雎雁次貂譏弱ョ句

March 2532009

 全身を春いっぱいにする涙

                           豊原清明

東地方でもようやく桜がほころびはじめた。春はなにも桜とかぎったわけではないけれど、やはり桜が咲くことによって、私たちのからだのなかにも春は機嫌よく広がってゆく。「全身を春いっぱいにする」のは、春の真新しい涙に映っているチューリップであり、辛夷であり、桜であり、青空に浮かぶちぎれ雲かもしれない。それらは春があちらこちらにあふれさせ、こぼした「涙」とも言えるのではないか。「涙」をもってきたところに、作者の清新なポエジーが感じられる。幸せいっぱいの涙、悲しみをこらえきれない涙、理由もなくセンチメンタルになってしまう涙・・・・全身になぜか涙が広がり、春が広がってゆくうれしさ。きれいな季節を奏でているかのような春の涙。春こそいろいろな意味での「涙」があふれる季節、と言っていいかもしれない。その涙は目からあふれるにちがいない。それ以前に全身これ春というふうに涙がいっぱい詰まっている、そのように大胆にとらえているところに、この詩人独自のポエジーの躍動が鮮やかに感じられる。春と涙の関係に鋭く着目したわけである。清明は処女詩集『夜の人工の木』で第一回中原中也賞を受賞した(1996)。「朝日新聞」俳壇では金子兜太選で現在も頻繁に入選していて、私は以前から注目している。清明は「ここ数年、真面目な俳句を『海程』に投句しています」と書いている。「火曜」97号(2009)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます