ム子句

January 0312009

 三日はや木綿のやうな風とゐる

                           野木桃花

かに、年が改まったからといってすべてリセットできるわけではない。でも年末、あれこれ溜まったゴミを捨て、そちこち拭いたり磨いたりしていると、あ〜まことに不愉快、といったこびりつきが、うすくなっていくような感じがする。そうこうするうちに迎える元旦、いつもの窓から見える朝日を、初日として眺めながら、よし、と新たな気持ちにもなれる。そして正月三日。今年は明日が日曜なので、少し趣が違うむきも多いだろうけれど、さて正月気分も終わりだなという三日である。木綿のような風、というこの日常的でないちょっと不思議な表現、木綿の飾り気のなさと親しさによって、始まってゆく日常へすっと気持ちを送りこんでくれる。長期休暇を取るなどして、大きく気分転換を意識しなくても、正月という節目を利用して、自分の中のこもごもをうまく切り替え、いちはやく平常心で前を見ている作者であろう。『新日本大歳時記 新年』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


January 1012009

 かまくらに莨火ひとつ息づけり

                           横山房子

まくらは、元来小正月(旧正月十五日)に行われたもの。現在は二月十五、十六日に秋田県横手市で行われる行事として名高い。もとは「鳥追(とりおい)」に由来し、かまくらの名も、鳥追の唄の歌詞から来ているともいわれるが、だんだん雪室が主となり、雪室自体のことを、かまくらと呼ぶようになったようだ。この句は、そんなかまくらの中にぽっと見える、莨(たばこ)の火を詠んでいる。吸うと赤く燃え、口から離すと小さくなる莨の火。小さく鼓動するその火に感じられるのは、子供達のかまくら、という童話の世界でも、幻想的な美しさでもなく、人の息づかい、存在感だ。青白い雪明りの中、かまくらそのものにも生命があるように感じられたのだろう。あれこれ調べていると、出前かまくら、から、かまくらの作り方、まで。出前かまくらは、今日、十日から3日間、横浜八景島シーパラダイスで、とある。いろいろ考えるものだなあ、と。「新日本大歳時記 新年」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


January 1712009

 冬満月枯野の色をして上がる

                           菊田一平

週の金曜日、東京に初雪という予報。結局少しみぞれが落ちただけだった。少しの雪でも東京はあれこれ混乱する。一日外出していたのでほっとしたような、やや残念で物足りないような気分のまま夜に。すっかり雨もあがった空に、十四日の月がくっきりとあり、雫のようなその月を見ながら、掲出句を思い出していた。枯野は荒漠としているけれど、日が当たると、突き抜けたようなからりとした明るさを持つ。凩に洗われた凍て月のしんとした光には、枯野本来のイメージも重ね合わせることができるが、どちらかといえばぱっと目に入る明るさが脳裏に浮かんだのではないか、それも瞬時に。〈城山に城がぽつんと雪の果〉〈煉瓦より寒き首出し煉瓦積む〉など、目の前にあるさまざまな景色を、ぐっとつかんで詠むこの作者なら、枯野の色、という表現にも、凝った理屈は無いに違いない、と思いつつ、細りゆく月を見上げた一週間だった。『百物語』(2007)所収。(今井肖子)


January 2412009

 静寂はラグビーボール立ててより

                           松村史基

グビーのゴールポストはH字形で、2本のポールの幅は5.6メートル、高さは国立競技場で13メートル。地面から3メートルの高さにクロスバーが渡してある。地面に置いたボールを蹴ってゴールをねらうゴールキックの場合、ポールの間、クロスバーの上を通過すれば得点。ゴールに上限はなく、要するに2本のポールは、空に向かって伸びる平行な直線なのだ。キッカーはひたすら5.6メートルの隙間をねらい、空へ向かってボールを蹴る。そこにはサッカーのようなディフェンスとのかけひきはなく、自分との勝負。この句には、そんなラグビーのキックの本質がきちっとあり、切り取られている一瞬の静寂が、その前後の激しいプレーや、突き抜けた冬空をも感じさせる。ラグビーの句というと、冬のスポーツとしての激しさやスピード感、男らしさなどを詠んだものが多く、静寂は、というこの句、昨年朝日俳壇で出会って以来心に残っていたが、2008年の朝日俳壇賞受賞。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2009年1月12日付)所載。(今井肖子)


