草森紳一一周忌の今日隅田川に散骨の由。参列できないが黙祷を以て見送ろう。(哲




2009ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932009

 人ごみに蝶の生るる彼岸かな

                           永田耕衣

語で彼岸といえば春の彼岸をさすらしい。春の茫洋とした空気の中でこっちとあっちの世界はぐぐっと近くなるのだろう。掲句は耕衣が二十歳の頃「ホトトギス」に投句した作品だそうだ。処女作には作家の全てが含まれる。と言われるが初期のこの句にその後の耕衣の行き方が示されている。春のうららかな日を浴びて人ごみに生まれる蝶は、死者の生まれ変わりとも歩いている一人が変化した姿とも受けとめられる。夏石番矢の『現代俳句キーワード』によると「蝶はどうやら霊的存在の一時的に宿る移動手段と考えていたらしい。西洋では蝶に死者の霊魂を見ていた。」とある。そう思えば彼岸に蝶が生まれる場所に最も俗な「人ごみ」を想定することで、いま在ることがあの世に繋がってゆく生と死の連続性が感じられる。その点から言えばどことなく不思議な光を放つこの句を耕衣後期の作品に混ぜても違和感はないように思う。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)


March 1832009

 牛のせて舟泛びけり春の水

                           徳田秋声

書に「潮来」とある。潮来(いたこ)の川舟には一度だけ乗ったことがある。もちろん今や観光が主で、日焼けした陽気なおじさんや、愛想のいい若づくりしたおばさんが器用に竿をあやつってくれる。川べりに咲くあやめをはじめとする花や風景を眺めながらの観光は、まちがいなくゆったりした時間にしばし浸らせてくれる。けっこう楽しめる。もっとも、あやめの時季は五月末頃から六月にかけてだから、掲出句で牛を乗せて泛(うか)んでいる舟は、まだあやめの時季ではない。仕事として牛を運んでいるのである。潮来のあたり、観光エリアのまわりには広大な田園地帯が広がっている。春田を耕ちに向かう牛だろうか、買われてきた牛だろうか。いずれにせよ、ぬかる田んぼでこき使われる運命にある。しかし、今はのんびりと広がる田園の風景しか見えていない。竿さばきも悠揚として、舟の上で立ったままの牛も今のところ、のんびり「モォーー」とでも鳴いているにちがいない。春の水も温くなり、ゆったりとして流れるともなく流れている。一幅の水墨画を前にしているようで、こちらも思わずあくびが出そうになる。秋声は師の尾崎紅葉が俳句に熱心だったこともあって、多くの俳句を残している。「花の雨終にはさむる恋ながら」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 1732009

 そこまでが少し先まで蝶の昼

                           深見けん二

課のように家から200mくらい先のポストまでの道を、季節や天気によって最短距離を選んだり、寄り道したりして歩く。このところのあたたかな陽気では、思わぬ時間を取ってしまい、たかだか投函というだけで小一時間ほどが過ぎている。道草の語源は馬が道ばたの草を食べてなかなか先に進めないということからきているという。そうか、だから「道草を食う」というんだ…、などと、とりとめもなく思いめぐらせることさえのどかな春の午後である。掲句は「蝶の昼」という華やかな季題によって、舞い遊ぶ蝶に「そこまで」の用事を一歩もう一歩と誘導されているようだ。しかし、浦島太郎よろしく「ああ、こんなところまで」と詠嘆の大時代的なもの言いでないところが、現実の静かな実感である。しかし「少し先」には、いつもの「そこまで」とはわずかに違う、ささやかな甘い余韻が漂う。隣りに並ぶ〈蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ〉では、掲句よりさらに先まで、めくるめく感覚に歩を進める。次元の裂け目に移ろうように、ひらひらと心もとなく舞う蝶を寄り代にして、現実をまぼろしのように見せ、危うく美しい無限世界を描いている。『蝶に会ふ』(2009)所収。(土肥あき子)




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