December 112008
帰るバスなくなつてをり雪女郎
火箱游歩
雪女と雪女郎とはどこが違うのか?講談社版「日本大歳時記」の説明には「雪女郎は雪女よりさらに妖怪じみて悪性であると考えられているようである。つまり雪夜に人を迷わすのは雪女郎とか雪鬼、雪坊主といわれるものの場合が多い」とある。しかし掲句の「雪女郎」はそうワルに思えない。一時間に一本あるかないかのバスを逃してしまい、この雪女郎は呆然と時刻表を見ているのだろうか。ひとり取り残されてしまった雪女郎は仕方なく吹雪をひゅーひゅー巻き起こして人を脅かしているのかもしれない。それとも反対に、この雪女郎は麓の町で遊びすぎて山へ帰るバスに乗り遅れたのかもしれない。電気に照らされて乾いた町の夜は雪女郎には辛かろう。「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎」(秋元不死男)なんて雪女郎にはおどろおどろしい句が多いようだが、バスに乗り遅れた雪女郎に親しみがわくのは、彼女同様私もドジだからだろう。『雲林院町』(2005)所収。(三宅やよい)
July 072013
浴衣着てロールキャベツは大口で
火箱游歩
近いうちに、ロールキャベツを食べたい。作りたい。そして僕は、この夏、初めて浴衣に袖を通して、ロールキャベツを丸ごと、大口をあけて食べるんだ。俳句を読んで、まれに、それを生き方にとり入れられる場合があります。句のとおりに生きられる句。それは、かりそめながら、人生のお手本といえるでしょう。よく、酒場のトイレで、拙い筆文字の箴言らしきひらがなを目にしますが、生き方を臆面もなく語り文字にされることに気恥ずかしさを感じながら抵抗してきました。しかし、掲句であれば、そのとおりにやってみたいと思います。まずは、一人で、浴衣を着て、ロールキャベツを大口で食ってみます。うまくできたら、俳句の友を招待して、「第一回、ロールキャベツ大口浴衣会」を開きます。掲句にもどって、浴衣も、ロールキャベツも、身を包んで納めているところに品があります。『雲林院町』(2005)所収。(小笠原高志)
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