January 3112009

 雪積むや嘴美しき折鶴に

                           津高里永子

り紙で鶴を折る時、最後に折るのがくちばし、嘴(はし)だ。そして羽を広げると完成。いつ誰に教わったのか、確かな記憶のないまま、鶴の折り方は手が記憶している。私が勤めている学校では、中学一年数学の立体の授業で折り紙を使う。糊もはさみも使わずに、正方形の折り紙を折り込むだけで、正三角形や正五角形のユニットができ、それを組み立てると、さまざまな正多面体と呼ばれる立体ができあがる。余った折り紙で、器用にあれこれ折っている子もいれば、最近は、鶴を折ったことがない、という子もいてさまざま。この句の折鶴は、屋外に置かれた千羽鶴だ。願いをこめて、あるいは祈りをこめて、ささげられた千羽鶴。目の前の千羽鶴に雪が降っているのかもしれないが、千羽鶴の置かれた地を、遠く離れて思っているような気がする。雪は、もののかたちに積もり、やがてすべてを覆いつくす。美し、は、限りなく、悲し、に近いけれど、尖った折鶴の嘴の先に美しい雪解雫の光る春が、かならずめぐって来る。『地球の日』(2007)所収。(今井肖子)


February 0722009

 陶工の指紋薄れて寒明くる

                           木暮陶句郎

日の清水さんの一言に、暦の上でも何でも「春」は嬉しい、とあったが、立春の一日は、毎年そんな気持ちになる。寒明(かんあけ)と、立春。寒が明けて春が立つ、というわけでほぼ同義だけれど、寒明には、長かった冬ももう終わりだなあ、という心持ちがこもる。俳号の通り陶芸家でもある作者。この句、来る日も来る日も轆轤(ろくろ)を挽いていると、ほんとうに指紋が薄れるのかもしれないが、その表現に象徴される年月を、寒明くる、の感慨が受けとめて、じんわりと春の喜びを感じさせる。掲出句と並んでいる〈轆轤挽く春の指先躍らせて〉のストレートな明るさとは、同じ指先を詠みながら対照的だ。そういえば昨年、生まれて初めて轆轤を挽くという経験をした。もう半年以上経つが、濡れた土がすべってゆく、ざらっとしながらもなめらかな得も言われぬ感触は、はっきりと指先に残っている。思えば指ってよく働くなあ、などと思いつつじっと手を見る。「俳句」(2009年2月号)所載。(今井肖子)


February 1422009

 一人づつきて千人の受験生

                           今瀬剛一

句に数字を使う時、ともすれば象徴的になる。特に「千」は、先ごろ流行った歌の影響もあってか、以前よりよく見かける気がするし、つい自分でも使ってしまう。ようするに、とても多いという意味合いだ。しかしこの句の千人は、リアリティのある千人。象徴的な側面もあるだろうけれど、まさに、見ず知らずの一人ずつが千人集まるのが受験生だ。しかも、同じ目的を持ちながら全員がライバル、というより敵である。そしてそれぞれ、千人千色の日々と道のりを背負っている。一と千、二つの数字を本来の意味で使い、省略を効かせて受験生の本質を詠んだ句と思うが、さらにひらがな表記の、きて、がそれらをつないで巧みである。二月も半ば、中学入試が一段落して、これから高校、大学と受験シーズン真っ只中。この季節は、一浪しても第一志望校に拒絶されたことと共に、あれこれ思い出され、幾つになってもほろ苦い。当時は、全人格を否定されたような気持ちになったが、まあ今となれば、生きていればいいこともあるなと思える。街に溢れるバレンタインのハートマークを横目に、日々戦う受験生に幸多かれ。『俳句歳時記 第四版 春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


February 2122009

 庭先の梅を拝見しつつ行く

                           松井秋尚

るほど拝見とは、今が盛りの梅にして言い得て妙である。さりげない表現だが、まこと梅らしい。家から駅まで、数分の道のりだけれど、私にも毎年拝見させていただいている梅の木が何本かある。夕暮れ色の薄紅梅、濃紅梅の盆梅、などまさに庭先の梅ばかり。他にも、黒い瓦屋根がりっぱな角の家の白梅。花は小ぶりなのだが咲き広がってきらきらしている。近くのお寺の境内の奥には、今年初めて気がついた青軸の梅が二本。刈り込まれた庭園の梅とはまた違って野梅めき、ひっそり自由に咲いている。梅林よりも、そんな庭先の親しさが好もしい。花の色も形も枝ぶりも実にさまざまな梅の、長い花期を楽しむうち、冴え返ったりまたゆるんだりしながら、日は確実に永くなってきている。サラリーマン時代に、会社の研修の一環で俳句を始められたという作者。〈勤めたる三十年や遠蛙〉〈入社式大根足のめづらしく〉『海図』(2006)所収。(今井肖子)


