定額給付金、我が三鷹市では四月下旬にばらまかれるそうな。むろん、もらいます。(哲




2009ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632009

 切株があり愚直の斧があり

                           佐藤鬼房

ちのくの土着の想念を背負って屹立する俳人である。「愚直」は愚かなほどまっすぐなこと。愚直が自己投影だとすると「愚」は自己否定だけれど、「直」は肯定。「愚直な私」と書いたら、半分は自分を褒めていることになる。作品で自己肯定をみせられるほど嫌味なことはない。自己否定するのなら、「愚かでずるい私」くらいは踏み込んで言ってもらいたい。だからこの句の愚直を僕は自己投影とはとらない。これは斧のことであり他者のことである。斧が深くまっすぐに切株に刺さっている風景に託して、ただ黙々と木を伐り、田を耕すしかない他者について言っている。こういう「愚直」を作者は認め自らもそうありたいと願っているのである。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)


March 0532009

 おっぱいの匂いがするよ春の椅子

                           朝倉晴美

児のやり方も年を追って変わってゆく。やれうつぶせ寝がいい、泣いてすぐに抱くのはダメ。おんぶより前抱きがいいだの、育児書はやかましい。粉ミルクだと腹持ちがいいせいか調子がよければ朝まで寝てくれるが、母乳だと飲み足りないのか何度も泣き声に起こされた記憶がある。寝たまま授乳をすると寝込んだときに赤ちゃんを押しつぶしてしまうので、必ず起きて授乳するようにと、本にも書いてあったので赤ちゃんを抱えて半分眠りながら台所の椅子に座った。生暖かいおっぱいの匂いが自分のものか赤子のものかわからなくなるほど朝も夜も授乳に明け暮れる日々がどのくらい続いたことか。よちよち歩きの子供を見るたびに、あんなに大きく育って羨ましいとため息をついたものだ。そんな日々もたちまち過去のものとなり、掲句を見てすっかり忘れていた日々を思い出した。おっぱいの甘酸っぱい匂いに包まれる椅子には春の光が似つかわしい。一人で座る腕にもう赤ん坊はいないけれど、遠く過ぎ去った日々を椅子はいつまでも記憶している。『宇宙の旅』(2008)所収。(三宅やよい)


March 0432009

 人形も腹話術師も春の風邪

                           和田 誠

どもの頃、ドサまわりの演芸団のなかにはたいてい腹話術も入っていて、奇妙といえば奇妙なあの芸を楽しませ笑わせてくれた。すこし生意気な年齢になると、抱っこされて目をクリクリ、口パクパクの人形の顔もさることながら、腹話術師の口元のほうに目線を奪われがちだった。なんだ、唇がけっこう動いているじゃないか、ヘタクソ!とシラケたりしていた。腹話術師は風邪を引いたからといって、舞台でマスクをするわけにはいかないから、人形にも風邪はうつってしまうかもしれない。絶対にうつるにちがいない、と考えると愉快になる。――そんな妄想を、否応なくかきたててくれるこの句がうれしい。冬場の風邪ではなく、「春の風邪」だからそれほど深刻ではないし、どこかしらちょいと色気さえ感じられる。そのくせ春の風邪は治りにくい。舞台の両者はきっと明かるくて軽快な会話を楽しんでいるにちがいない。ヨーロッパで人形を使った腹話術が登場したのは、18世紀なかばとされる。イラストだけでなく、しゃれた映画や、本職に負けない詩や俳句もこなすマルチ人間の和田さん。通常言われる「真っ赤な嘘」に対し、他愛もない嘘=「白い嘘」を句集名にしたとのこと。ことばが好きであることを、「これは嘘ではありません」と後記でしゃれてみせる。ほかに「へのへのと横目で睨む案山子かな」という句も楽しい。虚子の句に「病にも色あらば黄や春の風邪」がある。『白い嘘』(2002)所収。(八木忠栄)




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