自分の振る舞いに、ときどき「年寄りみたいだ」と苦笑する。年寄りなのに。(哲




2009ソスN3ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1232009

 青空の暗きところが雲雀の血

                           高野ムツオ

野公彦の短歌に「ふかぶかとあげひばり容れ淡青(たんじやう)の空は暗きまで光の器」という一首がある。「雲雀」「青空」「暗い」というキーワードとまばゆいばかりの明るさと暗さが交錯する構成は共通しているが、表現されている世界は違う。高野公彦の短歌は一羽の雲雀から空全体へ視界が広がってゆくのに対しムツオの俳句は空から雲雀の血へと焦点が絞り込まれてゆく。公彦の世界では暗いのは光の器になるまで輝いている青空全体であり、淡青の空の裏側に暗黒の宇宙を透視している。それに対して掲句の場合暗いのは「雲雀の血」であり、空に舞う雲雀が一点の染みとして捉えられている。地上の巣を見守るため空に揚がり続ける雲雀の習性に宿命を感じているのだろうか。青空の雲雀は俳句ではのどかな情景として描かれることが多いが、この句ではそうした雲雀を見る眼差しが自分を見つめる内省的な目と重なってゆくようである。『現代俳句一〇〇人二〇句』(2001)所載。(三宅やよい)


March 1132009

 春の雪誰かに電話したくなり

                           桂 米朝

球温暖化のせいで、雪国だというのに雪が少なくてスキー場が困ったりしている。春を思わせる暖かい日があるかと思えば、一晩に一挙に30センチ以上も降ったりすることが、近年珍しくない。私の記憶では、東京では冬よりもむしろ三月に雪が降ることが少なくなかった。季節はずれに雪が降ったりすると、なぜかしら親しい友人につい電話して、雪のことにとどまらず、あれこれの近況を語り合ったりしたくなる。電話口で身を縮めながらも、「今ごろになってよう降るやないか。昼席がハネたら雪見酒としゃれようか」とでも話しているのかもしれない。もっとも雪国でないかぎり、昼席がハネる頃には雪はすっかりあがっているかもしれない。雪は口実、お目当ては酒。春の雪は悪くはない。顔をしかめる人は少ないだろう。むしろ人恋しい気持ちにさせ、ご機嫌を伺いたいような気持ちにさせてくれるところがある。米朝は八十八の俳号で、東京やなぎ句会の一員。言うまでもなく、上方落語の第一人者で人間国宝。息子の小米朝が、昨年10月に五代目桂米団治を襲名した。四代目は米朝の師匠だった。米朝が俳句に興味をもったのは小学生の時からで、のち蕪村や一茶を読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」を読んだという勉強家。「咳一つしても明治の人であり」「少しづつ場所移りゆく猫の恋」などがある。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


March 1032009

 駅の灯の遠く三月十日かな

                           中田尚子

灯に照らされるプラットホームに立ち、ホームに入る電車に乗り込むという行為はごく日常にありながら、駅の灯を思うときには、なぜかいつもはるかかなたに存在するように思う。悪夢には、追いかけられるものと、追いかけても決して近づけないものがあるのだそうだが、遠い灯は後者の代表的なものだろう。昭和20年3月10日、東京大空襲。作者は昭和30年代の生まれであるから、実際の戦争体験はないがしかし、戦争の記憶は、語り継がれることで後世の身に刻まれていく。悪夢を例にあげるまでもないが、掲句の「遠く」は単に距離や過ぎた年月だけをいうものではないだろう。か細くまたたく駅の灯は、さまざまな人々の戦争のおそろしい体験が、時代を超えてそれぞれの胸に灯されたものだ。10万人を超える人々をこの世からぬぐい去った東京大空襲で、堅川に暮らしていた父も、両親と姉二人を亡くした。会うことの叶わなかったわたしの家族であった人たち。うららかな日和であればあるほど、遠い日が切なく、恨めしい。「百鳥俳句選集第2集」(2009)所載。(土肥あき子)




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