が、そのことを証明している。谷内六郎が好んで描いたのも、おかっぱや三つ編みの少女である。そして、誰もが同じ顔をしている。ノスタルジーにとって重要なのは、このようなキャラクターや周辺の風景などの単純化だろう。むろん実際にはやんちゃな子、内気な子などいろいろいたのだけれど、振り返ってみればそのようなキャラクターなどはどうでもよくて、みんな同じに幼かったという一点で、郷愁の焦点は絞られるものなのだ。長い歳月が、過去の細々とした現実を洗い流してしまうとでも言うべきか。このときに冬の夕焼けは、ノスタルジーの深度をより増幅させるのに効果的だ。時刻も早く、すぐに消えてしまう冬の夕焼け。作者は谷内六郎の絵を見ながら、思い出しているのは実は女の子のだれかれのことではなくて、おかっぱの女の子たちと一緒だったそのころの自分のことなのだと思う。その自分のありようからしてもはや単純であるという思いが、歳月茫々の観を深め、ふたたび三度おかっぱの絵に戻っては、ここまで生きてきた人生の不思議を思っていると読んだ。そう言えば天野忠に『単純な生涯』という凄い詩集がある。『砂丘まで一粁』(2008)所収。(清水哲男)


December 02122008

 ひよめきや雪生のままのけものみち

                           恩田侑布子

句は「生」に「き」のルビ。上五の「ひよめき」とは見慣れぬ言葉だが、「顋門」と表記し、広辞苑によると「幼児の頭蓋骨がまだ完全に縫合し終らない時、脈拍につれて動いて見える前頭および後頭の一部」とある。身体の一部とはいえ、「思」という漢字が使われていることや、大人になれば消滅してしまうものでもあり、幼児期だけに見られる、思考が開閉する場所のように思えるのだ。掲句では、雪野原のなかで踏み固められた一筋のけものみちに、ひよめきをそっと沿わせた。乱暴に続く雪の窪みが幼児の骨の形態を連想させるだけでなく、ただ食べるために雪原を往復するけものの呼吸が、熱く伝わるような、ひよめきである。〈刃凍ててやはらかき首集まり来〉〈ひらがなの地獄草紙を花の昼〉『空塵秘抄』(2008)所収。(土肥あき子)


December 03122008

 木枯やズボンの中に折れ曲がり

                           嶋岡 晨

枯を詠んだ俳句は古今、いったいどれだけの数にのぼるだろうか。それにしても、ズボンの中に木枯を呼びこんだ例は他にあるのかしらん? しかも、その木枯は「折れ曲が」っているのだから尋常ではない。いや、そもそもズボンは折れ曲がるものなのだ。ズボンの中の木枯は脛毛に戯れ、寒そうな脛の骨を容赦なくかき鳴らし、ボキボキと折れ曲がっているのかもしれない。痛々しく折れ曲がったあたりが一段と寒く感じられる。そもそもズボンの中というのは暖かいはずなのに、妙に寒々しさが感じられる場所ではないか。冬の早朝に、ズボンに脚を通す瞬間のあのひんやりとした感触は、男性諸氏ならとっくに実感済みのはず。大きいワザとユーモアとを感じさせる句である。晨(しん)は詩人で、エリュアールやアラゴンの訳詩でも知られる。句集の跋文冒頭に「昭和が平成に改まったころから、何故か意識的に俳句(のようなもの)を書きとめるようになった」とある。もともと詩の仲間でもあった平井照敏に兄事したこともある。他に「木枯に肋の骨のピチカート」という一句もある。木枯が脛の骨と肋の骨とを吹き抜けて、寒々とした厳寒を奏でているようではないか。『詩のある俳句』という著作もある。『孤食』(2006)所収。(八木忠栄)


December 04122008

 くちびるへ鞭のにほひの冬の雲

                           須藤 徹

二月に入り寒さも本格的になってきた。「くちびる」を意識するのは冷たい空気に唇が乾燥して荒れるこれからだろう。細く裂けてざらっと舌に触れる唇の皮、それをそっと歯先にはさんで痛いぎりぎりまで引っ張ってみる自虐的な気持ち。その気分が「鞭」という言葉で表わされているようだ。ひゅっと宙を切る鞭の鋭い音や口に感じる皮の味を「にほひ」に転化させることで鞭が実在感をもって迫ってくる。感覚に直接的に訴えかける物の匂いを「冬の雲」に繋げることで、内部へ向かいかけた読み手の気分が雲に閉ざされた空を見上げる視線へと切り替わる。言葉と言葉の連関をたどることで味覚、嗅覚、視覚と感覚が立体的に立ち上がり、冬ざれの景へと広がってゆくのだ。そのとき初めて、何気なく置かれているように見える言葉が作者によって周到に配置されたものであるのに気づかされる。こんなふうに言葉で別の世界へ誘われるたび俳句が好きになる。『さあ現代俳句へ』(1989)所載。(三宅やよい)


