2009N2句

February 0122009

 一月二月丸暗記しています

                           阿部完市

いもので2009年も1月がすでに終わってしまい、あたりまえのことながら、切れ目もなしに2月がやってきました。ちょうどそんな時期に、1月2月が並んだこのような句に出会いました。とはいうものの、この句は決してあたりまえに出来上がっているわけではありません。いったい、「丸暗記」が1月2月とどう繋がっているのでしょうか。受験期の最後の追い込み勉強としての丸暗記がここに置かれていると、考えられないわけではありません。しかし、そのような詮索はなんの意味もないようです。特に、「しています」という言い方が、なんともとぼけた味を醸しています。この句が目に留まったのは、生真面目に書かれた多くの句の中にあって、身をずらすような書かれ方をしていたからなのです。句の内容よりも、創作の姿勢そのものが作品の魅力になっているという点では、作者の特異な才能を認めざるをえません。型を熟知しているものにしか、型を破ることは出来ないからです。思い出せば昨年の暮れ、明治大学の講堂で行われた世界の詩人が集まった朗読会で、この作者の朗読をじかに聴いたのでした。読まれてゆく句はどれも、意味の関節を次々にはずしてゆくような内容でした。朗読とは、もっともかけ離れた位置にある作品を、滔々と読み続ける姿に、ひたすら感心して聴いていたのでした。「俳句」(2009年1月号)所載。(松下育男)


February 0222009

 罵声もろとも鉄剪り冬は意地で越す

                           安藤しげる

ょうど半世紀前の作。当時の作者は二十代半ばで、日本鋼管鶴見製鉄所で働いていた。まだま敗戦の傷跡が残り、この国は貧しかった。労働条件も劣悪であったに違いない。加えて、作者は労組の中央闘争委員であったから、当然のように会社からは睨まれていただろう。上司の理不尽な「罵声」も飛んでくる。しかし、そこでかっとなって反抗したらお終いだ。湧き上がる憤怒の思いを、鉄を剪る作業に向けるしかなかった。こうなってくると、働きつづけるためにはもはや「意地」しかないのである。叩きつけるような句から見えてくるのは、当時の作者の姿ばかりではなく、作者の仲間たちや多くの工場労働者の生き方である。その頃の私は、父が勤めていた花火工場の寮にいたので、いかに工場での仕事が辛いかは、少しくらいはわかっていた。逃げ場など、ない。喧嘩して止めれば、路頭に迷うだけなのである。その意味では、現代と状況が似ている。いまは派遣社員の扱いがクローズアップされているけれど、どんな時代にも、資本のあがきは弱者に襲いかかるものなのだ。ただ現在、人々の表現に、往時に言われたような社会性俳句の片鱗すら見えてこないのが、とても不気味である。いつしか個々人の憤怒の思いは、社会的に拡散されるような仕組みが作られてしまったということだろう。いまこそ叩きつけるような表現があってしかるべきなのに、みんな黙っている。職場俳句すら、ほとんど詠まれない。みんながみんな利口なのか、馬鹿なのか。掲句を含む句集を読んでいて、そんなことを考えさせられた。『胸に東風』(2005)所収。(清水哲男)


February 0322009

 かごめかごめだんだん春の近くなる

                           横井 遥

だまだ寒さ本番とはいえ、どこかで春の大きなかたまりがうずくまっているのではないか、と予感させる日和もある。夏も冬もどっと駆け足で迫りくる感じがあるが、春だけは目をつぶっている間にゆっくりゆっくり移動している感触がある。掲句はそのあたりも含んで、「かごめかごめ」という遊びがとてもよく表しているように思う。輪のなかの鬼が目を覆う手を外したとき、またぐるぐる回っている子どもたちが立ち止まったとき、春はさっきよりずっと近くにその身を寄せているような気がする。「後ろの正面」という不可思議な言葉と、かならず近寄りつつある春のしかしその掴みきれない実態とが、具合よく手をつないでいる。明日は立春。「後ろの正面だぁれ」と振り返れば、不意打ちをされた春の笑顔が見られるのではないだろうか。〈あたたかや歩幅で計る舟の丈〉〈大騒ぎして毒茸といふことに〉『男坐り』(2008)所収。(土肥あき子)


