February 102009
たちまちに車内に桜餅匂ふ
大島英昭
お気に入りの近所の和菓子屋さんでは、立春をもって桜餅が並ぶようになる。桜の季節はまだ先だが、香りから春を思い出し、身体が素直に喜ぶことを実感できる瞬間である。桜の葉のあの独特の芳香は、殺菌効果も伴う「クマリン」という成分だそうだ。クマリンは木に付いているときには発することはなく、落葉となったときから生まれるという。そしてこれは、自樹が落葉する範囲に芽吹きを許さないテリトリー遵守が真の目的だというから驚く。まず花しか咲かないこと、落ちてより香る葉、そして60年ほどの寿命。桜が持つ数々の不思議は、どれも確固たる基準に裏打ちされているように思われる。桜の身内にしか理解できない、唯一の桜となるための美の基準である。謎めいていればいるほど、人間は桜という生きものに惑わされ、魅了されてやまないのだろう。などと満開の桜に思いを馳せつつ、桜餅を二つたいらげたのだった。〈日暮れより春めいてゆく家路かな〉〈桜蕊降るやをさなの砂の城〉『ゐのこづち』(2008)所収。(土肥あき子)
July 282015
ゴム毬に臍といふもの草いきれ
大島英昭
そうそう確かに空気を入れる部位をおヘソと呼んでいた。弾みが悪くなればここから自転車の空気入れなどを使って空気を入れるのだが、微妙な具合が分からないとカチンカチンになってしまう。弾みすぎるようになるとかえって勝手が変わって使いづらかった。少女にとってゴム毬はお気に入りの人形と同等の愛情を傾ける。掲句では草いきれが、彼女たちの熱い吐息にも重なり、ゴム毬に注ぐ情熱にも思える。弾みすぎるゴム毬もそのうち空気が抜けてまた手になじむようになる。英語だとball valve(ボール・バルブ)。工具じゃあるまいし、なんとも味気ない。身近な道具のひとつひとつを慈しみ深く見つめているような日本語をあらためて愛おしく思う。『花はこべ』(2015)所収。(土肥あき子)
November 202015
雪の野の鵟の止まる古木かな
大島英昭
鷹の仲間の猛禽類である鵟(ノスリ)。大きさはトビよりも小さくハシブトガラス位いである。農耕地や草原に棲み、両翼を浅いV字形に保って羽ばたかずに飛ぶことが多い。低空飛翔をしながらノネズミなどの獲物を見つけると急降下して捕獲する。枯枝、杭、電柱に長い時間とまって休む。折しも雪の野原に一際高い古木があってよく見るとノスリが休んでいる。野生の動物たちは冷たくとも餌が乏しくともその厳しさに耐えて生き延びねばならぬ。食べる事、生殖することに太古からの知恵が引き継がれてゆく。他に<留守の家に目覚ましの音日脚伸ぶ><日陰から径は日向へゐのこづち><無住寺の地蔵に菊とマッチ箱>などなど。『ゐのこづち』(2008)所収。(藤嶋 務)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|