February 2822009

 庭掃除して梅椿実朝忌

                           星野立子

倉三代将軍源実朝、歌人としても名高いことは言うまでもないが、陰暦一月二十七日に、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に暗殺されたという。今年は今日がその一月二十七日ということで、この句をと思った次第。梅も椿も、それぞれ春季であり、梅椿、と重ねた言い方を、私はこの句で知ったのだが、季重なりというより、梅も椿も咲いている早春のふわっとした空間を感じる。この句の場合構成を見ると、実朝忌と合わせて三つの季重なり、ということになるのだが、実朝忌の句だ。梅と椿が咲いている庭を掃除しながら、今日もいいお天気、空も春めいてきたなあ、などとちょっと手を止めた時、ああ、そういえば今日は実朝忌だわ、と気づいたのだろうけれど、こうして意味をとろうとするとなんだかつまらなくなる。くいっとつかまれるのだが、うまく説明できない、ということが、立子の句にはよくある。それはきっと、俳句でしか表現できないことを詠んでいる、ということなのだろう。『虚子編新歳時記 増訂版』(1995・三省堂)所載。(今井肖子)


March 0732009

 雛の間の障子半分湖に開け

                           中井富佐女

月三日に東京に雪が降ったのは、二十五年ぶりのことだという。雨が雪に変わった今年の雛の日は、朝から春寒の趣だったが、昼から夕方にかけてきゅっと冷えこみ、暮れてからこれは予報どおり雪かも、とリビングの障子を少し開けたら、ベランダがうっすら白い。思わず、お雛様の方へ振り向いて、ほら雪、雪、と言ったのだった。この句は、湖に向かって雛を飾った障子を半分開けた、と言っているだけだ。でもこの、半分という一語に丁寧な所作が見え、暮らしと共にある湖に、一年に一度会うお雛様に、心を通わせている作者の姿が見えてくる。遠くを見ているようでどこも見ていないような、お雛さまの永遠の微笑みと広々とした湖に、時間はまた流れていながら止まっているようでもある。この湖は琵琶湖。滋賀の堅田に今も続く、浪乃音酒造の八代目中井余花朗・富佐女夫妻の合同句集『浪乃音』(1967)所収。(今井肖子)


March 1432009

 猫の恋太古のまゝの月夜かな

                           宇野 靖

こ一、二年、一階に住む妹の家に毎日猫がやってくるようになった。野良もいれば、首輪をした飼い猫もいて、ふらりとやって来ては、餌を食べていなくなる。幸い「野良猫に餌をやっては困ります」という話がご近所から出ることもなく、猫の方もこの界隈を渡り歩いてゆるゆる過ごしているようだ。でも、そのわりには特にここ数年、春になっても夜は静かな気がする、恋してるのか、猫。ともあれ、月を仰ぐ時、海を見る時、山頂からさらに遙かな山々を見渡す時、太古の昔から変わらない風景なのだという感慨と共に、自らのヒトとしての本能を呼びさまされるような気がする。作者も、そんな気持ちになったのだろうか。ざわざわと内なるものの波立つ春の夜。掲出句は、「ホトトギス雑詠選集 春の部」(1989・朝日新聞社)にあり、昭和十二年に掲載されたもの。昭和十二年といえば、河東碧梧桐が亡くなった年だな、ということを、以前どこかで観た、碧梧桐の猫の絵のくっきりした墨の色と共に思い出した。(今井肖子)