February 0422009

 スナックに煮凝のあるママの過去

                           小沢昭一

、昔の家はみな寒かった。ストーブのない時代、せいぜい炬燵はあっても、炬燵で部屋全体が温まるわけではない。身をすくめるようにして炬燵にもぐりこんでいた。まして火の気のない時の台所の寒さは、一段と冷え冷えとしていた。だから昨夜の煮魚の汁は、朝には鍋のなかで自然と煮凝になっていることが多かった。掲出句の煮凝は料理として作られた煮凝ではなく、ママさんが昨夜のうちに煮ておいた魚の煮汁でできた煮凝であろう。お店で愛想を振りまいているママさんの過去について、男性客たちはひそかに妄想をたくましくしているはずだが、知りようもない。知らないなりに、しみじみと煮凝をつついているほうが身のためです。まあ、女性としての変遷がいろいろとあったのでしょう。決して輝かしい一品料理ではなく、さりげない(突き出しの)煮凝に過去の変遷が重なって感じられる。ママさんの過去がそこに一緒に凝固しているようでもある。「煮凝」と「ママの過去」の取り合わせ、昭一ならではの観察に感服。小ぢんまりとしてアットホームなスナックなのだろう。この場合、「女将(おかみ)」ではなく、「ママ」という言葉のしゃれた響きがせつない。一九六九年一月の第一回やなぎ句会の席題句で、天位に入賞した傑作。その席で、ほかに「煮凝や病む身の妻の指図にて」(永井啓夫)「煮こごりの身だけよけてるアメリカ人」(柳家小三治)などの高点句もあった。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


February 0522009

 春の海地球に浮きし船の数

                           渡部ひとみ

の海はおだやかでのどか。ひゅーるるると頭上を鳶が飛んでゆくのも嬉しい。寒い北風に封じ込められていた海の中でも生き物たちが動きはじめる。そんな春の海に船の取り合わせは平凡に思えるが、それを「地球」サイズの大きさに広げたことで、暗黒の宇宙に浮かぶ地球そのものもあまたの船を抱え込む船に思えてくる。青く静まる海にどれだけの船が浮かんでいるのか、考えるだけで気の遠くなる思いだが、貨物船、客船、屋形船、ヨットからカヌーまで、それぞれの船に似合いの海の名前、その色を想像してみるのも楽しい。作者は写真家でもあり、CDジャケットの大きさの句集はさまざまな写真に彩られている。掲句には東京タワーを彼方に見下ろした東京の景観が取り合わせてある。こうした構成には、読み手が俳句から広げるイメージを損なわないよう句と写真を組み合わせるセンスが必要なのだろう。ページをめくるたびその妙が楽しめる一冊になっている。『再会』(2008)所収。(三宅やよい)


February 0622009

 桜貝拾ふ体のやはらかき

                           中田尚子

れは自分の体。桜貝を拾う人を客観的に見ての感慨だと「やはらかき」の表現は出ない。この人、自分の体のやわらかさに驚いている。体を曲げて桜貝を拾うとき自分の体の柔軟さに気づき「おっ、私ってまだいけるじゃん」と思ったのだ。これは自己愛表現ではない。日頃、自分の体の手入れを何もしていない人が、それにもかかわらず意外に曲がってくれる骨や筋肉に対していつもほったらかしにしていてごめんねというご挨拶。または自分の老いをときに自覚している人のほろ苦い告白。桜貝の存在に必然性はない。体を曲げて拾う何かであればいいので、桜貝でもいい、という程度の存在。それはこの句の短所なのではなくてむしろ長所。季題以外にテーマがきちんとあるということ。『別冊俳句平成秀句選集』(2008)所収。(今井 聖)


February 0722009

 陶工の指紋薄れて寒明くる

                           木暮陶句郎

日の清水さんの一言に、暦の上でも何でも「春」は嬉しい、とあったが、立春の一日は、毎年そんな気持ちになる。寒明(かんあけ)と、立春。寒が明けて春が立つ、というわけでほぼ同義だけれど、寒明には、長かった冬ももう終わりだなあ、という心持ちがこもる。俳号の通り陶芸家でもある作者。この句、来る日も来る日も轆轤(ろくろ)を挽いていると、ほんとうに指紋が薄れるのかもしれないが、その表現に象徴される年月を、寒明くる、の感慨が受けとめて、じんわりと春の喜びを感じさせる。掲出句と並んでいる〈轆轤挽く春の指先躍らせて〉のストレートな明るさとは、同じ指先を詠みながら対照的だ。そういえば昨年、生まれて初めて轆轤を挽くという経験をした。もう半年以上経つが、濡れた土がすべってゆく、ざらっとしながらもなめらかな得も言われぬ感触は、はっきりと指先に残っている。思えば指ってよく働くなあ、などと思いつつじっと手を見る。「俳句」(2009年2月号)所載。(今井肖子)


