ソニーが大リストラ。人よりも企業が大事。こんな本末転倒が許されるのか。(哲




2008ソスN12ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 11122008

 帰るバスなくなつてをり雪女郎

                           火箱游歩

女と雪女郎とはどこが違うのか?講談社版「日本大歳時記」の説明には「雪女郎は雪女よりさらに妖怪じみて悪性であると考えられているようである。つまり雪夜に人を迷わすのは雪女郎とか雪鬼、雪坊主といわれるものの場合が多い」とある。しかし掲句の「雪女郎」はそうワルに思えない。一時間に一本あるかないかのバスを逃してしまい、この雪女郎は呆然と時刻表を見ているのだろうか。ひとり取り残されてしまった雪女郎は仕方なく吹雪をひゅーひゅー巻き起こして人を脅かしているのかもしれない。それとも反対に、この雪女郎は麓の町で遊びすぎて山へ帰るバスに乗り遅れたのかもしれない。電気に照らされて乾いた町の夜は雪女郎には辛かろう。「瀬に下りて目玉を洗ふ雪女郎」(秋元不死男)なんて雪女郎にはおどろおどろしい句が多いようだが、バスに乗り遅れた雪女郎に親しみがわくのは、彼女同様私もドジだからだろう。『雲林院町』(2005)所収。(三宅やよい)


December 10122008

 極月や冬という名のデザイナー

                           ホーカン・ブーストロム

前、このサイトでスウェーデン人の俳句を紹介したことがある。それと同じ日本とスウェーデン初の俳句アンソロジー『四月の雪』から掲出句を採った。原句の直訳は「十二月の今日/冬という名のデザイナーは/そのコレクションを披露する」(舩渡和音訳)。これを清水哲男が翻案した。ちなみにスウェーデンの俳句界では、季語は定められていないそうだから、ここでは「極月」と「冬」の同居に目くじらをたてる必要はあるまい。「冬という名のデザイナー」が効いている。たしかに雪や寒さだけでなく、冬の諸々をデザインする者がどこかにひそんでいるのかもしれない。やさしいデザイナー、きびしいデザイナーなど、いろんなタイプのデザイナーが季節を操っているにちがいない、と考えると愉快ではないか。冬に限らず、春の、夏の、秋の腕っこきのデザイナーももちろんいるだろう。彼が持っている折々のコレクションを次々に披露してくれる――そんなふうに季節の変化を受けとめるロマンを持てたらすばらしい。海外での俳句熱は年々盛んである。日本とスウェーデンに限らず、俳句を通して日本と他の国の人々の感性、あるいは文化のちがいや共通性を見出してゆくことの意義は大きい。同書からもう一句ご紹介しよう、「高圧線凍れる国に弦を張る」。『四月の雪』(2000)所収。(八木忠栄)


December 09122008

 勇魚くる土佐湾晴れてきたりけり

                           濱田順子

魚(いさな)とは鯨の古称。土佐湾といえば「♪おらんくの池にゃ、潮吹くさかなが泳ぎより(よさこい節)」と歌われるように鯨はとても親しい存在。11月頃、子を生むためにオホーツク海から日本海を通って南下し、3月頃子鯨とともに北上すると思われていた鯨だが、最近の調査では一生を土佐湾で過ごす個体もあるらしい。昔から「一頭捕えれば七郷の賑わい」と言われていたように鯨捕りはもちろん、鯨が回遊する鰹や鰯の大群を追っているため、鯨は鰯や鰹の大漁のシンボルとして漁師にも喜ばれていたという。その白波を立てた大きな姿を認めたときの歓喜は、時間を超えて引き続き現在も身体に組み込まれているように思う。掲句の下五「晴れてきたりけり」では、この湾を風土に持つ作者の誇らしさが海原を晴々と照らしているようだ。今年の春、「そりゃもうしょっちゅう見えちゅう」と聞いていた桂浜に行く機会を得て、鯨との出会いを楽しみにしていたが、残念ながら叶わなかった。勇ましい魚が語源という勇魚の悠々と泳ぐ姿をいつか見てみたい。〈夜噺に投網しつらふ音のして〉〈一駅は白でうづもり遍路笠〉『若菜籠』(2008)所収。(土肥あき子)




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