今井聖さんの快著が出版されました。本屋さんで手に取ってみてください。(哲




2009ソスN1ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3112009

 雪積むや嘴美しき折鶴に

                           津高里永子

り紙で鶴を折る時、最後に折るのがくちばし、嘴(はし)だ。そして羽を広げると完成。いつ誰に教わったのか、確かな記憶のないまま、鶴の折り方は手が記憶している。私が勤めている学校では、中学一年数学の立体の授業で折り紙を使う。糊もはさみも使わずに、正方形の折り紙を折り込むだけで、正三角形や正五角形のユニットができ、それを組み立てると、さまざまな正多面体と呼ばれる立体ができあがる。余った折り紙で、器用にあれこれ折っている子もいれば、最近は、鶴を折ったことがない、という子もいてさまざま。この句の折鶴は、屋外に置かれた千羽鶴だ。願いをこめて、あるいは祈りをこめて、ささげられた千羽鶴。目の前の千羽鶴に雪が降っているのかもしれないが、千羽鶴の置かれた地を、遠く離れて思っているような気がする。雪は、もののかたちに積もり、やがてすべてを覆いつくす。美し、は、限りなく、悲し、に近いけれど、尖った折鶴の嘴の先に美しい雪解雫の光る春が、かならずめぐって来る。『地球の日』(2007)所収。(今井肖子)


January 3012009

 寒鴉やさしき屍より翔てり

                           坊城俊樹

場に着くやいなや「許せねえよ、鴉の奴。轢かれて死んだ猫の死体にむらがってやがる」と、車通勤の同僚が吐き捨てるように言った。年末まで木に残っていた柿を食べ尽すと鴉には食べ物が無くなる。ゴミ収集の日、きれいに分別され網を掛けられた大量の袋の前でいつまでも粘っている鴉をよく見かける。この句、鴉が動物の死体から飛び立つ。そういうふうにまず読める。そうすると「やさしき」の解釈が難しい。猫や犬や鳩など、死んだ動物の優しさを言うのは発想が飛びすぎる。この屍は鴉自身かもしれない。鴉が飢えの果てに力尽きる。息絶えた鴉の体から鴉の魂が飛び立つ。そう思うと「やさしき」が、憎まれ嫌われながら死んだ鴉の本性を言っているようにも思えてくる。『別冊俳句平成秀句選集』(2008)所収。(今井 聖)


January 2912009

 探梅や遠き昔の汽車にのり

                           山口誓子

ろそろ暖かい地方では梅が開き始める時期だろうか。浅ましくも「開花情報」をネットで検索してから出かけるのでは「探梅」の心には遠く、かと言ってこの寒さにあてなく野山をさすらう気持ちにはなかなかなれない。昭和49年に鉄道が無煙化して以来、汽車は観光のための見世物になってしまった。汽車が生活の交通手段にあり、会話の中でも汽車と電車を使い分けていたのは私たちの世代が最後かもしれない。「遠き昔の汽車」とは、むかし乗ったのと同じ型式の汽車にたまたま乗り合わせたという意味だろうか。そればかりでなく鳴響く汽笛に心をはずませた幼い頃の気分が甘酸っぱく甦ってきたのかもしれない。探梅は冬の寒さ厳しき折に先駆けて咲く梅を見つけにゆく旅。「遠き」が時間と距離の双方にかかり郷愁と同時に春を探しに行く未知の明るさを句に宿している。硬質な知的構成がとかく強調される誓子だが、この句にはみずみずしい叙情が感じられる。『凍港』(1932)所収。(三宅やよい)




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