February 0822009

 手袋は手のかたちゆゑ置き忘る

                           猪村直樹

の上ではもう春です。それはわかっているのですが、依然として風は冷たく、もう少し冬に、はみ出してもらっていてもよいでしょうか。今日の句の季語は「手袋」、まだ冬です。この句を読んで印象に残ったのは、脱いだそのままの手袋が、手の形のすがたで、テーブルの上に置いてあるという視覚的なものでした。手はまだ冷たく、かじかんでいるがゆえに、脱いだ手袋をすぐにたたむことが出来なかったのでしょう。あるいは、家に帰ったら、ただならぬ出来事がおきあがっていて、手袋などにかまっていられなかったのかもしれません。いったい、脱ぎ捨てられた手袋の形は、どんなふうだったのでしょうか。何かを掴まえようとするかのように、虚空へ差し伸べられていたのでしょうか。あるいはテーブルにうつむいて、疲れをとっている姿だったのでしょうか。さきほどまで、びっしりと人の手が入っていたところには、今は冬のつめたい空気が流れ込んでいます。ところで、読んでいてひどく気になったのが「ゆゑ」の一語でした。朝の通勤電車の中で、僕はこの「ゆゑ」の意味するところをずっと考えていたのですが、どうにもすっきりとした解釈には至りませんでした。自分の手なら、どこかに置き忘れることもたまにはあると、言っているのでしょうか。『俳句鑑賞450番勝負』(2007・文芸春秋)所載。(松下育男)


February 0922009

 空缶を蹴つて二月は過ぎやすし

                           林十九楼

の道だろう。落ちていた空缶を、たわむれに蹴ってみた。缶は寒い舗装路に乾いた音を立てて、道の端まで転がってゆく。それだけのことでしかない。が、路上でのこのような小さなアクションは、当人の気持ちに、それまでにはなかった微妙な変化をもたらすものだ。一言でいえば、故無き寂寞感のような感情がわいてくる。何かむなしい、何かせつない。それがちらりとにせよ、来し方の何かにつながって、より淋しくなってくる。作者は、今年で九十歳。つながった過去の何かがなんであるにせよ、同時に感じるのは時の移り行きの早さであろう。青春期も中年期も、あっという間に過ぎてしまった。それが寂寥の思いをいっそう増幅させ、そしてこのそれでなくとも短い二月もまた、これまでと同様に瞬く間に過ぎてしまうであろうことに思いが至るのだ。北村太郎の詩に「二月は罐をける小さな靴」というフレーズがある。またフェリーニの自伝的映画『青春群像』では、田舎町の寒い夜中の舗道で、酔っぱらったろくでもない五人の若者たちが、空缶を蹴りあうシーンが少し出てくる。缶を蹴ることから何かの感情がわいてくるのは、どうやら寒い季節が似つかわしいようだ。『二十年』(2009)所収。(清水哲男)


February 1022009

 たちまちに車内に桜餅匂ふ

                           大島英昭

気に入りの近所の和菓子屋さんでは、立春をもって桜餅が並ぶようになる。桜の季節はまだ先だが、香りから春を思い出し、身体が素直に喜ぶことを実感できる瞬間である。桜の葉のあの独特の芳香は、殺菌効果も伴う「クマリン」という成分だそうだ。クマリンは木に付いているときには発することはなく、落葉となったときから生まれるという。そしてこれは、自樹が落葉する範囲に芽吹きを許さないテリトリー遵守が真の目的だというから驚く。まず花しか咲かないこと、落ちてより香る葉、そして60年ほどの寿命。桜が持つ数々の不思議は、どれも確固たる基準に裏打ちされているように思われる。桜の身内にしか理解できない、唯一の桜となるための美の基準である。謎めいていればいるほど、人間は桜という生きものに惑わされ、魅了されてやまないのだろう。などと満開の桜に思いを馳せつつ、桜餅を二つたいらげたのだった。〈日暮れより春めいてゆく家路かな〉〈桜蕊降るやをさなの砂の城〉『ゐのこづち』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1122009

 冬の坂のぼりつくして何もなし

                           木下夕爾

な坂道をくだるとき、前方はよく見えている。けれども、坂道をのぼるときはもちろん前方は遠くまで見えているとはかぎらない。坂のむこうには空だけ、あるいは山だけしか見えていないかもしれない。その坂をのぼりきったところで、冬は何もないかもしれないのだ。いや、枯れ尽くした風景か冬の風物が、忘れ物のようにそこにあったとしても、まるで何もないように感じられるのだろう。春、夏、秋では「何もなし」とはならない。もっとも掲出句の場合は、現実の風景そのものというよりも、心象的な空虚感も詠みこまれているのではあるまいか。冬の寒々とした風景は、場合によってはもはや風景たり得ていないこともある。そこには作者の心の状態が、色濃く影を落としているにちがいない。懸命に坂をのぼってきてようやくのぼりきったのに、達成感よりもむしろ空虚感がぽっかり広がるのみで、作者の心に満たされるものとてない。ここに一つの人生論的教訓みたいなものまで読みとりたいと、私は思わないけれど、何やらそのようなものが感じられないこともない。寒々しい冬にふと感じられた、風景と心のがらんどう「何もなし」を、素直に受けとめておこう。夕爾には「樹には樹の哀しみのありもがり笛」という句もある。『菜の花集』(1994)所収。(八木忠栄)


February 1222009

 名前からちょっとずらして布団敷く

                           倉本朝世

く布団に小学校のころ使ったノートの細長い空欄を思った。試験用紙もそうだけど、何度あの欄に名前を書き入れたことか。名前はほかでもない私の証。だけど、名前で呼ばれる私と内側に抱える自分とのずれは誰もが感じていることだろう。その名前から少しずらして敷く布団は季語としての布団じゃなくて、毎朝毎晩押入れから出し入れして敷く生活用品としての布団だろう。その布団にくるまれて眠るのは名前で呼ばれる昼間の私をはずれて夢の世界に入ること。「名前」と「布団」違う次元にあるようでどこか近いものを並べて日常に隠された違和感をするする引き出してくるのが川柳の面白さ。「煮えたぎる鍋 方法は二つある」なども、方法という言葉を置くと台所の鍋がこんなにも怖いものになるのかと、言葉の力を感じさせる句である。『なつかしい呪文』(2008)所収。(三宅やよい)


February 1322009

 着ぶくれ出勤の群集 の中で 岬のこと

                           澤 好摩

丹三樹彦さん提唱の「分かち書き」は一行表記の中の切れを作者の側から設定すること。そんなアキを作らずとも、切れ字が用いられている場合はもちろんのこと、意味の上で考えれば切れの箇所は明らかという考え方もあろうが、それは旧文法使用の場合。ときに定型音律を逸脱する現代語使用を標榜する運動を思えば分かち書きという方法も理解できる。しかし、現代語においても切れが明らかな箇所に一字アキを用いれば分かち書きの必然性が薄れる。空けなくたって切れるのは一目瞭然ということになる。この句のように「群集」から「の」につづくまでに一拍置けと指示されると、群集の渦の中に身をまかせて入った作者が「自分」に気づくまでの間合いがよくわかる。分かち書きの効果が発揮されていて作者から読者への要請が無理なく嫌味なく伝わるのである。個の在り方がナマの思念のまま出ている作品である。『澤好摩句集』(2009)所収。(今井 聖)


February 1422009

 一人づつきて千人の受験生

                           今瀬剛一

句に数字を使う時、ともすれば象徴的になる。特に「千」は、先ごろ流行った歌の影響もあってか、以前よりよく見かける気がするし、つい自分でも使ってしまう。ようするに、とても多いという意味合いだ。しかしこの句の千人は、リアリティのある千人。象徴的な側面もあるだろうけれど、まさに、見ず知らずの一人ずつが千人集まるのが受験生だ。しかも、同じ目的を持ちながら全員がライバル、というより敵である。そしてそれぞれ、千人千色の日々と道のりを背負っている。一と千、二つの数字を本来の意味で使い、省略を効かせて受験生の本質を詠んだ句と思うが、さらにひらがな表記の、きて、がそれらをつないで巧みである。二月も半ば、中学入試が一段落して、これから高校、大学と受験シーズン真っ只中。この季節は、一浪しても第一志望校に拒絶されたことと共に、あれこれ思い出され、幾つになってもほろ苦い。当時は、全人格を否定されたような気持ちになったが、まあ今となれば、生きていればいいこともあるなと思える。街に溢れるバレンタインのハートマークを横目に、日々戦う受験生に幸多かれ。『俳句歳時記 第四版 春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


February 1522009

 春の宵レジに文庫の伏せてあり

                           清水哲男

日は清水さんの誕生日ということで、清水さんの句です。思い出せば昨年の今頃には、清水さんの古希をお祝いして後楽園でボウリング大会をしたのでした。幸いにもわたしは3位に入賞し、記念のメダルをいただきました。今もそのメダルは、大切に会社の引き出しにしまってあります。ところで、この句のポイントは、「春の宵」の一語と、そのあとに描かれている内容との、ちょっとした食い違いにあるのではないのでしょうか。というのも、「春の宵」といえば、思いつくのはロマンチックな思いであったり、センチメンタルな感情であったりするわけです。ところが、そんな当たり前な感じ方を、清水さんの感性は許すはずもなく、そこはそこ、読者を驚かすようなものを、きちんと差し出してくれるのです。その食い違いや驚かすものは、これ見よがしではなくて、あくまでも物静かで、自然な形でわたしたちに与えられるのです。それでいて、ああそうだな、そんなこともあるなという、合点(がてん)のゆく食い違いなのです。レジの上に、不安定な格好で伏せられた文庫本が、まざまざと目に見えるようです。その文庫本を手にする人の思いの揺れさえ、じかに感じられてくるから不思議です。なんとうまくこの世は、表現されてしまったものかと、思うわけです。『打つや太鼓』(2003)所収。(松下育男)


February 1622009

 立つ人に手を貸せば春来たるなり

                           橋本輝久

るに見かねて手を貸したのではない。あるいは、常日ごろからその人の身体が不自由なことを意識していたからでもない。何かの会合でたまたまその人の隣りに居合わせ、さて散会となったときに、いかにも立ちにくそうにしている様子に気がついて、自然にすっと手を添えたということだろう。立ち上がったその人は微笑しつつ会釈をし、作者も「いえ……」と呟いて軽く会釈を返した。それだけのことであり、日常によくあるふるまいであり光景である。お互いに、すぐに忘れてしまうような交感だ。しかし、その交感のほんの一瞬に、二人の間には微妙なぬくもりのような感情が通いあう。この感じは、むろん周囲にいる人にはわからない。その微妙な交感の相をつかまえて、作者はそれを「春」と捉えた。暦の上では「春」であっても、これから出て行く表はまだ寒い。が、たとえ一瞬にせよ、ぬくもった心で見る外界は、確実に「春来たる」と告げているかのようだ。ここで「春」は、その自然的実相を作者のみに大きく開いたのだと言えるだろう。かくして、季語「春」は動かない。『殘心』(2009)所収。(清水哲男)


February 1722009

 恋猫といふ曲線の自由自在

                           杉山久子

が家の三毛猫は、松の内が明ける頃早々に恋猫となる。近所に野良猫もたくさん住む環境ながら、タイミングがずれているせいか、雄猫がうろつくこともなく、孤独のうちに恋猫期が終わる。そして、二月に入ると近所の猫たちの恋のシーズンが始まるが、この時期にはもう我関せず。ペットだからいいようなものの、女性としてはどうなのよ、と質問したいものである。恋猫の姿というのは、掲句の通り、立っても歩いても寝転んでもどこかしら魅惑の曲線を伴う。とはいえ、猫嫌いの方にとっては、あのくねくねした感じがなによりイヤと言われるのかもしれない。猫好きが多い私の周りで、はっきり猫が嫌いという方の理由を聞くと「抱いたときのあのぐにゃっとした感じ」なんだそうだ。「お菓子が嫌いなのはあの甘いところ」に通じるような、とりつく島のなさに思わず笑ってしまったが、猫が苦手という何人かに聞くと、総じて「分かる分かる」と頷かれる。猫諸君。抱かれるときは少し身を固くしてみてはいかがだろうか。〈雛の間に入りゆく猫の尾のながき〉〈猫の墓猫に乗られてうららけし〉『猫の句も借りたい』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1822009

 つみ上げし白き髑ろか雪の峯

                           会津八一

るほど冬の山間部に踏みこめば、雪に覆われた峯々は確かに「白き髑(どく)ろ」を重ねたように見える。大きくふくらんで盛りあがっている髑髏もあれば、小さくちぢこまっている髑髏もある。さまざまな表情をした髑髏が、身を寄せ合い重なり合っているようであり、峯々はまさしく「つみ上げ」たようにも眺めることができる。上五「つみ上げし」が、見あげるような峯の高さを表現している。凝ったむずかしい表現を避けて、さりげなく「つみ上げし」としたところにかえって存在感がある。特に雪の詠み方は、妙な技巧をほどこさないほうが生き生きとした力を発揮する。雪の峯を「髑ろ」ととらえてみせたところに、モノの姿かたちを厳密に見つめる書家・秋艸道人らしい視線が感じられる。その「白き髑ろ」の表情も、天候や時間の経緯によって刻々と変化して見えてくるはずである。髑髏とはいえ、ここには少々親しげな滑稽味も読みとれる。雪山はある時は峨々として、ある時はたおやかにも眺められよう。但し、八一が「髑ろ」である、と断定しきらずに、一語「・・・か」という疑問含みのニュアンスを残したことによって、句の奥行きが増したと言える。八一の俳号は八朔郎。ほかに雪を詠んだ句に「あさ寒や妙高の雪みな動く」「俳居士の高き笑や夜の雪」などがある。『会津八一全集第六巻 俳句・俳論』(1982)所収。(八木忠栄)


February 1922009

 スペインで暮らす哀しみ牡丹雪

                           小西昭夫

本にしか暮らしたことがないので、言葉も習慣も違う国で暮らす哀しみは想像するしかない。とはいえ生まれ育ったのが神戸だったので子供のころ外国へ移住する人々を乗せた客船を見送ったことはある。色とりどりの紙テープをひきずって巨船がゆっくり波止場を離れてゆくのに合わせ蛍の光が流れていた。あれから半世紀近く経つが、船のデッキから身を乗り出して手を振っていた人々はどうしているのだろう。外国で年を重ねるごとに望郷の念は強くならないのだろうか。白いご飯や、ごみごみした路地、湿った空気が恋しくはならないだろうか。異国でも雪は降るだろうが、薄明るい空から軒先にひらひら降りてくる大きな雪を見て、「ああ、牡丹雪だねぇ、春が近いねぇ」と頷き合う相手がいてこその言葉の満足。そう考えるとこの句の「哀しみ」はスペインでなくとも生まれ育った場所から遠く見知らぬ人々の間で孤独を噛みしめる感情に通じるかもしれない。だけれど掲句では情熱の国の名が「牡丹雪」の字面に響き、やはりどこの地名でもない「スペイン」が異国で暮らす哀しみを切なく灯しているように感じられる。『ペリカンと駱駝』(1994)所収。(三宅やよい)


February 2022009

 一呼気をもて立たしめよ冬の虹

                           山地春眠子

気に、こきとルビあり。息を吐くと虹が立つイメージは美しいが珍しい発想とはいえない。この句を特徴あらしめているのは、吐く息を呼気と言ったところ。言葉が科学的な雰囲気を帯びて、体の現象として厳密に規定されること。つまり科学、医学、病気、病状という連想を読者にもたらすのだ。「梅の香や吸ふ前に息は深く吐け」は波郷の自分を客観視した述懐。この句は「立たしめよ」で他者に対する祈りの思いが出ている。この句所収の句集を見ると章の前書きから病状重い妻への祈りの絶唱とわかるが、たとえそれがわからずとも、「立たしめよ」や「虹」などの情感横溢の心情吐露の中で、「呼気」だけが持つ違和感に気づくとこの祈りのリアルさがよくわかる。『元日』(2009)所収。(今井 聖)


February 2122009

 庭先の梅を拝見しつつ行く

                           松井秋尚

るほど拝見とは、今が盛りの梅にして言い得て妙である。さりげない表現だが、まこと梅らしい。家から駅まで、数分の道のりだけれど、私にも毎年拝見させていただいている梅の木が何本かある。夕暮れ色の薄紅梅、濃紅梅の盆梅、などまさに庭先の梅ばかり。他にも、黒い瓦屋根がりっぱな角の家の白梅。花は小ぶりなのだが咲き広がってきらきらしている。近くのお寺の境内の奥には、今年初めて気がついた青軸の梅が二本。刈り込まれた庭園の梅とはまた違って野梅めき、ひっそり自由に咲いている。梅林よりも、そんな庭先の親しさが好もしい。花の色も形も枝ぶりも実にさまざまな梅の、長い花期を楽しむうち、冴え返ったりまたゆるんだりしながら、日は確実に永くなってきている。サラリーマン時代に、会社の研修の一環で俳句を始められたという作者。〈勤めたる三十年や遠蛙〉〈入社式大根足のめづらしく〉『海図』(2006)所収。(今井肖子)


