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January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


January 0912009

 陸沈み寒の漣ただ一度

                           齋藤愼爾

には(くが)のルビあり。陸という表現からは、満潮によって一時的に隠れた大地というより、「蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男」のような太古への思いや天変地異の未来予言を思うのが作者の意図のような気がする。人類の歴史が始まる何万年も前、あるいは人類などというものがとうの昔に死に絶えた頃、陸地が火山噴火か何かの鳴動でぐいと海中に沈み、そのあと細やかな波が一度来たきりという風景。埴谷雄高のエッセーの中に、人類が死に絶えたあとの映画館の映写機が風のせいでカラカラと回り出し、誰もいない客席に向かって画像が映し出されるという場面があった。時間というもの、生ということについて考えさせられるシーンである。しかし、僕は、いったんそういう無限の時への思いを解したあとで、もう一度、日常的な潮の干満の映像に戻りたい。どんなに遥かな思いも、目に見える日常の細部から発しているという順序を踏むことが、俳句の特性だと思うからである。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


January 1612009

 東山三十六峰懐手

                           西野文代

文字の句である。句の表記について漢字にするか、ひらがなにするかはときどき迷うところ。例えば、桜と書くか、さくらと書くか。(もちろん櫻と書く選択もあろうが)ひらがなにするとやわらかい感じになる。あるいはさくらのはなびらの質感が出ると思われる方も居るかも知れない。一方で、桜と書くと一字であるために視覚的に締って見える。さくらは拡散。桜は凝固である。俳句は散文や散文的な短歌に対し凝固の詩であるとみることもできる。一個の塊りのような爆弾のような。この名詞をどうしてひらがなにしたのですかと尋ねると、あまり漢字が多くて一句がごつごつするのでと言われる作者もいる。僕なら凝固、凝集の効果の方をとる。この句、だんだん俯瞰してゆくと一行がやがて一個の点にみえてくるだろう。俳句表現が一個の●になるような表記。俳句性の極致。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


January 2312009

 着ぶくれてこの世の瑣事も夕焼す

                           櫻井博道

しくかかわっていることが、ふと瑣事に思えてくることはよくある。人間、糊口をしのがねばならぬのは言わずもがなだけれども、それにかかわらないことにもどれほど意を砕いて日々を送っていることか。「瑣事」ということへの発想は一般的だが、病臥の歳月を重ねた作者が平成三年、六十歳で世を去る前の感慨であることを知ると、「着ぶくれて」に現在只今の「生」の実感が込められ、「夕焼」にこの世への賛歌やエールが贈られているように思う。「こんなつまらないことにかかずらっている」という否定的な自覚ではなくて、「この世の瑣事」に没頭できる時間と存在への肯定である。『季語別櫻井博道全句集』(2009)所収。(今井 聖)


January 3012009

 寒鴉やさしき屍より翔てり

                           坊城俊樹

場に着くやいなや「許せねえよ、鴉の奴。轢かれて死んだ猫の死体にむらがってやがる」と、車通勤の同僚が吐き捨てるように言った。年末まで木に残っていた柿を食べ尽すと鴉には食べ物が無くなる。ゴミ収集の日、きれいに分別され網を掛けられた大量の袋の前でいつまでも粘っている鴉をよく見かける。この句、鴉が動物の死体から飛び立つ。そういうふうにまず読める。そうすると「やさしき」の解釈が難しい。猫や犬や鳩など、死んだ動物の優しさを言うのは発想が飛びすぎる。この屍は鴉自身かもしれない。鴉が飢えの果てに力尽きる。息絶えた鴉の体から鴉の魂が飛び立つ。そう思うと「やさしき」が、憎まれ嫌われながら死んだ鴉の本性を言っているようにも思えてくる。『別冊俳句平成秀句選集』(2008)所収。(今井 聖)


