聖夜。幼い頃、私たちの世代はサンタクロースすら知りませんでした。(哲




2008ソスN12ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 24122008

 雨に来て霙に帰る別れかな

                           山手樹一郎

ごろの季節、青く澄みきった関東の天候とは対照的に、雪国ではたいてい空は鉛色で雨の日が多い。気温がグンと下がれば雨はたちまち霙(みぞれ)となり、さらに雪になってしまうことも。霙が降るような季節になると、それがいつ雪に変わるかという緊張を覚える。雨→霙→雪。もちろん、掲出句の舞台は雪国というわけではなかろう。雨のなかを訪ねてきて何事かすっかり長々と話しこみ、さて帰ろうという段になって外に目をやると、いつか霙に変わっていたという時間の経過。そこに驚きがこめられている。短詩型における大胆な転換のテンポは、今更ながらみごとである。どんな用件だったにせよ、熱を帯びた長い時間が経過していたことを雨→霙が語っている。こんなケースで、雨が一挙に雪に変わってしまうことも珍しくはない。雨から霙に変わった、そのことに驚いている人それぞれの表情は描写されてはいないけれど、言葉の裏にくっきりと読みとることができる。雨が霙に変わるだけでなく、逆に霙が雨に変わってしまうこともある冬の微妙な天候。樹一郎は長谷川伸門下の時代小説作家として売れっ子だった。数ある作品のなかで代表作は何といっても「桃太郎侍」。俳句はほかに「新春の灯とかはりけり除夜の鐘」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 23122008

 許されてゐる昼酒の大くさめ

                           榎本好宏

原庄助氏を引き合いに出すまでもなく、お日さまの高いうちから飲酒するというのは好ましくないという日本の良俗がある。くしゃみやげっぷも生理的現象とはいえ、人前ですることは恥ずかしいという西洋風のお行儀がすっかり浸透したようだ。そういえば、萎んだ芙蓉みたいなくしゃみばかりになり、打上げ花火のような豪快なくしゃみを聞くことも稀になった。さらに、セクハラ、パワハラ、モラハラとハラスメントが声高に言われるなか、ずいぶん堅苦しいお約束が増えたが、それによってより健全で快適な社会になったのかは心もとない。昼酒も大くさめも、どちらも禁忌を破るゆえに成り立つ快感がある。昼酒飲みながら、遠慮がちにくしゃみなんかしなさんな、というたっぷりした空気のなかの掲句である。さらに『食いしん坊歳時記』(角川学芸ブックス )の著者でもある作者のこと、さぞかしおいしい匂いが並んでいることだろう。垂涎(あ、これもお行儀委員会に叱られそうな言葉ですね)の昼酒である。〈煤逃げをしてはみたもの出たものの〉〈梟にリラの匂ひを聴きにゆく〉『祭詩』(2008)所収。(土肥あき子)


December 22122008

 もののけの銀行かこむ師走かな

                           井川博年

走の銀行で思い出した。三十代のはじめころ、年末年始を無一文状態で過ごしたことがある。暮の三十日だったかに、家人が買い物の途中で貰いたてのボーナスを袋ごと擦られてしまったからだった。たしか五万円ほどだったと思うが、我々には大金である。それだけあれば年は楽に越せると踏んでいたので、お互い真っ青になった。銀行にいささかの預金はあったのだけれど、昔の銀行は年末年始は休業で引き出せない。大晦日には、私の原稿料が小切手で送られてはきたものの、これまた現金化は不可能だ。要するに「金はあるけど金は無し」状態となったわけで、大いにうろたえた私は、もしかすると銀行が開いているかもしれぬと出かけてみたものの、むろん徒労に終わったのである。このときの銀行の前の私は、おそらく小さな「もののけ」のようであったに違いない。この句のそれらは私のようなちっぽけな存在ではなくて、貸し渋りなどで倒産した企業主や従業員の恨みや呪いをまとった「物の怪」たちである。夜となく昼となく、それらが銀行をかこんでいるのだ。この大不況の中だから、この句は異様に切実な実感を伴って迫ってくる。読み捨てにできる読者は、よほど恵まれた人なのだろう。こういう句が二度と詠まれることのない世の中の到来を願いつつ、あえて愉快ではない句をご披露した次第だ。『余白句会』(第80回・2008年12月20日)出句作品より。(清水哲男)




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