February 2222009

 春日や往来映ゆる海のへり

                           小杉余子

んなにすぐれた句に出会っても、読んですぐには、いったい自分がその句の、どのような点に感動したのかが、明確にはわかりません。その時の印象としては、ただひどく気になって仕方がない、というだけのことなのです。今日の句を読んだときにも、どうしてこの句が新鮮に感じたのかが、しばらくわかりませんでした。とにかく鮮やかなものが、こちらに押し寄せてきたのです。幾度も読み返しているうちに、自分の中の受け止め方が、少しずつ見えてきました。それはおそらく、視点が、陸地から海へ向かっているのではなく、逆方向に、つまりは海のほうから陸地を見下ろしているように感じたからなのです。その陸地は、断崖絶壁の手の届かないところにあるのではなく、手を伸ばせばすぐに触れられそうな、人々がいくらでも歩いている「往来」だというのです。「映ゆる」は、海の照り返しが光となって、往来を行き来する人々の顔を下から照らしているということでしょうか。人々の日常の、すぐ隣に非日常の海が迫っている。生きるとはそのようなことなのだと、美しく、言われているようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


February 2322009

 春浅し猫が好まぬ女客

                           川久保亮

ってきた女客を見て、部屋の隅にすっとんで逃げたのか、あるいは毛を逆立てて威嚇の挙に出たのか。猫の生態についてはよく知らないが、猫好きな人かどうかが分るのだという。子供の頃に一度だけ飼った経験から言えば、そのようなことはありそうだ。来客の折りに、この句のようにまったく寄りつこうとしないときもあるし、すぐになついてしまい、図々しくもちゃつかり客の膝の上で居眠りをはじめることもあった。猫が客に寄りつこうが寄りつくまいが、どうということでもないようだけれど、あれで案外ホスト側は神経を使うものなのだ。人見知りの赤ん坊が、客の顔を見て火がついたように泣き出すことがある。これに似た神経の負担になる。その場を取り繕うのに、いささかしどろもどろ気味の言葉を発したりしてしまう。更に作者の心情に踏み込めば、猫と同じように、どこかでこの女客に親しみを感じていないフシもうかがえる。窓から見える表の陽光はすっかり春なのではあるが、しかしまだそれは冷気を含んでいる。風も荒い。そんな春浅き日の様子に、猫の不機嫌な態度と作者の戸惑いとがぴたりと重なった。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


February 2422009

 蝶の恋空の窪んでゐるところ

                           川嶋一美

句の季語「蝶の恋」とは、「鳥の恋」「猫の恋」同様、俳句特有の人間に引きつけた思い切り遠回しな発情期や交尾を意味する表現である。ことに「蝶の恋」は、おだやかな風にのって、二匹の羽がひらひらと近づいては遠のき、舞い交わすロマンチックで美しいイメージを伴う。蝶の古名は「かわひらこ」。語源でもあろうが、そこから響く音感には春の陽光に輝く川面をひらひらと飛ぶ姿が鮮明にあらわれてる。中国で「一対の蝶」とは永遠の絆を象徴するように、この若々しく可憐ないとなみが「空の窪み」という愛らしい表現を生んだのだろう。では一体全体「空の窪み」とは具体的にどのような…、などというのはめっぽう野暮な詮索というものだ。思うに、青空がにっこり笑ったときに、ぺこんと出来たえくぼのようなところだろう。あからさまに明るすぎることなく、二匹の蝶が愛をささやき身を寄せるために誂えたような、特別な場所である。〈じつとり重し熟睡子と種俵〉〈午後はもう明日の気配草の絮〉『空の素顔』(2009)所収。(土肥あき子)