February 0622009

 桜貝拾ふ体のやはらかき

                           中田尚子

れは自分の体。桜貝を拾う人を客観的に見ての感慨だと「やはらかき」の表現は出ない。この人、自分の体のやわらかさに驚いている。体を曲げて桜貝を拾うとき自分の体の柔軟さに気づき「おっ、私ってまだいけるじゃん」と思ったのだ。これは自己愛表現ではない。日頃、自分の体の手入れを何もしていない人が、それにもかかわらず意外に曲がってくれる骨や筋肉に対していつもほったらかしにしていてごめんねというご挨拶。または自分の老いをときに自覚している人のほろ苦い告白。桜貝の存在に必然性はない。体を曲げて拾う何かであればいいので、桜貝でもいい、という程度の存在。それはこの句の短所なのではなくてむしろ長所。季題以外にテーマがきちんとあるということ。『別冊俳句平成秀句選集』(2008)所収。(今井 聖)


February 1322009

 着ぶくれ出勤の群集 の中で 岬のこと

                           澤 好摩

丹三樹彦さん提唱の「分かち書き」は一行表記の中の切れを作者の側から設定すること。そんなアキを作らずとも、切れ字が用いられている場合はもちろんのこと、意味の上で考えれば切れの箇所は明らかという考え方もあろうが、それは旧文法使用の場合。ときに定型音律を逸脱する現代語使用を標榜する運動を思えば分かち書きという方法も理解できる。しかし、現代語においても切れが明らかな箇所に一字アキを用いれば分かち書きの必然性が薄れる。空けなくたって切れるのは一目瞭然ということになる。この句のように「群集」から「の」につづくまでに一拍置けと指示されると、群集の渦の中に身をまかせて入った作者が「自分」に気づくまでの間合いがよくわかる。分かち書きの効果が発揮されていて作者から読者への要請が無理なく嫌味なく伝わるのである。個の在り方がナマの思念のまま出ている作品である。『澤好摩句集』(2009)所収。(今井 聖)


February 2022009

 一呼気をもて立たしめよ冬の虹

                           山地春眠子

気に、こきとルビあり。息を吐くと虹が立つイメージは美しいが珍しい発想とはいえない。この句を特徴あらしめているのは、吐く息を呼気と言ったところ。言葉が科学的な雰囲気を帯びて、体の現象として厳密に規定されること。つまり科学、医学、病気、病状という連想を読者にもたらすのだ。「梅の香や吸ふ前に息は深く吐け」は波郷の自分を客観視した述懐。この句は「立たしめよ」で他者に対する祈りの思いが出ている。この句所収の句集を見ると章の前書きから病状重い妻への祈りの絶唱とわかるが、たとえそれがわからずとも、「立たしめよ」や「虹」などの情感横溢の心情吐露の中で、「呼気」だけが持つ違和感に気づくとこの祈りのリアルさがよくわかる。『元日』(2009)所収。(今井 聖)


February 2722009

 虚子の亡き立子の日々や立子の忌

                           今井千鶴子

濱虚子が亡くなったのが1959年4月8日、立子が1984年3月3日。次女であり虚子にことに愛されたといわれる立子にとって虚子没後の四半世紀がどんなものであったのか。作者は虚子の縁戚として立子の主宰誌「玉藻」の編集に従事し、また晩年の虚子の口述筆記に携わるといういわば「ホトトギス」の内情に精通する立場から立子の気持ちに思いを馳せているわけである。そういう鑑賞とは別に興味ある角度をこの句は見せてくれる。虚子をAと置き、立子をBと置くと、この句は「Aの亡きBの日々やBの忌」という構造になる。AとBのところに自分の思いのある二人の人間、あるいは動物などを入れるとA、Bの関係に思いを馳せる「自分」との三者の関わりが暗示される結果になる。文意や意図とは別の次元で、定型詩の新しい文体や構造はこのようにして生まれてきたのだ。『過ぎゆく』(2007)所収。(今井 聖)


March 0632009

 切株があり愚直の斧があり

                           佐藤鬼房

ちのくの土着の想念を背負って屹立する俳人である。「愚直」は愚かなほどまっすぐなこと。愚直が自己投影だとすると「愚」は自己否定だけれど、「直」は肯定。「愚直な私」と書いたら、半分は自分を褒めていることになる。作品で自己肯定をみせられるほど嫌味なことはない。自己否定するのなら、「愚かでずるい私」くらいは踏み込んで言ってもらいたい。だからこの句の愚直を僕は自己投影とはとらない。これは斧のことであり他者のことである。斧が深くまっすぐに切株に刺さっている風景に託して、ただ黙々と木を伐り、田を耕すしかない他者について言っている。こういう「愚直」を作者は認め自らもそうありたいと願っているのである。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)