December 05122008

 雪嶺の古びゆくなり椀のふち

                           八田木枯

の山脈の峰々を木の椀の縁に並べてみている。この椀はなんとか塗りの逸品などではなく、日常、飯など盛って使い古した椀だ。椀とともに人間の営みがあり、人生が展開し、それを外側から大きく包みこんで雪嶺がある。雪嶺が山ばかりの国、日本の象徴だとすれば、椀は貧しい戦後の日本人の生活の象徴。「私」の老いもそこに重ねて刻印される。ひとつの椀とともに日本も私も古びてゆくのだ。作者は山口誓子門。誓子の言う「感性と知性の融合」をまた自己の信条とする。「雪嶺」は概念や象徴としての雪嶺。そのときその瞬間の個別の雪嶺とは趣きを違える。感性と知性のバランスに於いては、師よりも知性重視の傾向が見える。そこが個性。『あらくれし日月の鈔』(1995)所収。(今井 聖)


December 06122008

 原人の顔並びをり夕焚火

                           小島 健

い時、温かいものはありがたい。たとえばお風呂、湯船に首までつかると心身共にくつろぐ。でも、お風呂が心地よいのは温かいからだけではない、浮力が大きい要素なのだと思う。体が軽く感じられることが、心地よさを増している。そして焚火。街中ではもうできないが、ともかく焚火をしていると自然に人が集まってきたものだ。もちろん温かいからなのだが、これもそれだけではない。炎には人を惹きつける何かがあるからだろう。ものが燃えるさまには、つい見入ってしまう。焚火を囲んで、不規則にゆらめく炎に照らされた顔は、みなじっとその炎を見つめている。まったく違った顔でありながら、炎を見つめるどこか憑かれたような表情には、初めて火を自ら作り出した原始の血の片鱗が、等しく見えているのだろう。そして変わらず地球は回り続けて、短い冬の夕暮が終わる。『蛍光』(2008)所収。(今井肖子)


December 07122008

 入れものがない両手で受ける

                           尾崎放哉

由律俳句といっても、その表れ方は作品によってさまざまです。ですから読み手も作品ごとに、受け止め方を変えなければなりません。今日の句に限っていうなら、この短い作品には、もともと具体的なものや人、あるいは季語があったのに、なんらかの理由で取り払われてしまったのではないかと、感じさせるものがあります。読者としては、とうぜん失われたものがなにかということに思いを馳せることになります。作者はいったい何を受け取ろうとしていたのか。あるいはどんな姿勢をとっていたのか。手の形はどうしていたのか。しばらく考えをめぐらせたあとで、そんな詮索が意味のないことであると知るのです。結局、作者が詠みたかったのは、失われた「入れもの」自体であったと気づくのです。何ものも媒介するものがなく、この世をじかに受け止めていることの心細さ、といってしまっては解釈が単純すぎるでしょうか。五七五という熱い「入れもの」を手放した作者の思いを、両手でじかに受け止めさせられているのは、ほかならぬ読者なのかもしれません。『底のぬけた柄杓』(1964・新潮社)所載。(松下育男)


December 08122008

 人込みに又逢ふ人や十二月

                           植田 航

年を迎えるための買い物客でごったがえしている「人込み」だろう。歳末の人込みは、普段のそれとはだいぶ違う感じがする。物理的には変わらないにしても、普段のそれが人々の目的意識がばらばらであるのに比して、年末のそれはおおかたが年用意のためとわかっているからだ。見知らぬ他人にも、なんとなく連帯感のような感情すら覚えてしまう。この「又逢ふ人」は見知らぬ人であっても構わないけれど、むしろ顔見知りのほうが面白い。そんなに親しくはないが、道で会えば会釈をかわすくらいの関係である。だから最前、人込みですれ違ったときにも、お互いにすぐに気がついて、軽く頭をさげあったばかりなのだ。が、作者が買い物に手間取ってうろうろしているうちに、またその人に出会ってしまった。先方も、たぶんうろうろと同じところを歩き回っていたのだろう。こういうときは、なまじ顔看取りであるだけに、バツが悪い。もう一度会釈をするわけにもいかないので、半分は口の中で「やあ」などと言いながら苦笑ともなんとも言い難い表情をつくるしかないのである。いかにも「十二月」ならではの人情の機微を良くとらえた佳句である。『半日の旅』(2008)所収。(清水哲男)


December 09122008

 勇魚くる土佐湾晴れてきたりけり

                           濱田順子

魚(いさな)とは鯨の古称。土佐湾といえば「♪おらんくの池にゃ、潮吹くさかなが泳ぎより(よさこい節)」と歌われるように鯨はとても親しい存在。11月頃、子を生むためにオホーツク海から日本海を通って南下し、3月頃子鯨とともに北上すると思われていた鯨だが、最近の調査では一生を土佐湾で過ごす個体もあるらしい。昔から「一頭捕えれば七郷の賑わい」と言われていたように鯨捕りはもちろん、鯨が回遊する鰹や鰯の大群を追っているため、鯨は鰯や鰹の大漁のシンボルとして漁師にも喜ばれていたという。その白波を立てた大きな姿を認めたときの歓喜は、時間を超えて引き続き現在も身体に組み込まれているように思う。掲句の下五「晴れてきたりけり」では、この湾を風土に持つ作者の誇らしさが海原を晴々と照らしているようだ。今年の春、「そりゃもうしょっちゅう見えちゅう」と聞いていた桂浜に行く機会を得て、鯨との出会いを楽しみにしていたが、残念ながら叶わなかった。勇ましい魚が語源という勇魚の悠々と泳ぐ姿をいつか見てみたい。〈夜噺に投網しつらふ音のして〉〈一駅は白でうづもり遍路笠〉『若菜籠』(2008)所収。(土肥あき子)


December 10122008

 極月や冬という名のデザイナー

                           ホーカン・ブーストロム

前、このサイトでスウェーデン人の俳句を紹介したことがある。それと同じ日本とスウェーデン初の俳句アンソロジー『四月の雪』から掲出句を採った。原句の直訳は「十二月の今日/冬という名のデザイナーは/そのコレクションを披露する」(舩渡和音訳)。これを清水哲男が翻案した。ちなみにスウェーデンの俳句界では、季語は定められていないそうだから、ここでは「極月」と「冬」の同居に目くじらをたてる必要はあるまい。「冬という名のデザイナー」が効いている。たしかに雪や寒さだけでなく、冬の諸々をデザインする者がどこかにひそんでいるのかもしれない。やさしいデザイナー、きびしいデザイナーなど、いろんなタイプのデザイナーが季節を操っているにちがいない、と考えると愉快ではないか。冬に限らず、春の、夏の、秋の腕っこきのデザイナーももちろんいるだろう。彼が持っている折々のコレクションを次々に披露してくれる――そんなふうに季節の変化を受けとめるロマンを持てたらすばらしい。海外での俳句熱は年々盛んである。日本とスウェーデンに限らず、俳句を通して日本と他の国の人々の感性、あるいは文化のちがいや共通性を見出してゆくことの意義は大きい。同書からもう一句ご紹介しよう、「高圧線凍れる国に弦を張る」。『四月の雪』(2000)所収。(八木忠栄)


December 11122008

 帰るバスなくなつてをり雪女郎

                           火箱游歩

女と雪女郎とはどこが違うのか?講談社版「日本大歳時記」の説明には「雪女郎は雪女よりさらに妖怪じみて悪性であると考えられているようである。つまり雪夜に人を迷わすのは雪女郎とか雪鬼、雪坊主といわれるものの場合が多い」とある。しかし掲句の「雪女郎」はそうワルに思えない。一時間に一本あるかないかのバスを逃してしまい、この雪女郎は呆然と時刻表を見ているのだろうか。ひとり取り残されてしまった雪女郎は仕方なく吹雪をひゅーひゅー巻き起こして人を脅かしているのかもしれない。それとも反対に、この雪女郎は麓の町で遊びすぎて山へ帰るバスに乗り遅れたのかもしれない。電気に照らされて乾いた町の夜は雪女郎には辛かろう。「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎」(秋元不死男)なんて雪女郎にはおどろおどろしい句が多いようだが、バスに乗り遅れた雪女郎に親しみがわくのは、彼女同様私もドジだからだろう。『雲林院町』(2005)所収。(三宅やよい)


December 12122008

 山中の吹雪抜けきし小鳥の目

                           福田甲子雄

生の動物にとって厳しい冬がやってきた。烏も鳶も雀も狸も狐もみんな飢えている。山は削られ海は埋め立てられ宅地やマンションに造成されて、人間と共生する野生は次第に追い詰められていく。デパートの地下食品売り場を歩いたり、回転寿司の席に腰掛けるとき、月に一日くらい動物たちにこの場を開放してやったらと夢想する。デパ地下に烏や鳶や犬猫が溢れ、満腹になるまで食べる。回転寿司の席に座った犬は遠くから流れてくるお目当てのマグロを尻尾を振りながら待つ。公園や街角で野良猫に餌をやっている人よ、烏にも少しお裾分けしてやってくれないか。金の都合ばかりで、こんなに自然を痛めつけたのにまだ人間と一緒にいてくれている友だちのために。『白根山麓』(1982)所収。(今井 聖)


