減煙の誓いもあらま早二十日。今からでも遅くはないと、毎朝誓うのだが。(哲




2009ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012009

 自転車を嘶く形にそろへ冬

                           小林貴子

の多い東京の町を自転車で走るとき、ときおり人馬一体という言葉が頭をよぎる。上り坂でがんばっているのは自分ひとりのはずなのに「がんばれがんばれ」と自転車に言い聞かせている。その中にすとんと体を収める自動車は移動する自室という感覚になるが、サドルにまたがりペダルを漕ぐという肉体的な動作を伴い、外気と触れ続ける自転車は、歩くや走るの延長線上にあり、尚かつ愛着のあるものともなると愛馬に抱く感情に近い。掲句もきれいに並べられた自転車置き場に自分の一台を加えたとき、ふとつながれた馬の姿を重ねたのだろう。人間の足音が遠ざかったのち、ほうぼうの自転車は嘶きの白息をこぼすのかもしれない。今回ネットサーフィンのなかで「サイクルポロ」という競技を見つけた。その名の通り自転車を使ったポロ競技で、馬を飼うのが大変だったことが起源という。しかし、さすがに流鏑馬のかわりに自転車で、という競技は今のところないようだ。〈マント羽織るときに体を半回転〉〈遠き冬針焼いて棘抜きしこと〉『紅娘』(2008)所収。書名「紅娘」はてんとうむし。(土肥あき子)


January 1912009

 餅切てゐるらし遠のく思ひのよろし

                           河東碧梧桐

を切る音を久しく聞かない。今はスーパーで、手ごろな大きさに切ってある餅を売っていたりする。といって、掲句の「餅切る」は、雑煮や汁粉のために少量を切っているのではないだろう。昔は正月に入ってからもう一度餅を搗き、保存食として「かき餅」にしたものだ。箱状の容器に薄く伸べた餅を、包丁で細く短冊状に切ってゆく。たくさん切るのだから、この単純作業には手間がかかる。面白い作業ではない。厨のほうから、そういうふうにして餅を切る音というか気配が伝わってきた。切っているのは、おそらく作者の妻だろう。その人は、何か深刻な「思ひ」を抱えているのだ。さきほど、聞かされたばかりである。いかし、しばらく静かだった厨から餅を切る音がしはじめた。そこで、作者がようやくほっとしている図だ。餅を切るという単純作業に入ったということは、その間だけでも「思ひ」は遠のくはずだからである。でも、この「よろし」は作者自身の自己納得なのであって、切っている当人の心持ちは「よろし」かどうかはわからない。こうした自己納得は日常的によく起きる心象で、こんな気持ちを繰り返し育てながら、誰もが生きている。大正六年の作。冬の句だろうが、とりあえず無季句に分類しておく。短詩人連盟刊『河東碧梧桐全集・第一巻』(2001)所収。(清水哲男)


January 1812009

 春を待つ文を遣らねば文は来ず

                           上津原太希子

語は「春を待つ」。春を待ちわびるというのですから、依然、寒い日々をすごしているわけです。出勤の朝、ぬくぬくとした布団の中からいつまでも出られないのは、仕事のつらさのせいなのか、それとも部屋の寒さのせいなのか。どちらにしても片方だけでも早くとりのぞいてもらいたいものです。句の構造は明解です。「春を待つ」の「待つ」から、便りを待つせつない思いに発想をつなげています。作者が便りを待つ相手は、思いを寄せている異性なのでしょうか。ほんとは自分を思ってほしい、その確証が少しでもほしい。それでもやってこない手紙に、さらに思いはつのってゆきます。待っても来ない便りに、仕方なくこちらから思いを届けるしかないという状態のようです。たいていの恋愛には、双方の思いの深さに差があるもので、なかなかその差は埋まらないものです。昨今は手紙よりも、携帯電話のメールが使われるようになりました。こちらは手紙よりもずっと利便性がよく、しかしそのためにさらに思いは深みにはまる危険性があります。メールを送れば相手からの返事をひたすら待つことになり、返事が来たら来たで、すぐにその返事を送りたくなる。苦しみは永遠に続く、というわけです。恋愛に不慣れな方は、携帯メールには特にご注意を。『角川 俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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