母の日「遅レテゴメンネ」プレゼントなる商品。予約受付とは、これいかに。(哲




2009ソスN5ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0952009

 言葉にて受けし傷膿む薔薇の苑

                           寺井谷子

が、いただいた鉢植えの薔薇を、ほんの1平方メートルほどの玄関先の植え込みに移したのが一昨年。水やり以外特に手入れもしていないというが、ずっと咲き続けている。花弁は緑がかった淡黄色、中心はほのと薄紅色を巻きこんでいるが、開くと緑が勝つ。小ぶりで、雨が降ると少し香り、どこかそっけない不思議な野性味を感じさせる薔薇だ。今年もいよいよ盛りとなってきたそんな薔薇を、朝な夕な見つつ掲出句に出会った。苑に咲くこの句の薔薇は、圧倒的な深紅だろう。果実のような色と香りに、思いがけずよみがえる痛み。突き刺さった言葉の棘をそっとぬいて傷口をなめて、深く閉じ込めてしまったはずの痛みだ。上手に忘れたはずなのに、思いがけないきっかけで、ありありとよみがえる記憶にやりきれない心持ちになることがある。忘れることは、生きていくためにもっとも必要な能力のひとつだけれど、記憶をコントロールすることは難しい。傷は治ったわけじゃない、深いところで膿んでいるのだ、と言葉にする強さを持つ作者の、大輪の薔薇のように凛とした姿が思われる。『笑窪』(1986)所収。(今井肖子)


May 0852009

 白粉を鼻に忽ち祭の子

                           深見けん二

正な句。品格といってもいい。気品のようなものの出処をあれこれと思うのだが、表現内容はさることながら、切れにその要因があるように思った。「白粉を鼻に」でちょっと切れる。一拍短く置いて、「忽ち」に繋がる。意味からいってそこで切れるが、「写生」の被写体の動きとも時間的に並行してゆく。ぱたぱたと白粉を鼻に塗られ、一拍あって、さあ、祭の子の出来上がりである。祭の子の装いや化粧などを詠んだ句は山ほどあるけれど、この切れが文体のオリジナルを強調し、そこに品格が生じる。繊細丁寧で欲を見せない自然体。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


May 0752009

 夏野原ねこのしっぽはまっすぐに

                           わたなべじゅんこ

こまでも広がる夏野の真ん中をぴんとしっぽを立てて歩いてゆく猫。単純な構図がたっぷりとした空間を想像させて気持ちがいい。亜熱帯が原産の猫にこれから訪れる夏は似合いの季節かもしれない。この頃は野良犬を見かけないが、路地裏に、家々の隙間に野良ネコたちはあいかわらず自由に元気だ。猫も犬もしっぽに表情があって、元気がない時はだらりと垂れ下がって、見るからに情けない。尾っぽの先が曲がっていたり、丸まって短いのもいるけど、猫の感情表現にしっぽは欠かせない。身近にいる犬を見ているとしっぽを立てているのは自信たっぷりに他の犬に近づいたり、喜びいさんで散歩に出かけるときのように思うが猫はどうなのだろう。掲句の猫は夏野をわたって自分の家に帰るところなのか、それともどこか遠くに自分の居場所を見つけにいくのか。ぴんと立てたしっぽの気持ちを想像してみるのも楽しい『seventh_heaven@』(2008)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます