崇句

May 1952009

 蝉の羽化はじまつてゐる月夜かな

                           大野崇文

は満ち欠けする様子や、はっきりと浮きあがる模様などから、古今東西神秘的なものとして見られている。また、タクシードライバーが持つ安全手帳には、満月の夜に注意することとして「不慮の事故」「怪我」「お産」と書かれていると聞いたことがある。生きものの大半が水分でできていることなどを考えると、月の引力による満潮や干潮の関係などにも思い当たり、あながち迷信妄信と切り捨てられないようにも思う。蝉が何年もの間、長く暮らした土中から、必ず真夜中に地上に出て、夜明けまでに羽化するのは、月からの「いざ出でよ」のメッセージを受けているのではないのか。地中から出た蝉の背を月光がやわらかに割り、新しい朝日が薄い羽に芯を入れる。今年のサインを今か今かと待つ蝉たちが、地中でそっと耳を澄ましているのかと思わず足元を見つめている。〈ラムネ玉こつんと月日還りけり〉〈蟻穴を出づる大地に足を掛け〉『夕月抄』(2008)所収。(土肥あき子)


October 24102015

 わが影と酌みゐる雨の十三夜

                           大野崇文

初めの帰り道、空を見上げると薄い月がひらりと浮いていた。日が落ちるとぐっと冷え込むこのところだがそう言えば明日は十三夜、南中時刻は午後十時少し前だという。十三夜はそれだけで風情があり、雨の十三夜となればいっそうもの淋しいはずだが、掲出句を読むと淋しさというより、ゆっくりと一人酒を酌みながら深まる秋の夜を楽しむ作者が見えてくる。雨の向こう側の少し欠けた月に自分自身の姿を重ねたりもしながら、そこには優しい時間が流れている。他に〈塗椀の手にひたと添ひ後の月〉〈   しづかなる水のこころに後の月〉。「月が遊んでくれているような思いもある」(句集あとがきより)という作者の月への思いは静かで、深い。『遊月抄』(2008)所収。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます