毎年、十二月のどこかで風邪を引く羽目に。今年はまだだ、用心用心。(哲




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December 14122008

 スケートの紐むすぶ間もはやりつゝ

                           山口誓子

ころときめくものが、まだそれほどになかった時代。パソコンも、携帯電話も、ファミコンも存在しなかったわたしの中学生時代は、遊びの種類も限られていました。せいぜいボウリングや、クラスの仲間で行ったアイススケートは、それだけに特別な思い出として、よく覚えています。あるとき、クラスの男女20数人でスケート場に行って、無断で担任の先生の名を責任者として申し込み、団体割引で入ったことがありました。のちに先生に、そのことをこっぴどく叱られたことを、40年経った今でも思い出します。天井の高いスケート場は、場内に入ったとたんに、別の世界に迷いこんでしまったかのように明るく、多くの人の熱気に満ちていました。貧しい生活の、とくにこれといって華やかなことのない日常にとっては、かけがえのない晴れやかな体験でした。めったに履くことのないスケート靴は、不慣れなために、なかなかうまく紐が結べません。友は一人二人と先に靴をはき、細いエッジにふらつきながらも、すでに氷へ向かって歩いてゆきます。自分もはやくそうしたいというあせった思いの向く先は、自分の未来そのものだったのかもしれません。『合本俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


December 13122008

 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ

                           川崎展宏

、言われて、フユ、と云ってみる。ほんとうに口笛を吹くように口が少し尖って、何度も繰り返すと、ヒュウ、と音もする。ハル、ナツ、アキ、とついでに声に出してみると、いずれも二音がはっきりとしていて、くり返してもただただ続くだけだ。ヒュウ、は口笛と同時に、風の音も連想させる。北風はピープー吹くけれど、ヒュウ、は隙間風や、落ち葉を舞い上がらせる一陣の風を思わせる。云う、の方が、言う、より、口ごもるニュアンスらしい。はっきり意味を伝えようとしているわけではなく、ふとつぶやいている感じ。少し悴んだ両手をこすり合わせながら、フユ、とぽつりと言葉にした時、それはため息のように小さい白い息となって、かちんかちんの空気を一瞬見せて消えてしまうだろう。ほらね、という作者の微笑んだ顔が見えるようであたたかい。『俳句歳時記 第四版・冬』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


December 12122008

 山中の吹雪抜けきし小鳥の目

                           福田甲子雄

生の動物にとって厳しい冬がやってきた。烏も鳶も雀も狸も狐もみんな飢えている。山は削られ海は埋め立てられ宅地やマンションに造成されて、人間と共生する野生は次第に追い詰められていく。デパートの地下食品売り場を歩いたり、回転寿司の席に腰掛けるとき、月に一日くらい動物たちにこの場を開放してやったらと夢想する。デパ地下に烏や鳶や犬猫が溢れ、満腹になるまで食べる。回転寿司の席に座った犬は遠くから流れてくるお目当てのマグロを尻尾を振りながら待つ。公園や街角で野良猫に餌をやっている人よ、烏にも少しお裾分けしてやってくれないか。金の都合ばかりで、こんなに自然を痛めつけたのにまだ人間と一緒にいてくれている友だちのために。『白根山麓』(1982)所収。(今井 聖)




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