March 2132009

 大男にてもありける利久の忌

                           相生垣瓜人

休忌(利久忌)は、旧暦二月二十八日。今年でいうと、三月二十四日にあたる。そして利休の身長は、残されている鎧から推測すると180cm位だったらしい。利休、茶道、侘び茶という連想から、こじんまりと枯れた雰囲気の人物像を勝手に想像してしまっていたが、考えてみれば戦国時代、お茶を点てるのも命がけであり、利休にしろ始めからおじいさんだったわけではない。それにしても、秀吉の身長が、通説の140cmは不確かとはいえ、少なくとも小柄だったことは間違いないとすれば、二人の心理的関係の別の側面も想像される。この句は、利休は大男であった、という、ちょっと意外とも思われる事実を、やや詠嘆をもって詠んでいる。それを知っていれば、そうなんだよね、と思いながら、知らなければ、へえそうなんだ、と思いながら、利休の生涯にそれぞれがふと心を留めるだろう。正座と和菓子が大の苦手で、茶道はとても近寄りがたいが、利休という人物にはちょっと興味をひかれるのだった。「新日本大歳時記 春」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


March 2832009

 不可能を辞書に加へて卒業す

                           佐藤郁良

業シーズンが終わり、三月が終わる。このところの寒の戻りで、東京の桜の見頃も予想より遅れそうだが、温暖化の影響で満開にならない桜もあるらしいと聞くと、いろいろなものが少しずつひずんできているのだと改めて。それでも、最近の中高生に教えるのは大変でしょう、と聞かれると、まあそう変わりません、というのが正直なところだ。今も昔も、中学から高校にかけての年頃は、本人もまわりも大変といえば大変だし、その成長ぶりは常に想像を超えてめざましい。この句の卒業は高校である。不可能が辞書に加わった理由は、大学入試の失敗か失恋かそれとも。どう読むかで、思い描かれる十八歳の人間像がだいぶ違うのも面白い。いずれにしろ、お互いの人生の一時期を共有できたことに感謝しつつ、彼等の未知の可能性を信じて送り出す教師のまなざしがある。〈卒業や証書の中に光る沖〉『海図』(2007)所収。(今井肖子)


April 0442009

 流し雛波音に耳慣れてきて

                           荒井八雪

流しの行事は今も行われているが、その時期は、新暦、旧暦の三月三日、春分の日など地方によってさまざまだ。吉野川に雛を流す奈良県五条市の流し雛は、現在四月の第一日曜日ということなので明日。写真を見ると、かわいい着物姿の子供達が、紙雛をのせた竹の舟を手に手に畦道を歩いている。そして、吉野の清流に雛を流して祈っているのだが、その着物の色は、千代紙を思い出させる鮮やかでどこか哀しい日本の赤や水色だ。紙雛はいわゆる形代であり、身の穢れを流し病を封じるといい、雛流しは、静かでやさしい日本古来の行事のひとつといえる。この句は、波音と詠まれているので海の雛流しなのだろう。作者は雛を乗せた舟をずっと見送っている。春の日の散らばる海を見つめて佇むうち、くり返される波音がいつか海の心音のように、自分の体が刻むリズムと重なり合ってゆく。そんな、耳が慣れる、もあるのかもしれない、とふと思った。『蝶ほどの』(2008)所収。(今井肖子)


April 1142009

 本当の空色の空朝桜

                           永野由美子

の朝桜は、少し濡れているような気がする。それは昨夜の雨なのか、朝靄の名残なのか。満開にはまだ少し間のある、紅のぬけきらない桜。ときおり花を激しく揺らす鳥の姿も見える。朝の光を散らす桜に透ける空を仰ぎながら作者は、ああ日本の空の青だ、と思ったのだろう。本当の空色がどんな色なのか、それを考えてみたところであまり意味はない。二人で一緒に空を仰いでいても、私の青空とあなたの青空は違うだろうし、それを確かめる術はない。ただ、その青空がくれる心地よさを共有していれば幸せだ。別に空が青いくらいで幸せになんかならない、という人はそれでもいい。ああ、そんな気持ちになったことがある、という人はその青空を思い出すかもしれない。それぞれである。開花してから一気に暖かくならなかった東京の桜、やや潔さに欠けつつ終わってゆく。それも勝手な言いぐさだなと、アスファルトの上を行き所なく転がる花屑を、謝るような御礼を言うような気持ちで見送っている。俳誌「阿蘇」(2008・七月号)所載。(今井肖子)