March 1332009

 蝶帰り来ず運河を越ゆる太きパイプ

                           久保田月鈴子

鈴子は鈴虫のこと。げつれいしと読む。旧制静岡高校で中曽根康弘と同窓。東大卒業後、国策による合併企業帝国石油に勤務。企業幹部とならず労組の中央副委員長や新産別の副執行委員長として一貫して労働者の側に立った。俳句は「寒雷」創刊以来加藤楸邨に師事。森澄雄、平井照敏のあと編集長を務める。平成四年、享年七六の月鈴子さんの葬儀に、僕は車に楸邨を乗せ参列した。楸邨はすでに支えなければ歩めぬほどに弱っていたが、遺影の前に立って弔辞を述べた。弔辞の中で楸邨は、氏の組合活動への情熱をまず回顧して称えた。帰って来ない蝶は底辺労働者の誰彼。彼らの闘争の歴史の上に太いパイプが築かれる。自分と同時代の人間と社会の関わりを詠んだ俳人は多いが、「社会性」を単なる「流行」として齧り、たちまち俳句的情緒へと「老成」していった「賢い」俳人もまた多い。月鈴子さんは本物だった。『月鈴児』(1977)所収。(今井 聖)


March 2032009

 男根担ぎ佛壇峠越えにけり

                           西川徹郎

ぎも越えるも具体的な動作だから、まずそういうふうに読んでみると、担がねばならぬほどの巨大な男根を肩に乗せて、作者が佛壇峠という峠を越えてゆく。佛壇で一度句が切れれば、佛壇が男根を担いで峠を越える図になるのだが、「けり」という止めかたもあり、まずは佛壇では切れないと踏んだ方がよさそうだ。肩に乗せた男根とは何ぞや。ああ、これは自分の性的な意識の象徴だと思ってみる。そうすると佛壇峠は倫理観の象徴かもしれない。略歴をみると、作者は僧侶。それで少し納得が行く。性への衝動と、倫理観でそれを抑制しようとする自己の内部のせめぎあいが峠越えか。おもわず噴出しそうな図柄を見せておいて、何か人間の本質的な暗部へとこの句は誘っているのかもしれない。細谷源二の「氷原帯」を出自とする作者だが、虚子系の俳人吉本伊智朗の句に「縛されて仏壇がゆく接木畑」がある。こちらも不思議な佛壇の存在感である。『西川徹郎全句集』(2000)所収。(今井 聖)


March 2732009

 春濡れの雉子鳩の翅役者の子

                           栗林千津

子鳩の見える風景から、旅役者の子を思う。旅役者子といえば「伊豆の踊り子」。百恵ちゃんの「かおる」も良かったが、何といっても吉永小百合だ。映画の最後の場面で、一高生川島と別れたあと、酔客たちに囃されながら奴さんの振りで踊っている小百合ちゃんの可憐さが強烈に心に残った。映画化されたものの中だけでも、この二人のほかに、田中絹代、美空ひばり、内藤洋子、鰐淵晴子。どの「かおる」もその時代のニキビ面の青年の胸を揺さぶったに違いない。この句の作者は現実的な空間の中でのドラマ仕立てを意図する傾向にはない。「春濡れ」という伝統派にはない季語の用い方や、鳥なのに「羽」を用いず「翅」というところにその特徴が出ている。違和感や屈折感をも利用して言葉が内面を象徴するように願う方法。そう理解していても読者の側からあえてドラマに引き込んで鑑賞したくなる俳句もある。『蝶や蜂や』(1990)所収。(今井 聖)


