February 042009
スナックに煮凝のあるママの過去
小沢昭一
冬、昔の家はみな寒かった。ストーブのない時代、せいぜい炬燵はあっても、炬燵で部屋全体が温まるわけではない。身をすくめるようにして炬燵にもぐりこんでいた。まして火の気のない時の台所の寒さは、一段と冷え冷えとしていた。だから昨夜の煮魚の汁は、朝には鍋のなかで自然と煮凝になっていることが多かった。掲出句の煮凝は料理として作られた煮凝ではなく、ママさんが昨夜のうちに煮ておいた魚の煮汁でできた煮凝であろう。お店で愛想を振りまいているママさんの過去について、男性客たちはひそかに妄想をたくましくしているはずだが、知りようもない。知らないなりに、しみじみと煮凝をつついているほうが身のためです。まあ、女性としての変遷がいろいろとあったのでしょう。決して輝かしい一品料理ではなく、さりげない(突き出しの)煮凝に過去の変遷が重なって感じられる。ママさんの過去がそこに一緒に凝固しているようでもある。「煮凝」と「ママの過去」の取り合わせ、昭一ならではの観察に感服。小ぢんまりとしてアットホームなスナックなのだろう。この場合、「女将(おかみ)」ではなく、「ママ」という言葉のしゃれた響きがせつない。一九六九年一月の第一回やなぎ句会の席題句で、天位に入賞した傑作。その席で、ほかに「煮凝や病む身の妻の指図にて」(永井啓夫)「煮こごりの身だけよけてるアメリカ人」(柳家小三治)などの高点句もあった。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)
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