February 2522009

 幇間の道化窶れやみづっぱな

                           太宰 治

の場合、幇間は「ほうかん」と読む。通常はやはり「たいこもち」のほうがふさわしいように思われる。現役の幇間は、今やもう四人ほどしかいない。(故悠玄亭玉介師からは、いろいろおもしろい話を伺った。)言うまでもなく、宴席をにぎやかに盛りあげる芸人“男芸者”である。いくら仕事だとはいえ、座持ちにくたびれて窶(やつ)れ、風邪気味なのか水洟さえすすりあげている様子は、いかにも哀れを催す。幇間は落語ではお馴染みのキャラクターである。「鰻の幇間(たいこ)」「愛宕山」「富久」「幇間腹(たいこばら)」等々。どうも調子がいいだけで旦那にはからかわれ、もちろん立派な幇間など登場しない。こういう句を太宰治が詠んだところに、いかにも道化じみた哀れさとおかしさがいっそう感じられてならない。考えてみれば、太宰の作品にも生き方にも、道化た幇間みたいな影がちらつく。お座敷で「みづっぱな」の幇間を目にして詠んだというよりも、自画像ではないかとも思われる。「みづっぱな」と言えば、芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」がよく知られているし、俳句としてもこちらのほうがずっと秀逸である。二つの「水洟」は両者を反映して、だいぶ違うものとして読める。太宰治の俳句は数少ないし、お世辞にもうまいとは言えないけれど、珍しいのでここに敢えてとりあげてみた。ほかに「春服の色 教えてよ 揚雲雀」という句がある。今年は生誕百年。彼の小説が近年かなり読まれているという。何十年ぶり、読みなおしてみようか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 2622009

 二人居るごとく楽器と春の人

                           中村草田男

器はどれもエロチックで美しいフォルムを持っている。掲句を読んであらためて考えてみると確かに演奏者が楽器と寄り添う姿は恋人を抱擁しているようだ。この「人」にかかる季節をいろいろ入れ替えてみたが、一番よく音楽が似合う季節はなんといっても春。暖かな春の休日に井の頭や石神井公園を散歩していると、バイオリンやフルートの音色が流れてきて心が明るくなる。夢中になって演奏している姿は実に楽しそうで、楽器と睦み、語らっているようだ。楽器は人が繰るものではなく、自分の感情を指や呼吸で伝えれば、音で答えてくれるもの。表現するのに技術を鍛えなければならないのはもちろんだけど、どんな語りかけにも良い音色で応えてくれるほど楽器は優しくない。そう思えば「二人居るごとく」と見るものに存在感を感じさせるのは恋人に対する心遣いで楽器と向き合ってこそかもしれない。『大虚鳥』(おほをそどり)(2003)所収。(三宅やよい)


February 2722009

 虚子の亡き立子の日々や立子の忌

                           今井千鶴子

濱虚子が亡くなったのが1959年4月8日、立子が1984年3月3日。次女であり虚子にことに愛されたといわれる立子にとって虚子没後の四半世紀がどんなものであったのか。作者は虚子の縁戚として立子の主宰誌「玉藻」の編集に従事し、また晩年の虚子の口述筆記に携わるといういわば「ホトトギス」の内情に精通する立場から立子の気持ちに思いを馳せているわけである。そういう鑑賞とは別に興味ある角度をこの句は見せてくれる。虚子をAと置き、立子をBと置くと、この句は「Aの亡きBの日々やBの忌」という構造になる。AとBのところに自分の思いのある二人の人間、あるいは動物などを入れるとA、Bの関係に思いを馳せる「自分」との三者の関わりが暗示される結果になる。文意や意図とは別の次元で、定型詩の新しい文体や構造はこのようにして生まれてきたのだ。『過ぎゆく』(2007)所収。(今井 聖)


February 2822009

 庭掃除して梅椿実朝忌

                           星野立子

倉三代将軍源実朝、歌人としても名高いことは言うまでもないが、陰暦一月二十七日に、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に暗殺されたという。今年は今日がその一月二十七日ということで、この句をと思った次第。梅も椿も、それぞれ春季であり、梅椿、と重ねた言い方を、私はこの句で知ったのだが、季重なりというより、梅も椿も咲いている早春のふわっとした空間を感じる。この句の場合構成を見ると、実朝忌と合わせて三つの季重なり、ということになるのだが、実朝忌の句だ。梅と椿が咲いている庭を掃除しながら、今日もいいお天気、空も春めいてきたなあ、などとちょっと手を止めた時、ああ、そういえば今日は実朝忌だわ、と気づいたのだろうけれど、こうして意味をとろうとするとなんだかつまらなくなる。くいっとつかまれるのだが、うまく説明できない、ということが、立子の句にはよくある。それはきっと、俳句でしか表現できないことを詠んでいる、ということなのだろう。『虚子編新歳時記 増訂版』(1995・三省堂)所載。(今井肖子)




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