April 0342009

 暮春おのが解剖体を頭に描くも

                           目迫秩父

号「めさくちちぶ」と読む。春の暮の明るさと暖かさの中で、おのれの解剖される姿を思い描いている。宿痾の結核に苦しみ昭和三十八年に喀血による窒息死で四十六歳で死去。組合活動で首切りにあうなど、常に生活苦とも戦った。こういう句を読むと、今の俳句全体の風景とのあまりの違いに驚かされる。文体は無条件に昔の鋳型をとっかえひっかえし、季語の本意本情を錦の御旗にして類型、類想はおかまいなし。若い俳人たちは、「真実」だの「自己」だのは古いテーマと言い放ったあげくコミックなノリにいくか、若年寄のような通ぶった「俳諧」に行くか。自分の句を棚に上げてそんな愚痴をいうと、ぽんと肩を叩かれて「汗も涙も飢えも労働も病も、もう昔みたいに切実感を失ってテーマにはならないんだよ」そうかなあ、どんな時代にも、ただ一回の生を生きる「私」は普遍的命題。いな、普遍的なものはそれだけしかないのではないか。この句の内容はもとより、上句に字余りを持ってきた文体ひとつにしてもオリジナルな「私」への強烈な意識が働いていることを見逃してはならない。『雪無限』(1956)所収。(今井 聖)


April 1042009

 からうじて鶯餅のかたちせる

                           桂 信子

餅が色のみならず形も鶯に似せているということを初めて知った。あの餅のかたちのどこが似てるんじゃと驚いたが、こういう句をみるとわが意を得たりである。「いづれが尾いづれが嘴やうぐひす餅 矢島久栄」という句もあるから同じことを思った人もいるのだろう。この句の一番の特徴は副詞の使い方にある。「少し」「やうやく」「たまさか」などの副詞は擬音、擬態語と並んで常套的な用い方をすれば陳腐な情緒を押し出す働きをする。この句の「からうじて」は鶯餅というものの形状の特徴を見事に捉えている。花神コレクション『桂信子』(1992)所収。(今井 聖)


April 1742009

 顔振つて童女駆けゆく桜ごち

                           岡本 眸

ちは東風のこと。ひとの句を見て才能を感じるところは、自分だったらこう書けるだろうかというのが基準。この句の「見せ場」は「顔振つて」だ。それは誰しも認めるところだろう。この表現が発見されるか否かが秀句と駄句の分水嶺だ。そして、これを発見した喜びのあまり、凡俗はここで安心して「少女」か「少年」を持ってくるだろう。「少年」は字余りだからやはり「少女」かもしれない。一般的情緒が読者を納得させるだろうし、既に「見せ場」は抑えてある。「少女」をもってくる動機は十分だ。しかし、本当の才能はここからだ。「童女」は正真正銘の才能を感じさせる。少女という言葉が女性の年齢的な範囲を曖昧にしか示せないことと、駆けゆく少女がいかに手垢にまみれたロマンへの入口になるかを熟知している作者は「少女」を忌避し、「童女」を用いたのだ。勝負が決まったと思われた時点でもうひとつ上の段階が待っている。季題「桜ごち」は童女が駆けてゆく風景の構成での一般性を意識している。「写生派」を選択した俳人は「一般性」を完全に捨て去ることは難しい。講談社版『新日本大歳時記』(2000)所収。(今井 聖)


April 2442009

 立ち上がるまつ青な草蛇脱げり

                           秋本敦子

実の風景や事物から得られる瑞瑞しい実感と、そこから発する動的なエネルギーが表現に満ちている。蛇の脱皮の営みを包み込む草原の息吹が感じられる。草を動的に捉えて「立ち上がる」というところ。草に対して敢えて「まつ青」と形容するところ。季題である蛇の衣や蛇皮を脱ぐとは違う「蛇脱げり」と舌足らずのようにいうところ。すんなりと書かれているように見える表現のひとつひとつに強烈な作者の個性と工夫が生かされている。過去の文体やら「俳諧味」やらにちょっと自己流をトッピングして俳句巧者を気取る俳人も多い。そういう俳人に限って「だいたい典拠のない表現なんか成り立つのかね」とうそぶく。この句のように、まっさらな自分だけのものへの希求無くしてどこに文学の志があろうか。『幻氷』(2002)所収。(今井 聖)


