職を失ったことのない人が多数だろう。でも、現状に想像力は働かせてほしい。(哲




2009ソスN1ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0812009

 蓋のない冬空底のないバケツ

                           渡辺白泉

月からしばらく東京では穏やかな晴天が続いた。雲ひとつなくはりつめた空はたたけばキーンと音がしそうだ。人も車も少ない正月は空気も澄んでいて山の稜線がくっきり間近に感じられた。冬空と言ってもどんよりとした雪雲で覆われがちな日本海側の空と太平洋岸の空では様相が違う。掲句の空は冷たく澄み切った青空だろうが、こんな逆説的な表現で冬空の青さを感じさせるのは白泉独特のもの。たたみかけるように続く「底のないバケツ」は「冬空」とのアナロジーを働かせてはいるが、単なる比喩ではない。蓋と底の対比を効かせ、「ない」「ない」のリフレインも調子がいいが「冬空」の後に深い切れがある。見上げた空から身近に転じられた視線の先に「底のないバケツ」が無造作に転がっている。虚から実へ、とめどなく広がる冬青空を見上げたあとのがらんと寂しい作者の心持ちが錆びて底の抜けたボロバケツになって足元に転がっている。『渡邊白泉全句集』(1984)所収。(三宅やよい)


January 0712009

 七くさや袴の紐の片むすび

                           与謝蕪村

般に元旦から今日までが松の内。例外もあって、十五日までという地方もある。人日とも言う。七草とは、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これら七種を粥にして食べれば万病を除く、とされるこの風習は平安朝に始まったという。蕪村の時代、ふだんは袴などはいたことのない男が、事改まって袴を着用したが、慣れないことと緊張とであわてて片結びにしてしまったらしい。結びなおす余裕もあらばこそ、そのまま七草の膳につかざるを得なかったのであろう。周囲の失笑を買ったとしても、正月のめでたさゆえに赦されたであろう。七草の祝膳・袴姿・片むすび――ほほえましい情景であり、蕪村らしいなごやかさがただよう句である。七草のことは知っていても、雪国の田舎育ちの私などは、きちんとした七草の祝膳はいまだに経験したことがない。ボリュームのある雑煮餅で結構。もともと雪国の正月に七草など入手できるわけがない。三ケ日の朝食に飽きもせず雑煮餅を食べて過ごしたあと、さすがにしばし餅を休み、「七日正月」とか何とか言って、余りものの大根や葱、豆腐、油揚、塩引きなどをぶちこんだ雑煮餅を食べる、そんな〈七草〉だった。江戸時代に七草を詠んだ句は多いと言われるけれど、蕪村が七草を詠んだ句は、この一句しか私は知らない。志太野坡の句に「七草や粧ひかけて切刻み」がある。『与謝蕪村集』(1979)所収。(八木忠栄)


January 0612009

 膝くづし草石蚕をすこし齧りけり

                           仲 栄司

日から仕事始めの方も多いなか、今さら正月料理を出すのも心苦しいが、一度紹介してみたかった「草石蚕(ちょろぎ)」をぜひ。実際に目にする機会は、黒豆とともに添えられたおせちのお重のなかでしかないと思われるシソ科イヌゴマ属の多年草の根の部分である。百合根のような風味なのだが、見た目は名前の通り、蚕というかグロテスクな幼虫のかたちをしており、しかも真っ赤に染められている。初対面ではひと齧りするのもおっかなびっくりという具合であろう。掲句では膝をくずしたあたりのタイミングも絶妙。一体甘いのやら酸っぱいのやら、果ては食べてもよいものなのかということまで含み、皆目見当のつかない物体なのである。ちょろぎがおせちに紛れ込んでいる理由のひとつにその名が「長老喜」と当て字されるおめでたい食べ物ということもあり、「せっかくなのだから食べてみたら」と再三勧められたのちおそるおそる伸ばした箸なのか、それとも興味津々の我慢の末、場がなごんだのを機会に「えいっ」と伸ばした箸なのかも気になるところ。愛すべき草石蚕の画像はこちら。『ダリの時計』(2008)所収。(土肥あき子)




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