ソスソスソス@ソスソスソスソスソスソス句

March 3132009

 春荒や水車は水を翼とし

                           菅 美緒

書のうえでは春の嵐と同義にされる「春荒(はるあれ)」だが、心情的には「嵐」とひとくくりにされるより、もっと春の持つ爆発的なエネルギーを感じさせる独特な荒々しさを持っているように思う。掲句では、激しい風にあおられながら、水車のこぼす水がまるで白い翼を持つ生きもののようだという。村上春樹の小説『納屋を焼く』(新潮文庫)に「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がする」という印象的な文章があった。そこにはあらゆる種類の暗闇が立ちこめていたが、掲句では水車が能動的に羽ばたくことを選び、大空へ飛ぶチャンスをうかがっているように見える。それは人をやすやすと近づけることを許さない「春荒」という季題が、水車に雄々しい自由と自尊心を与えているのだろう。〈子のごとく母を洗へり春の暮〉〈交みゐて蛙しづかに四つの目〉『洛北』(2009)所収。(土肥あき子)


May 1752016

 立つ岩も寝そべる岩も緑雨かな

                           菅 美緒

雨とは新緑の季節に降る雨のこと。葉に乗る雨粒は緑を宿し、万象は生命の輝きに包まれる。掲句の立つ岩はそびえ立つ岩を思わせるが、もうひとつ寝そべる岩があることで地上の表情がぐっと和らぐ。いかめしいばかりと映っていた岩も、実は思い思い好き勝手なかたちで大地に遊んでいるのだ。同じ雨を浴びればあの岩もこの岩もあの山もこの川も、地上に暮らす仲間のように思えてくる。〈途中より滝をはみ出す水の玉〉〈今年竹黄泉より水を吸ひ上げて〉『左京』(2016)所収。(土肥あき子)




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