肌寒い日のつづく江戸の春。ソメイヨシノの開花も足踏み状態です。(哲




2009ソスN3ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2832009

 不可能を辞書に加へて卒業す

                           佐藤郁良

業シーズンが終わり、三月が終わる。このところの寒の戻りで、東京の桜の見頃も予想より遅れそうだが、温暖化の影響で満開にならない桜もあるらしいと聞くと、いろいろなものが少しずつひずんできているのだと改めて。それでも、最近の中高生に教えるのは大変でしょう、と聞かれると、まあそう変わりません、というのが正直なところだ。今も昔も、中学から高校にかけての年頃は、本人もまわりも大変といえば大変だし、その成長ぶりは常に想像を超えてめざましい。この句の卒業は高校である。不可能が辞書に加わった理由は、大学入試の失敗か失恋かそれとも。どう読むかで、思い描かれる十八歳の人間像がだいぶ違うのも面白い。いずれにしろ、お互いの人生の一時期を共有できたことに感謝しつつ、彼等の未知の可能性を信じて送り出す教師のまなざしがある。〈卒業や証書の中に光る沖〉『海図』(2007)所収。(今井肖子)


March 2732009

 春濡れの雉子鳩の翅役者の子

                           栗林千津

子鳩の見える風景から、旅役者の子を思う。旅役者子といえば「伊豆の踊り子」。百恵ちゃんの「かおる」も良かったが、何といっても吉永小百合だ。映画の最後の場面で、一高生川島と別れたあと、酔客たちに囃されながら奴さんの振りで踊っている小百合ちゃんの可憐さが強烈に心に残った。映画化されたものの中だけでも、この二人のほかに、田中絹代、美空ひばり、内藤洋子、鰐淵晴子。どの「かおる」もその時代のニキビ面の青年の胸を揺さぶったに違いない。この句の作者は現実的な空間の中でのドラマ仕立てを意図する傾向にはない。「春濡れ」という伝統派にはない季語の用い方や、鳥なのに「羽」を用いず「翅」というところにその特徴が出ている。違和感や屈折感をも利用して言葉が内面を象徴するように願う方法。そう理解していても読者の側からあえてドラマに引き込んで鑑賞したくなる俳句もある。『蝶や蜂や』(1990)所収。(今井 聖)


March 2632009

 琴光喜おしりが勝つと言うて春

                           中谷仁美

のむかし相撲に熱中していた時期がある。毎日毎日中入り前から見ていたのであらかたの力士の名前を覚えていたが、この頃はめっきり見る機会が減り、番付に知らない名前が増えた。覚えているところでは太い腕で豪快に投げを打つ魁皇、朝青龍は相手をにらみ返す流星のような目が印象的だ。琴光喜は作者が贔屓にしている力士。しこを踏む姿、立合いの仕切りの姿に回しをぎゅっと締めこんだお尻がチャームポイントなのだろう。大事な取り組みの勝利を願って作者は正坐でテレビを見守っているのかもしれない。「この一番、勝って!」という熱い思いに画面の中の琴光喜のお尻が「勝つ」と答えているようだ。この勝負「琴光喜寄り切りだろう春の雷」の句のように怒涛の攻めで琴光喜が勝っただろうか。今場所も残り少ないけど、怪我することなく頑張ってほしいものですね。『どすこい』(2008)所収。(三宅やよい)




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