April 1842009

 ふらここに坐れば木々の集まれり

                           井上弘美

寄駅を出るとすぐ、通勤電車の車窓にこんもりと木々が見え、ああ、また丘がふくらんできたなあ、と実感している。この丘は公園になっていて、不必要な整備が好きな私の住む区にしては、木も地面もまあそのままの貴重な場所だ。その広い公園の端に、すべり台やぶらんこなど遊具が置かれている一画がある。人がいないのを見計らって、逆上がりをしてみたりぶらんこを思いきり漕いだりするのだが、ちょうど今頃がぶらんこには心地よいかも、とこの句を読んで思う。萌え始めた木々に囲まれたぶらんこを遠くから見ている作者。ゆっくりと近づいてぶらんこの前に立つ。体の向きを変え、鎖をつかみながら、その不確かな四角に腰を乗せ、空を仰いだ途端、ぶらんこを囲んでいる木々に包みこまれたような気持ちになったのだろう。そして風をまといつつ、しばらく揺られていたに違いない。〈うらがへりうらがへりゆく春の川〉〈野遊びの終りは貝をひらひけり〉など春の句で終わる句集の最後の一句は〈大いなる夜桜に抱かれにゆく〉。『汀』(2008)所収。(今井肖子)


April 2542009

 姉といふ媼もよけれ諸葛菜

                           千代田葛彦

しい友人の妹さん曰く「おばあちゃんになったら、お姉ちゃんと二人きりで向かい合って千疋屋で苺パフェを食べたいの。お母さんやお父さんの思い出話して、あんな事もあったね、こんなこともあったね、なんて言いながら・・・それが夢なのよ」。ちなみに友人は独身で、妹さんには現在育ち盛りの息子が二人。小さい頃はけんかばかりでも、ある程度の年齢になった姉妹には、不思議な心のつながりがある。この句の作者は男性なので、姉に対する気持ちはまた違うと思うが、媼(おうな)という呼び名に違和感のないお年頃の姉上に注がれる、変わらぬやさしい愛情が感じられる。花大根、むらさきはなな、などさまざまな名前を持つ諸葛菜。ふだんはどうしても、線路際に群れ咲くイメージだが、先日近郊の野原に咲くこの花を間近で見る機会があり、車窓を流れるいつもの紫より心なしか色濃く、一花一花に野の花としての愛らしさが見えた。作者もきっと、そんな瞬間があったのでは、と諸葛菜に姉上の姿を重ねてみるのだった。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


May 0252009

 お祈りをして遠足のお弁当

                           山田閏子

ただしく始まった新学期も、オリエンテーション、新入生歓迎会、遠足などを経て、ゴールデンウィークで一息。つい数日前も、真新しい黄色い帽子が二人ずつ手をつなぎ、あとからあとから曲がり角からあふれてきた。千代田区の小学校も結構人数が多いなあ、と思いながら、小さいリュックの背中を見送ったが、そんな遠足の列を詠んだ句はよく見かける。この句は、最大の楽しみであるところのお弁当タイム。ミッション系のおそらく一年生で、さほど大人数ではないだろう。芝生の上に思い思いに坐って開いたお弁当を前に、日頃そうしているように小さい手を合わせ、お祈りの言葉をつぶやいてから、大きく「いただきます」。かわいい。描かれているのは、日差しや草の匂い、囀りに似たおしゃべりと笑い声、それを見ている作者の幸せ。お祈り、お弁当、二つの丁寧語があたたかい。句集のあとがきに、「平凡な主婦の生活の中で、俳句に佇んでいる自分自身を見つけることができた」とある。俳句との関わり方も句作態度も、こうあらねばならない、ということはない、それぞれだと思う。『佇みて』(2008)所収。(今井肖子)


May 0952009

 言葉にて受けし傷膿む薔薇の苑

                           寺井谷子

が、いただいた鉢植えの薔薇を、ほんの1平方メートルほどの玄関先の植え込みに移したのが一昨年。水やり以外特に手入れもしていないというが、ずっと咲き続けている。花弁は緑がかった淡黄色、中心はほのと薄紅色を巻きこんでいるが、開くと緑が勝つ。小ぶりで、雨が降ると少し香り、どこかそっけない不思議な野性味を感じさせる薔薇だ。今年もいよいよ盛りとなってきたそんな薔薇を、朝な夕な見つつ掲出句に出会った。苑に咲くこの句の薔薇は、圧倒的な深紅だろう。果実のような色と香りに、思いがけずよみがえる痛み。突き刺さった言葉の棘をそっとぬいて傷口をなめて、深く閉じ込めてしまったはずの痛みだ。上手に忘れたはずなのに、思いがけないきっかけで、ありありとよみがえる記憶にやりきれない心持ちになることがある。忘れることは、生きていくためにもっとも必要な能力のひとつだけれど、記憶をコントロールすることは難しい。傷は治ったわけじゃない、深いところで膿んでいるのだ、と言葉にする強さを持つ作者の、大輪の薔薇のように凛とした姿が思われる。『笑窪』(1986)所収。(今井肖子)