December 13122008

 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ

                           川崎展宏

、言われて、フユ、と云ってみる。ほんとうに口笛を吹くように口が少し尖って、何度も繰り返すと、ヒュウ、と音もする。ハル、ナツ、アキ、とついでに声に出してみると、いずれも二音がはっきりとしていて、くり返してもただただ続くだけだ。ヒュウ、は口笛と同時に、風の音も連想させる。北風はピープー吹くけれど、ヒュウ、は隙間風や、落ち葉を舞い上がらせる一陣の風を思わせる。云う、の方が、言う、より、口ごもるニュアンスらしい。はっきり意味を伝えようとしているわけではなく、ふとつぶやいている感じ。少し悴んだ両手をこすり合わせながら、フユ、とぽつりと言葉にした時、それはため息のように小さい白い息となって、かちんかちんの空気を一瞬見せて消えてしまうだろう。ほらね、という作者の微笑んだ顔が見えるようであたたかい。『俳句歳時記 第四版・冬』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


December 14122008

 スケートの紐むすぶ間もはやりつゝ

                           山口誓子

ころときめくものが、まだそれほどになかった時代。パソコンも、携帯電話も、ファミコンも存在しなかったわたしの中学生時代は、遊びの種類も限られていました。せいぜいボウリングや、クラスの仲間で行ったアイススケートは、それだけに特別な思い出として、よく覚えています。あるとき、クラスの男女20数人でスケート場に行って、無断で担任の先生の名を責任者として申し込み、団体割引で入ったことがありました。のちに先生に、そのことをこっぴどく叱られたことを、40年経った今でも思い出します。天井の高いスケート場は、場内に入ったとたんに、別の世界に迷いこんでしまったかのように明るく、多くの人の熱気に満ちていました。貧しい生活の、とくにこれといって華やかなことのない日常にとっては、かけがえのない晴れやかな体験でした。めったに履くことのないスケート靴は、不慣れなために、なかなかうまく紐が結べません。友は一人二人と先に靴をはき、細いエッジにふらつきながらも、すでに氷へ向かって歩いてゆきます。自分もはやくそうしたいというあせった思いの向く先は、自分の未来そのものだったのかもしれません。『合本俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


December 15122008

 皆伐の淵に泡古る年のくれ

                           竹中 宏

慣れない言葉だが、漢字を眺めているうちに、おおよその見当はつくはずだ。「皆伐(かいばつ)」とは、森林などの樹木を全部または大部分伐採することを言う。反対に、適量を抜き切りするのが「択伐(たくばつ)」である。したがって、この「淵」は川の淵ではなく、奥深い山の湖沼のそれだろう。私は、つげ義春の漫画にでも出てきそうな沼を想像してしまった。もともとは鬱蒼たる樹木に取り囲まれていた沼だったのが、いまでは痛々しくもその淵までをも赤裸に姿をさらしている。周囲にはかつて盛んに元気よく水分を吸い上げてくれていた樹木の影もない。生気を失った沼はひどく淀んでいて、淵には泡がぶつぶつと浮いたまんまだ。それらは古びて茶褐色に変色し、沼の淀みをますます露(あらわ)にしているのである。まさにそんな感じの「年のくれ」だと、作者は喩的に述べているのだと思う。とりわけて今年の暮は、嫌でもそんな印象が濃い。淵にこびりついているような古びた泡は年が明けても消えることがないように、今の世の中の淀みも汚い泡も露なままに、そう簡単には消えてくれる可能性はないのである。まったく、なんという歳末であろうか。俳誌「翔臨」(第63号・2008年11月)所載。(清水哲男)


December 16122008

 いつ見ても駆けてるこども冬休み

                           前田倫子

よいよ12月も半ば。大人の年末への気の焦りや荷の重さなどとは一切関係なしに、クリスマスやお年玉などお楽しみ満載の冬休みを前に胸をおどらせている子どもたちを心からうらやましく思うこの頃である。ひたすら走ったり、ジャンプしたり、ぐるぐる回ったりして費やされる子どもの無尽蔵のパワーは一体どこから湧いてくるのだろう。2008年の流行語に「アラフォー(アラウンドフォーティー=40歳前後)」があった。従来女性の年齢に対しての微妙な言い回しは、24歳までの商品価値を「クリスマスケーキ」、31歳の未婚を「大晦日」など、すべて上限を使用することで、孤立した崖っぷち感を強調していたが、今回のアラウンドには上下もろともに含んでいるという曖昧さにより、俄然現代風の語感を与えた。30代後半から40代前半まで約10年という大きな幅は、過ぎていく日々が年々加速されていくのを直視することなく、当分同じ時間が繰り返されるように思わせる心地よさも備えている。子どものいつまでも駆けることのできるエネルギーを、擬似的に体験させているような言葉である。〈教室に三十匹の雪兎〉〈山茶花や無口の人とゐて無口〉『翡翠』(2008)所収。(土肥あき子)


December 17122008

 師走何ぢゃ我酒飲まむ君琴弾け

                           幸田露伴

走という言葉を聞いただけで、何やら落着かないあわただしさを感じるというのが世の常だろう。ところが、師走をたちどころに「何ぢゃ」と突き放しておいて、あえて自分は酒を飲もうというのだから豪儀なものだ。しかも、傍らのきれいどころか誰かに向かって、有無を言わさず琴を所望しているのだから、恐れ入るばかりである。時代も男性も軟弱でなかったということか。せわしなく走りまわっている世間を尻目に、我はあえて泰然自若として酒盃を傾けようというのである。「君」はお酌をしたその手で琴を弾くのだろうか。「ほんまに、しょうもないお人どすなあ」と苦笑して見せたかどうか、てきぱきと琴を準備する、そんなお座敷が想像される。擬古典派として、史伝などの堅い仕事のイメージが強い作家・露伴であったればこそ、このような句を書き、あるいは実際に琴を弾かせ、鳴物を奏でさせたと想像することもできる。押しつまった師走という時季だからこそ、おもしろさが増して感じられるし、共鳴も得られるのかもしれない。約二十五年を要して成した露伴の『評釈芭蕉七部集』は労作であり、芭蕉評釈として今も貴重である。別号を蝸牛庵と称し、『蝸牛庵句集』がある。ほかに「吹風(ふくかぜ)の一筋見ゆる枯野かな」「書を売つて書斎のすきし寒(さむさ)哉」といった冬の句もある。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(八木忠栄)


December 18122008

 やはらかに鳩ゐて冬の屋根瓦

                           中里夏彦

き締まった空気と屋根瓦の堅さ、冷たさ。その感触は鳩がいてこそだろう。屋根にきている鳩は冬毛をぷわぷわふくらませ、霜の降りた瓦をいっそう冷たく感じさせる。むかし屋根に鳩小屋をしつらえ、朝などにいっせいに飛ばして訓練している様子があちこちで見られたものだ。メールが飛び交う現在、伝書鳩を使うこともないし競技用に飼われる鳩もめっきり少なくなったことだろう。町のあちこちで迷惑がられている土鳩の先祖は役目から解放された伝書鳩かもしれない。いったん鳩が棲みつくと屋根やベランダが糞で真っ白にされて大変だと聞く。「餌をやらないでください」といった貼り紙も目にする。冬の瓦に乗る鳩もそれを眺める人間も離れているうちはいいが、密集した都会で共に暮らすには難しくなってきている。『俳句の現在 3』(1983)所載。(三宅やよい)


December 19122008

 卵落した妻睨れば妻われを視る

                           野宮猛夫

には「み」のルビあり。貧しさの中で、とげとげしくなる夫と妻。卵を落した妻をとがめる視線を夫が送れば、妻はあんたこそなによと夫を鋭く見返す。「オイ、もったいないじゃないか」「そんなこと、あんた、わたしに言えるの?」無言のうちに交わされる二種類の視線、「みる」が夫婦の関係、生活を浮き彫りにする。卵の貴重さも時代を映す。貧しさがテーマの句は「社会性俳句」の時代にはデモやストの句と並んでひとつの典型だった。しかし、それらの多くは貧しい庶民の「正しさ」「美しさ」を強調したため、政治宣伝のポスターのような図柄になった。ヘルメットを被りハンマーをもった青年が「団結」と叫んでいるようなどこかの国のポスターと同じである。「社会性俳句」は個別の内面に入ることを為し得なかったために「流行」に終わる。人間の、自己の心理を自己否定のようにえぐりだすこんな句は俳句の可能性を確実に拡げている。こんな切迫した瞬間の感覚に季節感の入り込む余地はない。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


December 20122008

 駅の鏡明るし冬の旅うつす

                           桂 信子

の鏡にうつっているのは、一面の雪景色なのだろうか。いずれにしてもよく晴れている。そんな風景を背にして、着ぶくれて、頬がちょっと赤くて、白い息を吐きながらも、どこかわくわくしている旅人の顔。非日常の風景の中の自分を、現実の自分が見つめている。冬の旅という言葉を、ありきたりな旅情と結びつけるのではなく、冬の旅うつす、としたことがひとつの発見。出典から見て、昭和三十年より前に作られた句である。こんなさりげない句にも、この作者の自由な詩心が感じられる。さほど大きくはないこの駅で降り立った作者は、ずっと握りしめていた旅の証である切符を駅員に渡して、見知らぬ街へ歩き出したことだろう。なんだか懐かしい、小さくて少し硬めの切符だ。〈それぞれの切符の数字冬銀河〉(坂石佳音)切符に刻まれた数字の数だけ旅人がいて、それぞれの夜空を仰ぐ。『図説俳句大歳時記 冬』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


December 21122008

 まつ白いセーターを着て逢ひにゆく

                           伊藤政美

が、個人的な思い出をまざまざと呼び覚ますことがあります。句に描かれた情景そのままではないにしても、どこかで結びついてしまうことが、時折あります。この句がわたしに思い出させたのは、若いころに恋人が着ていた白いコートでした。まだ決まった仲ではなかったけれども、それでもお互いがお互いを選ぼうとしていた頃に、有楽町そごうの前で待ち合わせたことがありました。緊張して待っていると、白いコートを着たその人が、むこうから歩いてきます。それまでに、その服を着ているのを見たことがなかったために、わたしはひどく驚くとともに、白という色に包まれた姿に、決定的に惹かれてしまいました。むろん、服の色が人生を決めたわけではありませんが、思いの速度をはやめたことは、間違いがありません。この句で詠まれているのは、コートよりもずっと身近にある「セーター」です。ただ、わざわざ「まつ白い」と宣言しているところや、「逢ふ」という文字にこめられているものを考えますと、状況はかなり似ているようです。それからわたしにもずいぶん月日が経ち、<共有のセーターに夫若返る>(中井陽子)や、<セーターにもぐり出られぬかもしれぬ>(池田澄子)(増俳2000年2月2日参照)という句を、わが身にあてて考えるような年齢に、いつのまにかなってしまいました。『角川 俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


December 22122008

 もののけの銀行かこむ師走かな

                           井川博年

走の銀行で思い出した。三十代のはじめころ、年末年始を無一文状態で過ごしたことがある。暮の三十日だったかに、家人が買い物の途中で貰いたてのボーナスを袋ごと擦られてしまったからだった。たしか五万円ほどだったと思うが、我々には大金である。それだけあれば年は楽に越せると踏んでいたので、お互い真っ青になった。銀行にいささかの預金はあったのだけれど、昔の銀行は年末年始は休業で引き出せない。大晦日には、私の原稿料が小切手で送られてはきたものの、これまた現金化は不可能だ。要するに「金はあるけど金は無し」状態となったわけで、大いにうろたえた私は、もしかすると銀行が開いているかもしれぬと出かけてみたものの、むろん徒労に終わったのである。このときの銀行の前の私は、おそらく小さな「もののけ」のようであったに違いない。この句のそれらは私のようなちっぽけな存在ではなくて、貸し渋りなどで倒産した企業主や従業員の恨みや呪いをまとった「物の怪」たちである。夜となく昼となく、それらが銀行をかこんでいるのだ。この大不況の中だから、この句は異様に切実な実感を伴って迫ってくる。読み捨てにできる読者は、よほど恵まれた人なのだろう。こういう句が二度と詠まれることのない世の中の到来を願いつつ、あえて愉快ではない句をご披露した次第だ。『余白句会』(第80回・2008年12月20日)出句作品より。(清水哲男)


December 23122008

 許されてゐる昼酒の大くさめ

                           榎本好宏

原庄助氏を引き合いに出すまでもなく、お日さまの高いうちから飲酒するというのは好ましくないという日本の良俗がある。くしゃみやげっぷも生理的現象とはいえ、人前ですることは恥ずかしいという西洋風のお行儀がすっかり浸透したようだ。そういえば、萎んだ芙蓉みたいなくしゃみばかりになり、打上げ花火のような豪快なくしゃみを聞くことも稀になった。さらに、セクハラ、パワハラ、モラハラとハラスメントが声高に言われるなか、ずいぶん堅苦しいお約束が増えたが、それによってより健全で快適な社会になったのかは心もとない。昼酒も大くさめも、どちらも禁忌を破るゆえに成り立つ快感がある。昼酒飲みながら、遠慮がちにくしゃみなんかしなさんな、というたっぷりした空気のなかの掲句である。さらに『食いしん坊歳時記』(角川学芸ブックス )の著者でもある作者のこと、さぞかしおいしい匂いが並んでいることだろう。垂涎(あ、これもお行儀委員会に叱られそうな言葉ですね)の昼酒である。〈煤逃げをしてはみたもの出たものの〉〈梟にリラの匂ひを聴きにゆく〉『祭詩』(2008)所収。(土肥あき子)


