January 052009
仕事始のスイッチ祷るが如く入る
啄 光影
仕事始め。この不況下だから、今日から通常業務とする会社が多いかもしれない。私が二十代のサラリーマンだった頃は、ずいぶん暢気なものだった。定時までに出勤はするが、朝一番に社長の年頭の挨拶があり、終わると酒が出た。仕事熱心な者は、それでもあちこちに新年の挨拶の電話をかけたり、年始回りをやったりしていたけれど、たいがいは飲みながらの雑談に興じたものだった。あとは三々五々と流れ解散である。なかにはこの状態を見越して計画的に欠勤する人もいたくらいだ。平井照敏によれば、昔は大工は鉋だけ研ぎ、農家は藁一束だけ打ち、きこりは鋸の目立てだけしたそうである。掲句はいつごろの句か知らないが、昔の句だとすると、工場の機械の点検だけの「仕事始め」と受け取れる。日頃調子の良くない機械なのだろう。明日からの本格的な仕事に備えて、正月明けくらいはちゃんと動いてくれよと、祷(いの)るような思いでスイッチを入れている図だ。そしておそらく、試運転は成功だった。安堵した作者の顔が見えるようだ。今日は、同じような思いで会社のパソコンのスイッチを入れる人も、きっといるはずである。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)
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