東京では最低気温が零下3度程度の日々が続いています。寒中ですねえ。(哲




2009ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412009

 サラリーマン寒いね東スポ大切に

                           清水哲男

年からの世界的な不景気のことを、新年早々からくり返したくもない。けれどもサラリーマンに限らず、自営、新卒の人たちも含めて、このところのニッポンの寒さは一段と厳しい。何年も前に作られた哲男の句がピッタリするような世の中に相成りました。もっとも景気の良し悪しにかかわらず、通勤するサラリーマンがスポーツ紙に見入っている図は、どこかしら寒々として見える。私もサラリーマン時代には、電車のなかや昼休みの喫茶店でよく「東スポ」や「スポニチ」を広げて読んでいた。売らんかなのオーバーでバカでかい見出し文字や大胆な報道が、サラリーマンの鬱屈をしばし晴らしてくれる効果があった。掲出句の場合、いきなり「サラリーマン」ときて「寒いね」の受けがピシリと決まっている。せつなくもやさしく同病(?)相憐れんでいるのかもしれない。この場合、冬の「寒さ」ばかりではあるまい。かつて「♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ・・・・」とも歌われたけれど、私の経験から言えば気楽な反面、憐れな稼業でもあることは骨身にしみている。おそらく若いサラリーマンであろう。広げている新聞が日経でも朝日でもなく、東スポであるところが哀しくもうれしいではないか。若いうちから日経新聞(恨みはございませんが)に真剣に見入っているようでは、なんとも・・・・。下五の「大切に」に作者の毒を含んだやさしい心がこめられている。憐れというよりもユーモラスで暖かい響きが残された。『打つや太鼓』(2003)所収。(八木忠栄)


January 1312009

 サーカスの去りたる轍氷りけり

                           日原 傳

郷の静岡には毎年お正月にサーカスが来ていた。「象がいるから雪の降らない静岡にいるんだ」などと、勝手に思い込んでいた節もあるので実際毎年必ず来ていたのかどうか定かではないが、サーカスのテントは見るたび寒風のなかにあった。冬休みが終わり、三学期が始まり、学校の行き帰りに大きなテントを目にしていたが、実際に連れて行ってもらったかどうかは曖昧だ。さらにトラックの行列や設営のあれこれは見ているのに、引き上げるトラックを見かけた記憶はなく、いつもある日突然拭ったような空間がごろり放り出されるように広がって、ああ、いなくなったのだ、と思う。掲句はさまざまな年代がサーカスに抱く、それぞれの複雑な思いを幾筋もの轍に込めている。そしてわたしも、どうして「行きたい」と言えなかったのだろう、と大きな空地になってから思うのだった。〈花の名を魚に与へてあたたかし〉〈伝言を巫女は菊師にささやきぬ〉『此君』(2008)所収。書名「此君(しくん)」は竹の異称。(土肥あき子)


January 1212009

 成人の日ひかる唇イエスと言う

                           山口可久美

者自身の「成人の日」ではないだろう。我が子の式典に参列したのか、あるいは役目上での出席か。「イエス」はおそらく、新成人の若者がこの日の誓いの言葉か何かにいっせいに和した様子だと思われる。「ひかる唇」が効いている。べつに唇がひかって見えたわけではないけれど、そのように感じられたということだ。つまり「ひかる唇」という表現には、作者の若さへの憧憬を秘められているのだ。異口同音に「イエス」と言える若さの素朴は、作者が失って久しいものなのだろう。若いって、いいなあ……。私なども年齢を重ねるにつれて、この思いが強くなってきた。しかし一方で、自分が若かった頃を思い出すと、そう簡単に「イエス」などとは言えなくて、いつも「ノー」が先行していたのだった。自宅から歩いて五分で行ける公民館で催された式典にも、意識的に欠席した。でもそんな若い私を見ていた年配の人がいたとしたら、やはり私の若さを眩しく感じたには違いない。人生は順繰りだ。いまは素直に、自信の若さの生意気を懐しいなと思えるようになった。『現代俳句歳時記・冬 新年』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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