May 0152009

 歯に咬んで薔薇のはなびらうまからず

                           加藤楸邨

あ、まさしく楸邨の世界だ。句の世界のここちよい、整った「完成度」など最初から度外視。薔薇にまつわる従来のロマンの世界も一顧だにされない。薔薇嗅ぐ、薔薇抱く、薔薇剪る、薔薇渡す、薔薇挿す、薔薇買う…僕らは薔薇のこれまでの集積した情緒を利用し、そこにちょっとした自分をトッピングしようとする。その根性がもうだめなんだとこのものすごい失敗作は教えてくれる。五感を動員して得られたその瞬間の「自分」をどうしてもっと信頼しない。そこが無くしてどうして自己表現、ひいては自分の生の刻印があろうか。楸邨は眼前の薔薇を実感するためについには薔薇を口に入れて「うまからず」とまで言わねば気すまない。一般性、共感度、日本的美意識。そんなものは鼻っから考えてもいない。それらがあたまの隅にあったとしても、対象から得られる自分だけの「実感」が最優先だ。こういう句を俳諧の「滑稽」で読み解こうとするひとがいたらヘボだ。『吹越』(1976)所収。(今井 聖)


May 0852009

 白粉を鼻に忽ち祭の子

                           深見けん二

正な句。品格といってもいい。気品のようなものの出処をあれこれと思うのだが、表現内容はさることながら、切れにその要因があるように思った。「白粉を鼻に」でちょっと切れる。一拍短く置いて、「忽ち」に繋がる。意味からいってそこで切れるが、「写生」の被写体の動きとも時間的に並行してゆく。ぱたぱたと白粉を鼻に塗られ、一拍あって、さあ、祭の子の出来上がりである。祭の子の装いや化粧などを詠んだ句は山ほどあるけれど、この切れが文体のオリジナルを強調し、そこに品格が生じる。繊細丁寧で欲を見せない自然体。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


May 1552009

 累々として今生の実梅たり

                           廣瀬直人

事な句と思う。累々というのだから実梅が地に落ちている情景。「たり」には一個一個の存在感が意図されている。「今生」つまりただ一回きりの自分の生の或る瞬間の風景として実梅を見ている。品格も熟達の技術も一句の隅々まで行渡っている。ところで、今生の或る瞬間の風景として、たとえば自転車や自動車やネジやボルトやパソコンやテレビや机や椅子が「累々」としていては「今生」を意識できないか。できないとするならばなぜかというのが僕の中で持続している問題意識。「今生」の実感を引き出すのに「実梅」が持っている季語としてのはたらきや歴史的に累積してきた「俳句的情趣」が不可欠なのかどうかということ。特段に自然の草木の中に身を置かずとも僕らが日常見聞きし感じている万象の中にこそ「今生」の実感を得る契機は無数に用意されているのではないか。病床六尺の中にいて「今生」の実感を詠った子規が生きていたら聞いてみたいのだが。『新日本大歳時記』(2000)所収。(今井 聖)


May 2252009

 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


May 2952009

 爆笑せしキャンプファイアーの跡と思ふ

                           加倉井秋を

ャンプ地で焚火の痕跡があればキャンプファイアーの跡だと思うのは当然。そんなのは発見でも何でもない。この句は「爆笑せし」という捉え方に詩の核心がある。爆笑せしはキャンプファイアーにかかるけれど、キャンプファイアーは跡にかかっているから爆笑せしは詰まるところ跡にかかる。爆笑せし跡。つまり作者は焚火の痕跡をみて爆笑の声を思っているのである。焚火跡は視覚。臭いもするから嗅覚も混じる。爆笑は聴覚。つまりこの句は視覚と嗅覚を入口にして聴覚に到る。人間の五感の即時的な反応がそのまま言葉に載せられている。これを機智と見るのは少し違う。「知」よりも「感覚」が優先される。しかも三つの別次元の感覚を力技でひとつにまとめ「思ふ」に引き込むのは「知」を超えた才能そのもの。角川書店編『第三版俳句歳時記』(2004)所収。(今井 聖)


