必死のバッチで(笑)確定申告書作成。収入は少ないが項目数は金持ちと同じ。(哲




2009ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1432009

 猫の恋太古のまゝの月夜かな

                           宇野 靖

こ一、二年、一階に住む妹の家に毎日猫がやってくるようになった。野良もいれば、首輪をした飼い猫もいて、ふらりとやって来ては、餌を食べていなくなる。幸い「野良猫に餌をやっては困ります」という話がご近所から出ることもなく、猫の方もこの界隈を渡り歩いてゆるゆる過ごしているようだ。でも、そのわりには特にここ数年、春になっても夜は静かな気がする、恋してるのか、猫。ともあれ、月を仰ぐ時、海を見る時、山頂からさらに遙かな山々を見渡す時、太古の昔から変わらない風景なのだという感慨と共に、自らのヒトとしての本能を呼びさまされるような気がする。作者も、そんな気持ちになったのだろうか。ざわざわと内なるものの波立つ春の夜。掲出句は、「ホトトギス雑詠選集 春の部」(1989・朝日新聞社)にあり、昭和十二年に掲載されたもの。昭和十二年といえば、河東碧梧桐が亡くなった年だな、ということを、以前どこかで観た、碧梧桐の猫の絵のくっきりした墨の色と共に思い出した。(今井肖子)


March 1332009

 蝶帰り来ず運河を越ゆる太きパイプ

                           久保田月鈴子

鈴子は鈴虫のこと。げつれいしと読む。旧制静岡高校で中曽根康弘と同窓。東大卒業後、国策による合併企業帝国石油に勤務。企業幹部とならず労組の中央副委員長や新産別の副執行委員長として一貫して労働者の側に立った。俳句は「寒雷」創刊以来加藤楸邨に師事。森澄雄、平井照敏のあと編集長を務める。平成四年、享年七六の月鈴子さんの葬儀に、僕は車に楸邨を乗せ参列した。楸邨はすでに支えなければ歩めぬほどに弱っていたが、遺影の前に立って弔辞を述べた。弔辞の中で楸邨は、氏の組合活動への情熱をまず回顧して称えた。帰って来ない蝶は底辺労働者の誰彼。彼らの闘争の歴史の上に太いパイプが築かれる。自分と同時代の人間と社会の関わりを詠んだ俳人は多いが、「社会性」を単なる「流行」として齧り、たちまち俳句的情緒へと「老成」していった「賢い」俳人もまた多い。月鈴子さんは本物だった。『月鈴児』(1977)所収。(今井 聖)


March 1232009

 青空の暗きところが雲雀の血

                           高野ムツオ

野公彦の短歌に「ふかぶかとあげひばり容れ淡青(たんじやう)の空は暗きまで光の器」という一首がある。「雲雀」「青空」「暗い」というキーワードとまばゆいばかりの明るさと暗さが交錯する構成は共通しているが、表現されている世界は違う。高野公彦の短歌は一羽の雲雀から空全体へ視界が広がってゆくのに対しムツオの俳句は空から雲雀の血へと焦点が絞り込まれてゆく。公彦の世界では暗いのは光の器になるまで輝いている青空全体であり、淡青の空の裏側に暗黒の宇宙を透視している。それに対して掲句の場合暗いのは「雲雀の血」であり、空に舞う雲雀が一点の染みとして捉えられている。地上の巣を見守るため空に揚がり続ける雲雀の習性に宿命を感じているのだろうか。青空の雲雀は俳句ではのどかな情景として描かれることが多いが、この句ではそうした雲雀を見る眼差しが自分を見つめる内省的な目と重なってゆくようである。『現代俳句一〇〇人二〇句』(2001)所載。(三宅やよい)




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