東京に初雪の予報。でも、すぐ雨に変わりそう。はじめから雪は降らないかも。(哲




2009ソスN1ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0912009

 陸沈み寒の漣ただ一度

                           齋藤愼爾

には(くが)のルビあり。陸という表現からは、満潮によって一時的に隠れた大地というより、「蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男」のような太古への思いや天変地異の未来予言を思うのが作者の意図のような気がする。人類の歴史が始まる何万年も前、あるいは人類などというものがとうの昔に死に絶えた頃、陸地が火山噴火か何かの鳴動でぐいと海中に沈み、そのあと細やかな波が一度来たきりという風景。埴谷雄高のエッセーの中に、人類が死に絶えたあとの映画館の映写機が風のせいでカラカラと回り出し、誰もいない客席に向かって画像が映し出されるという場面があった。時間というもの、生ということについて考えさせられるシーンである。しかし、僕は、いったんそういう無限の時への思いを解したあとで、もう一度、日常的な潮の干満の映像に戻りたい。どんなに遥かな思いも、目に見える日常の細部から発しているという順序を踏むことが、俳句の特性だと思うからである。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


January 0812009

 蓋のない冬空底のないバケツ

                           渡辺白泉

月からしばらく東京では穏やかな晴天が続いた。雲ひとつなくはりつめた空はたたけばキーンと音がしそうだ。人も車も少ない正月は空気も澄んでいて山の稜線がくっきり間近に感じられた。冬空と言ってもどんよりとした雪雲で覆われがちな日本海側の空と太平洋岸の空では様相が違う。掲句の空は冷たく澄み切った青空だろうが、こんな逆説的な表現で冬空の青さを感じさせるのは白泉独特のもの。たたみかけるように続く「底のないバケツ」は「冬空」とのアナロジーを働かせてはいるが、単なる比喩ではない。蓋と底の対比を効かせ、「ない」「ない」のリフレインも調子がいいが「冬空」の後に深い切れがある。見上げた空から身近に転じられた視線の先に「底のないバケツ」が無造作に転がっている。虚から実へ、とめどなく広がる冬青空を見上げたあとのがらんと寂しい作者の心持ちが錆びて底の抜けたボロバケツになって足元に転がっている。『渡邊白泉全句集』(1984)所収。(三宅やよい)


January 0712009

 七くさや袴の紐の片むすび

                           与謝蕪村

般に元旦から今日までが松の内。例外もあって、十五日までという地方もある。人日とも言う。七草とは、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これら七種を粥にして食べれば万病を除く、とされるこの風習は平安朝に始まったという。蕪村の時代、ふだんは袴などはいたことのない男が、事改まって袴を着用したが、慣れないことと緊張とであわてて片結びにしてしまったらしい。結びなおす余裕もあらばこそ、そのまま七草の膳につかざるを得なかったのであろう。周囲の失笑を買ったとしても、正月のめでたさゆえに赦されたであろう。七草の祝膳・袴姿・片むすび――ほほえましい情景であり、蕪村らしいなごやかさがただよう句である。七草のことは知っていても、雪国の田舎育ちの私などは、きちんとした七草の祝膳はいまだに経験したことがない。ボリュームのある雑煮餅で結構。もともと雪国の正月に七草など入手できるわけがない。三ケ日の朝食に飽きもせず雑煮餅を食べて過ごしたあと、さすがにしばし餅を休み、「七日正月」とか何とか言って、余りものの大根や葱、豆腐、油揚、塩引きなどをぶちこんだ雑煮餅を食べる、そんな〈七草〉だった。江戸時代に七草を詠んだ句は多いと言われるけれど、蕪村が七草を詠んだ句は、この一句しか私は知らない。志太野坡の句に「七草や粧ひかけて切刻み」がある。『与謝蕪村集』(1979)所収。(八木忠栄)




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