May 1652009

 白菖蒲みにくき蝶のはなれざる

                           竹内留村

菖蒲とあるので、いわゆる花菖蒲。もう咲き始めている。花菖蒲の紫は色濃く、大和紫とでもいいたくなるようなしっとりとした風合いだが、そこに混ざって咲く白は、初夏の日差しを受けてひときわまぶしい。まっすぐな葉と茎の上に、ゆるやかな花がひらひら咲く姿、それ自身が蝶のようにも見えるが、そこに白い蝶が見え隠れしている。みにくい芋虫から美しい蝶になったはずが、みにくき蝶とは気の毒だが、同じ白でも動物と植物、かたや体液が通い、かたや水が通っている。強くなってきた日差しと風に、少し疲れた蝶。明日には、菖蒲田の水にその姿を沈めるかもしれない。そんな蝶に、どことなく愛着も感じているのだろう。ひらがなの中の、白菖蒲と蝶、ふたつの白が交錯してゆれている。句集には、〈毛を風に吹かせて毛虫涼しげに〉という句もありこちらは、あまり好かれることがなく句の中ではたいてい焼かれている毛虫が気持ちよさそうで、なんだかうれしくなる。『柳緑花紅』(1996)所収。(今井肖子)


May 2352009

 万緑のひとつの幹へ近づきぬ

                           櫻井博道

京の緑を見て万緑を詠んじゃいけないよ、と言われたことがある。万の緑、見渡す限りの緑であるから、まあ確かにそうなのかもしれない。それでも、時々訪れる目黒の自然教育園など夏場は、これが都心かと思うほどの茂りである。どこかの島の、圧倒的な緑の森に迷い込んだような錯覚に陥りながら歩いていると、星野立子の〈恐ろしき緑の中に入りて染まらん〉の句を思い出す。「万緑」は、それだけで強い力を感じる言葉なので確かに、万緑や、などと言ってしまうと後が続かなくてただぼーっとしてしまって、なかなか一句になりにくい。そんな万緑も、大地に根を張った確かな一本一本の木からできている。森を来た作者の視線の先には今、一本の大樹の太い幹があるばかりだが、読者には、作者が分け入ってきた、それこそ万の緑がありありと見えてくる。ひとつの、の措辞が、万に負けない力を感じさせる。『図説俳句大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


May 3052009

 麦秋の縮図戻して着陸す

                           藤浦昭代

は夏に実りの季節を迎えるので、麦秋(ばくしゅう・むぎあき)は夏季。陰暦四月の異称でもあるという。二十年近く前、一面の麦畑に北海道で出会ったことがある。確か夏休みで7月だった。黄金色のからりとした風と草の匂いに、あ〜麦酒が飲みたい、と連想はそちらに行ってしまったが、風景ははっきり記憶にある。掲出句の作者は、ところどころに麦畑がある街から、初夏の旅に出たのだろう。少し傾きながら離陸する窓の中、みるみるうちに小さくなる家や畑。見渡す限りの緑に囲まれて、あちこちに光る麦畑が、遠くなるほどいっそうくっきり見える。上空からならではの、その離陸の時の感動を抱えたまま旅を終え、無事に着陸。縮図を戻しながら、色彩のコントラストと、何度体験しても慣れない着陸時のスリリングな心持ちを体感した。『ホトトギス新歳時記』(1986・三省堂)所載。(今井肖子)


June 0662009

 妙なとこが映るものかな金魚玉

                           下田實花

余りの上五の口語調が、新橋の芸妓であった實花らしいちゃきちゃきした印象。団扇片手に涼んでいたら、縁先に吊した球形に近い金魚玉に、あらぬ方向の窓の外を通る人影かなにかが動いて見えたのだろう。日常の中で、あら、と思ったその小さな驚きを、さらりと詠むところは、同じ芸妓で句友でもあった武原はん女と相通じている。實花、はん女、それにやはり新橋の芸妓で常磐津の名手であった竹田小時の三人が、終戦直後の名月の夜、アパートの屋上でほろ酔い気分、口三味線に合わせ足袋はだしで舞った、という話をはん女の随筆集で読んだ。その小時にも金魚の句〈口ぐせの口三味線に金魚見る〉がある。知人の金魚が金魚玉いっぱいに大きくなってしまった時、窮屈そうで気の毒と思うのは人間の勝手、あの子はあれで案外幸せなのよ、と言っていた。見るともなく金魚を見ている二人の芸妓。何が幸せ不幸せ、ときに自分を重ねてみたりすることもあっただろうか。『實花句帖』(1955)所収。(今井肖子)


June 1362009

 黒南風の岬に立ちて呼ぶ名なし

                           西東三鬼

ういうのを黒南風というのかな、と思う日があった。東京に梅雨入り宣言が出される少し前、ぬるくまとわりつくような風と細かい雨が、一日街をおおっていた。帰宅して、歳時記の黒南風のところを読んでいて惹かれたのが掲出句。岬に一人立って思いきり大きい声で、あるいは声にならない声を心の中に響かせて、誰かの名を呼んでいる・・・というのなら、それが冷たく突き刺さる北風ではなく、生暖かい黒南風であればなお、じんわりとやりきれなく寂しい。そこをきっぱり、呼ぶ名なし、と言い切っているこの句には、ものすごくがらんとした深い孤独感が、強烈に存在している気がした。以前から気になっていた、三鬼、という俳号のいわれなど見てみると、1933年に三十三歳で俳句を始めたからとか、サンキュウのもじりだとか、諸説。気になるのはむしろ、なぜ「鬼」か、なのだけれど。『図説俳句大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


June 2062009

 アロハ着て竜虎の軸を売り余す

                           木村蕪城

ロハシャツといえば、以前は原色で派手で映画でヤクザが着ている、というイメージだった。この句はヤクザというより香具師か。くわえ煙草で、売れ残ったなんとなくあやしい軸を前に、ちっ、とか言ってそうだ。売れ残る、ではなく、売り余す、という表現が、暑かった日中と、夕焼けのやりきれない赤を思わせる。歳時記の解説によると、アロハシャツは終戦後夏服として爆発的に流行したという。最近は、ハワイの正装、といったイメージの方が強いかもしれないが、夏服として渋い色合いのアロハシャツをうまく着こなしている人も見かける。今年八十四歳の父は、今でも週二回仕事で外出するが、通勤時は一年を通じて白い長袖ワイシャツ、ちょっと出かける時はゴルフのポロシャツ、家にいる時はパジャマ、の生活が続いていた。それが数年前、ハワイに旅行した際、「似合うんじゃない」の孫の一言で、アロハシャツを一枚購入。ブルーが基調の渋めの柄である。長身で色黒の父がそれを着ると、どこから見ても日系二世、ハワイの街にとけこんでいたが、今では夏の一張羅、着心地がよいのだそうだ。明日の父の日、近所の天麩羅屋にアロハを着て出かけることになるかもしれない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 2762009

 雨傘に入れて剪る供花濃紫陽花

                           笹川菊子

年の紫陽花は色濃い気がしませんか、と幾度か話題になる。東京は梅雨らしい天気が続いているのでそう思うのかもしれないが、確かに濃い青紫の紫陽花の毬が目をひく。本棚の整理をしながら読んでいた句集にあったこの句、雨傘、に目がとまった。雨は雨粒、傘は水脈を表し、共に象形文字だというが、見るからに濡れてるなあ、そういえばこの頃あまり使わない言葉だけど、と。庭を見ながら、紫陽花を今日の供花にと決めた時から、その供花に心を通わせている作者。その心情が、雨傘に入れる、という表現になったのだろう。もう濡れてしまっているけれど、だからこそ滴る紫陽花の色である。作者の甥の上野やすお氏がまとめられたこの句集には、星野立子一周忌特集の俳誌『玉藻』(昭和六十年・三月号)に掲載された文章が収められている。朝日俳壇選者であった立子の秘書として、立子と、同時期に選者であった中村草田男、石田波郷との和やかな会話など書かれている興味深い文章の最後は、「お三人の先生は、もうこの世には在さないのである。」の一文でしめくくられていた。『菊帳余話』(1998)所収。(今井肖子)




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