16連休の人は何をしているのかなあ。我が社は暦通りにつき今日明日出社。(哲




2009ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3042009

 風ぐるま昭和の赤いセルロイド

                           高橋 龍

はもうめったに見かけないが、昭和30年生まれの私にとってセルロイドは身近なものだった。色はきれいだけど表面は弱くて、強くぶつけるとぺこんと内側にへこんでもとに戻らなかった。人形、筆箱、ああそう言えば、くるくる回る風車の羽根もセルロイドだった。昭和と言っても幅が広くて思い出も様々だろうけど、およそ半世紀前の暮らしの記憶は暗く湿っていて、あまり戻りたくはない。それでも掲句を読んで小さいとき風車に持っていた感情を懐かしく思い出した。色とりどりの風車は賑やかなお祭りに結びついていて心が弾む。セルロイドのお面も風車も憧れだったけど、握りしめた50円を使うのが惜しくて買わなかった。派手な色の少なかった時代に鮮やかな赤は特別の色。過ぎ去った日への郷愁を誘いつつ風車は回り続ける。セルロイドは燃えやすいという欠点があるため今はほとんど作られていないと聞くが、平成の風車は何で作られているのだろうか。「龍年纂・第七」(2009/04/15発行)所載。(三宅やよい)


April 2942009

 春徂くやまごつく旅の五六日

                           吉川英治

五の「春徂(ゆ)くや」は「春行くや」の意。「行く春」とともによく使われる季語で春の終わり。もう夏が近い。季節の変わり目だから、天候は不順でまだ安定していない。取材旅行の旅先であろうか。おそらくよく知らない土地だから、土地については詳しくない。それに加えて天候が不順ゆえに、いろいろとまごついてしまうことが多いのだろう。しかも一日や二日の旅ではないし、かといって長期滞在というわけでもないから、どこかしら中途半端である。主語が誰であるにせよ、ずばり「まごつく」という一語が効いている。同情したいところだが、滑稽な味わいも残していて、思わずほくそ笑んでしまう一句である。英治は取材のおりの旅行記などに俳句を書き残していた。「夏隣り古き三里の灸のあと」という句も、旅先での無聊の一句かと思われる。芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」はともかく、室生犀星の「行春や版木にのこる手毬唄」もよく知られた秀句である。英治といえば、無名時代(大正年間)に新作落語を七作書いていたことが、最近ニュースになった。そのうちの「弘法の灸」という噺が、十日ほど前に噺家によって初めて上演された。ぜひ聴いてみたいものである。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2842009

 朧夜の切株は木を恋うてをり

                           百瀬七生子

い輪郭の春の月と、鮮やかに輝く秋の月。どちらもそれぞれ美しく、古来より人々に愛されてきたものだが、理屈をいえばその差は空気中の湿度が影響している気象現象である。しかし朧夜が持つ格別な風情には、明るくもなく、暗くもなく、曖昧という音感に漂う月のありようが、大気を一層潤ませているように思う。まろやかな月光がしっとりしみ込む春の夜。年輪をあらわに夜気にさらした切株が、ありし日の思い出に身をゆだねている。大樹だった頃の一本の幹の輪郭をうっとりと懐かしみ、千枚の若葉の繁りを狂おしく宙に描く。太陽の光をやさしく漉してから注ぐ乳白色の月の光に、春の大気が加わると、痛みを持つものに声を与えてしまうのかもしれない。朧夜にそっと耳を澄ませば、木の言葉や、石のつぶやきに地上は満たされていることだろう。〈胴ながく兎抱かるる山桜〉〈仏にも木の香のむかし朴の花〉『海光』(2009)所収。(土肥あき子)




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