June 0562009

 香水や腋も隠さぬをんなの世

                           石川桂郎

本家の馬場當さんが言った。「今井君えらい世の中になったよ」近所の夫婦の夫婦喧嘩の仲裁をしたときのことらしい。妻の浮気を疑っている夫を妻は鼻でせせら笑った。「まったくうるさいわねえ。浮気してたらどうだって言うのよ。減るもんじゃあるまいし」君ねえ、女の方が「減るもんじゃあるまいし」って言うんだ。世の中も変わったねえ。馬場さんが感慨ぶかげに言ったのが5年前。この前会ったときも女性論議。「今、女が運転しながら咥え煙草は当たり前だもんな。今井君もう少し経つと女が立小便するようになるよ」立小便はともかくも男女関係のどろどろの修羅場を得意とする馬場さんらしい慨嘆だとは思った。まあ、男はとかく女に自分の理想を押し付けたがる。そこの虚実にドラマも生まれる。腋を隠さぬくらいで男が驚いたのは昭和29年の作。ここから確かに虚実の実の方の範囲は拡大した。「らしさ」という虚の方もまた時代に沿って姿を変えている。「減るもんじゃなし」を桂郎さんに聞かせたらたまげるだろうな。『現代俳句大系第十一巻』(1972)所収。(今井 聖)


June 1262009

 柿の花こぼれて久し石の上

                           高浜虚子

の小さな柿の花がこぼれて落ちて石の上に乗っている。いつまでも乗っている。「写生」という方法が示すものは、そこから「永遠」が感じられるということが最大の特徴だと僕は思っている。永遠を感じさせるカットというのはそれを見出した人の眼が感じられることが第一条件。つまり「私」が見たんですよという主張が有ること。第二にそこにそれが在ることの不思議が思われること。これが難しい。川端茅舎の「金剛の露ひとつぶや石の上」は見事な句と思うが露の完璧な形とその危うさ、また露と石の質感の対比に驚きの目が行くために露がそこに在ることの不思議さとは少し道筋が違う気がする。それはそれでもちろん一級の写生句だとは言えようが。どこにでもある柿の花が平凡な路傍の石の上に落ちていつまでもそこにある。この句を見るたび、見るかぎり、柿の花は永遠にそこに在るのだ。『ホトトギス季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


June 1962009

 それは少し無理空蝉に入るのは

                           正木ゆう子

句をつくる上での独自性を志す要件はさまざまに考えられるが、この短い形式における文体の独自性は究極の志向といっていいだろう。優れた俳人も多くは文体の問題はとりあえず手がつかない場合が多い。自由律でもない限り575基本形においてのバリエーションであるから、オリジナルの余地は極端に少ないと最初から諦めているひとがほとんどではないか。否な、自由律俳句といえど尾崎放哉のオリジナル文体がその後の自由律の文体になった。自由といいながら放哉調が基本になったのである。内容の新と同時に器の新も工夫されなければならない。この句の器は正木さんのオリジナルだろう。33255のリズムの器。「無理」の言い方が口語調なのでこの文体が成立した。その点と魅力をもうひとつ。「少し」がまぎれもない「女」の視点を感じさせる。男はこの「少し」が言えない。オリジナルな「性」の在り方も普遍的な課題である。『夏至』(2009)所収。(今井 聖)


June 2662009

 捕虫網白きは月日過ぎやすし

                           宮坂静生

モは水中に差し入れて魚などを掬う。こちらの簡略なものは子供の小遣いでも買えたが、捕虫網は柄が長く袋の部分が大きくて網目が細かくできているので比較的高価。小遣いで買うのは大変だった。振り回して破れると母に繕ってもらう。何度も繕っているうちに捕虫網はだんだん小さくなっていった。捕虫網の細かい網目を通して見えてくる故郷はいつも夏の風景だ。自分が子供だったころ、玄関の傘立てなんかに捕虫網はいつもさされてあり、長じて、自分が子供を育てるようになってからは子供の捕虫網が替わりに傘立てにささっていた。捕虫網から捕虫網へ。網目の白から見えてくる風景は永遠に夏だ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)




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