東京大空襲の日。焼け爛れた空の色を覚えている。毎夜防空壕で寝ていた。(哲




2009ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032009

 駅の灯の遠く三月十日かな

                           中田尚子

灯に照らされるプラットホームに立ち、ホームに入る電車に乗り込むという行為はごく日常にありながら、駅の灯を思うときには、なぜかいつもはるかかなたに存在するように思う。悪夢には、追いかけられるものと、追いかけても決して近づけないものがあるのだそうだが、遠い灯は後者の代表的なものだろう。昭和20年3月10日、東京大空襲。作者は昭和30年代の生まれであるから、実際の戦争体験はないがしかし、戦争の記憶は、語り継がれることで後世の身に刻まれていく。悪夢を例にあげるまでもないが、掲句の「遠く」は単に距離や過ぎた年月だけをいうものではないだろう。か細くまたたく駅の灯は、さまざまな人々の戦争のおそろしい体験が、時代を超えてそれぞれの胸に灯されたものだ。10万人を超える人々をこの世からぬぐい去った東京大空襲で、堅川に暮らしていた父も、両親と姉二人を亡くした。会うことの叶わなかったわたしの家族であった人たち。うららかな日和であればあるほど、遠い日が切なく、恨めしい。「百鳥俳句選集第2集」(2009)所載。(土肥あき子)


March 0932009

 沈丁花が一株あり日本社会党に与す

                           中塚一碧楼

戦翌年(1946)春の作句だ。沈丁花が一株、庭にある。花は地味だけれど、芳香は強い。この植物におのれを託した気持ちは、地味な国民のひとりとして「小なりといえども」の気概からだろう。未曽有の混乱期、作者に限らず国民の政治にかける期待は大きかった。一碧楼は同時に「小母さん自由党をいふ春のうすい日ざし地に照る」「浅蜊そのほかの貝持参共産党支持のこの友」とも詠んでいる。この年四月に戦後初の総選挙が行われることになっていたので、寄ると触ると選挙の話題が出たことをうかがわせる。前年12月の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。女性参政権がはじめて認められたこともあり、立候補者はなんと2770人。いかにみんなが熱くなっていたかが推察できるだろう。結果はしかし、鳩山一郎率いる自由党が第一党と保守色が強く、作者の与(くみ)した日本社会党は進歩党についでの第三党に終わった。戦前からの知名度が物を言ったということか。ちなみに女性当選者は39人の多きを数え、そのひとりで後に白亜の恋で話題を呼ぶことになる若干27歳の松谷天光光の所属政党は「餓死防衛同盟」というものであり、当時の厳しい世相を反映している。作者はこの年の末に60歳で永眠。翌年の新憲法下ではじめて行われた選挙で片山哲の日本社会党が第一党になったことは、知る由もなかった。『日本の詩歌・俳句集』(1970・中央公論社)所載。(清水哲男)


March 0832009

 湯屋まではぬれて行きけり春の雪

                           小西来山

の気持ち、実にそうだなと、思うのです。これから歩いて行く先は、間違いなく全身をあたたかく濡らしてくれる場所なのだから、そこまでの道のりで、多少ぬれてしまってもかまわないわけです。というよりもむしろ、身体を冷やしておいたほうがさらにお湯の気持ちよさは増すに違いなく、まちがっても無粋な傘などをさす気にはならなかったのでしょう。また、手ぬぐいや風呂桶などを手に持った上で、さらに傘を差すことは、歩くのに不自由でもあり、これくらいの雪ならば、体の上に好きに降らせたまま気分よく歩いてゆきたいと思う気持ちもわかります。時間は夜ではなく、まだ日のあるうち、道の両側に広がる風景や、雪を降らせている雲をでも、ゆったりと眺めながら歩いているようです。日ごろの鬱屈はひとまず忘れることにして、頭の中ではすでに服をすべて脱ぎ去り、やわらかな湯気の立ったお湯の表面に、つま先を差し入れているところなのかもしれません。句のはじめから最後まで、なんとも気持ちのよい出来上がりになっています。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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