April 262009
うらやまし思ひ切る時猫の恋
越智越人
残念ながらわたしは猫を飼ったことがないので、猫の恋なるものが具体的にどのようなものなのかを知りません。ただ、この句を読む限りは、ずいぶんあっさりしたものなのかなと、想像はできます。句の意味するところは単純です。猫のように、わたしもこの恋をすっぱりとあきらめたいものだ、それが出来ないからこんなに胸のうちが苦しい、苦しくて仕方がない、ああ、猫のように簡単に、あの人をあきらめることができないものか、と、そんな意味なのでしょう。ただ、言うまでもなく「猫の恋」の「恋」という言葉の使い方が、人の「恋」とはもともと意味が違うわけで、猫は夜毎枕を濡らして特定の人を思い悩んだり、メールを送って当たりをつけたり、面倒なかけひきをしたりはしません。生殖の欲求と、恋とが、無縁であるとまでは言わないまでも、やはり心情的には両者の間にはかなりの隔たりがあるわけです。それをひとつの言葉で意図的に表してしまうから、このような句が出来上がってくるわけです。とはいうものの、句全体がやけにやるせない雰囲気を漂わせているのは、だれしもこんな思いに、一度は苦しんだことがあるからなのでしょう。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)
December 042011
初雪を見てから顔を洗ひけり
越智越人
横浜とか東京とか、関東平野に長く住んでいると、初雪というものに対する感慨はそれほどありません。朝のニュースで、「昨日は東京にも初雪が降りました」と聴いても、ああそうかと思うだけです。というのも、目を細めなければ見えないほどのかすかな降雪が、短時間あるだけだからです。でも、積雪を経験する地域の人にとっては、「初雪」というのは特別な意味を持っているのでしょう。雪の中の生活への、境目としての重要な意味があるわけです。江戸期の俳人越山が見た初雪はどちらだったのでしょう。今の生活と違って、窓のない部屋の中で洗面を済ましたのではなく、外にむき出しの縁側を通り、顔を洗ったのではないでしょうか。季節の境目としての重い「初雪」を、日常の動作の中で軽くむかえる事。そのギャップの面白さをこの句から、読み取れるのではないでしょうか。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)
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