December 24122008

 雨に来て霙に帰る別れかな

                           山手樹一郎

ごろの季節、青く澄みきった関東の天候とは対照的に、雪国ではたいてい空は鉛色で雨の日が多い。気温がグンと下がれば雨はたちまち霙(みぞれ)となり、さらに雪になってしまうことも。霙が降るような季節になると、それがいつ雪に変わるかという緊張を覚える。雨→霙→雪。もちろん、掲出句の舞台は雪国というわけではなかろう。雨のなかを訪ねてきて何事かすっかり長々と話しこみ、さて帰ろうという段になって外に目をやると、いつか霙に変わっていたという時間の経過。そこに驚きがこめられている。短詩型における大胆な転換のテンポは、今更ながらみごとである。どんな用件だったにせよ、熱を帯びた長い時間が経過していたことを雨→霙が語っている。こんなケースで、雨が一挙に雪に変わってしまうことも珍しくはない。雨から霙に変わった、そのことに驚いている人それぞれの表情は描写されてはいないけれど、言葉の裏にくっきりと読みとることができる。雨が霙に変わるだけでなく、逆に霙が雨に変わってしまうこともある冬の微妙な天候。樹一郎は長谷川伸門下の時代小説作家として売れっ子だった。数ある作品のなかで代表作は何といっても「桃太郎侍」。俳句はほかに「新春の灯とかはりけり除夜の鐘」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 25122008

 ペンギンと空を見ていたクリスマス

                           塩見恵介

朝枕もとのプレゼントに歓声をあげた子供たちはどのくらいいるだろう。クリスマスは言うまでもなく世界中の子供たちが夜中にこっそりやってくるサンタさんを待つ日。わくわくと見えないものを「待つ」気持ちがこの句に込められている。ヨチヨチ歩きで駆けまわるペンギンは愛嬌があって可愛いが、好奇心が極めて強い動物だそうだ。時折3,4匹かたまって微動だにせずじっとしているが、あれは何を見ているのだろう。掲句のように、「空を見ていた」と言われてみれば飛べないペンギンが空の彼方からやってくるものをじっと待っているようにも思える。柵の向こうから眺める動物園の観客の視線と違い、作者はペンギンと肩を並べて空の向こうを眺めている。待っているのはトナカイに乗ってやってくるサンタさんか、降臨するキリストか。クリスマスは期待に胸ふくらませ何かがやって来るのを待つ日。ペンギンと並んで空を見上げる構図が童話の中の1シーンのようで、今までにない新鮮なクリスマスを描き出しているように思う。『泉こぽ』(2007)所収。(三宅やよい)


December 26122008

 数の子の減るたび夜を深くせり

                           星野高士

年、大皿に盛られた数の子が次第に減っていく。年賀の客が現れて歓談は深夜に及ぶ。数の子とともに正月も去っていく。年々、クリスマスや「新年」がきらいになる。さあ、祝えといわれて聖者の生誕を祝い、早朝、並んで神社の鐘を鳴らし、正月は朝から漫才だ。僕のような思いの人は多いのだろうと思うが、そういう発想自体が陳腐なのだろう。とりたてて言うほどのこともないとみんな黙して喧騒が過ぎるのを待っているのだ。葬式のように作法が多く考えるひまもないほど慌しいのは、遺されたものの悲しみを軽減するためだというのも定説。だとすると国民的行事はどういう思考を人にさせないように用意されたものなのか。庶民の鬱憤を解消させるガス抜きなのか。そう簡単にはガスは抜かれないぞ。そんなことを数の子を噛みながら深夜まで考えてみよう。『無尽蔵』(2006)所収。(今井 聖)


December 27122008

 カレンダーふはりと揺れし湯気立てて

                           栗林眞知子

題は湯気立(ゆげたて)。ストーブや火鉢の上に、やかんや鉄瓶など水を入れた容器をおいて、湯気を立てて湿度を保つ。いわゆる加湿器の役目をするわけだが、それだけでなく、そのお湯でお茶をいれたりもした。エアコン生活となってしまった現在の我が家にはない光景だけれど、昔はその湯気で母が、ほどいて編み直す毛糸を伸ばしていたことなど思い出す。十二月、ストーブの上の大きいやかんの口から勢いよく出てきた湯気に、最後の一枚となったカレンダーがふわりと動いた、というのである。揺れし、は過去、厳密に過去回想だと考えると、そんなこともあったなあ、ということだろうか。終わろうとしている一年に馳せる思いと、遠くなってゆく昭和に馳せる思いが重なっている。今年最後の土曜日は朔にて月も見えませんが、みなさまよいお年を。俳誌「花鳥」(2007年3月号)所載。(今井肖子)


December 28122008

 差引けば仕合はせ残る年の暮

                           沢木五十八

日の句を読んで、人というのはなんとも健気なものだと感じたのは、わたしだけでしょうか。それなりに幸せだったと、この一年の結果に納得したいと思っているわけです。もちろんだれに判定してもらうわけでもなく、問いかけているのも、やさしげに答えているのも、自分自身でしかありえません。経ってしまえば、一年はとても短く感じられはするものの、日々、さまざまなことに一生懸命に取り組んできた時間は、恐ろしいほどに長く、濃密なものです。つらかったことと、よかったと思えること、それを左右に積み上げて「はかり」で計れるわけのものではなく、所詮は来年へ向けて生きようとする勢いに役立てようとして、自分に問いかけているだけのことです。また、今は不幸せの部類に仕分けられた事柄も、将来大きな「仕合せ」に転じるかも知れず、一概に一年を「仕合せ」か「不幸せ」かで締めくくるのは、無理があるのかなとも、思います。ともかくも、人と比べてどうかではなく、作者はあくまでも自身の中での問題として考えているわけですから、詳しい事情はわかりませんが、「それでいいんじゃない」と、答えてあげたいと思うのです。『角川 俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


December 29122008

 五徳なるものが揃ひて村滅ぶ

                           福田 基

五徳
得(ごとく)はもう茶の道具くらいにしか使われない。昔はどこの家にもあって、その上に薬缶や鉄瓶を置いていたものだ。五徳というくらいだから、なにやらありがたい道具のように思えるが、なんのことはない。大昔のそれは輪を上にして使っており、「竈子(くどこ)」と呼ばれた。それが安土桃山期の茶道の発達とともに、それまでとは逆に爪を上にして使われるようになった。だから「くどこ」を逆にして「ごとく」と呼んだのだという。したがって「五徳」は当て字。仁・義・礼・智・信の五徳などとは、何の関係もないのである。句ではしかし、実際の道具としての五徳と観念的な五徳との両義がかけてある。村中、どの家にも五徳がある。すなわち、五つの徳目が全て揃っている。なのに、村は滅びつつある。それはすなわち、全てを備えるには至難の徳目が容易に揃ったことで、もはや村には求め極めるものが消失してしまい、逆に自壊の方向に向かっているということなのだ。何であっても、極まればあとは崩れるしかない。なんとも皮肉たっぷりの句だけれど、過疎地をこのように捉えた句はめずらしく、作者の哀感もよく伝わってくる。福田基は昭和八年生まれ、林田紀音夫直門。あとがきに「われ老いたり、心身とも老いたり」とあるのが、私などには身につまされる。『回帰回想』(2008)所収。(清水哲男)


December 30122008

 さしあたり箱へ戻しぬ新巻鮭

                           池田澄子

日、実家の母と「蜜柑とレンコンを送る」「いらない」でひと悶着があった。結局「蜜柑はいるけどレンコンはいらない」で折り合いが付いたが、だいたい実家からの荷物は問答無用で唐突に送られてくる。もらう側としては文句を言っては申し訳ない、と思いつつ、その頭数を想定していない量に途方に暮れることも多い。掲句の新巻鮭も、あらかじめ承知している届け物では決してないはずだ。サザエさんの時代には、お歳暮の花形として堂々と迎えられていたようだが、今やあまり目にすることのないしろものである。大きな箱を前にして、途方に暮れたまま荷を開き、あたらめてその巨大な全身をしかと目にしたのちの行為は、呆然と「とりあえず見なかったことにする」現実逃避派と、腕まくりして「利用法、収納法などあれこれ考える」実直派とが大きく分かれることだろう。前者ももちろん、一瞬ののち「どうせなんとかしなくちゃいけないのに」と思い直すのだが、掲句の「さしあたり」がまことに浮遊する虚脱感を言い当てているのだと、現実逃避派であるわたしは深く共感するのである。『たましいの話』(2005)所収。(土肥あき子)


December 31122008

 ただひとり風の音聞く大晦日

                           渥美 清

晦日とぞなりにけり。寅さん・・・・じゃなかった、渥美清の句でこの一年をしめくくりたい。渥美清がいくつかの句会に熱心に参加して、俳句を残していたことはよく知られている。彼は「芝居も暮らしも贅肉がない人」と言われた。残された俳句にも、もちろん贅肉は感じられない。人を笑わせ、人を喜ばせておいて、自分はひっそりとただひとり静かに風の音に耳をかたむけている、そんな図である。まだ売れなかった昔をふと回想しているのかもしれないが、この人は映画「男はつらいよ」で売れっ子になってからも、そのような心境であったものと思われる。しゃしゃり出ることはなかった。俳号は風天(フーテン)。掲出句は亡くなる二年足らず前の「たまご句会」で作った。彼の大晦日の句には「テレビ消しひとりだった大みそか」という、これまた淋しげな句もある。風天さんの代表句と言われているのは「お遍路が一列に行く虹の中」である。どこやら、「男はつらいよ」の一カットであるかのようでもある。『カラー版新日本大歳時記』春の巻に、虚子や多佳子らが詠んだお遍路の句と一緒に収められている。ところで、「男はつらいよ」シリーズは第48作「寅次郎紅の花」が最後になったけれども、山田洋次監督は第49作目に「寅次郎花へんろ」を撮る予定だったという。森英介著『風天 渥美清のうた』には、著者が苦労して集めた風天さんの二二〇句が収められている。さまざまな大晦日の過ごし方があろうけれど、今日は大晦日の風天句をしばし心に響かせてみたくなった。『風天 渥美清のうた』(2008)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます