January 122009
成人の日ひかる唇イエスと言う
山口可久美
作者自身の「成人の日」ではないだろう。我が子の式典に参列したのか、あるいは役目上での出席か。「イエス」はおそらく、新成人の若者がこの日の誓いの言葉か何かにいっせいに和した様子だと思われる。「ひかる唇」が効いている。べつに唇がひかって見えたわけではないけれど、そのように感じられたということだ。つまり「ひかる唇」という表現には、作者の若さへの憧憬を秘められているのだ。異口同音に「イエス」と言える若さの素朴は、作者が失って久しいものなのだろう。若いって、いいなあ……。私なども年齢を重ねるにつれて、この思いが強くなってきた。しかし一方で、自分が若かった頃を思い出すと、そう簡単に「イエス」などとは言えなくて、いつも「ノー」が先行していたのだった。自宅から歩いて五分で行ける公民館で催された式典にも、意識的に欠席した。でもそんな若い私を見ていた年配の人がいたとしたら、やはり私の若さを眩しく感じたには違いない。人生は順繰りだ。いまは素直に、自信の若さの生意気を懐しいなと思えるようになった。『現代俳句歳時記・冬 新年』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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