気になるけど、だからってどうにもならぬインフルエンザ。さあ、交流戦だ。(哲




2009ソスN5ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1952009

 蝉の羽化はじまつてゐる月夜かな

                           大野崇文

は満ち欠けする様子や、はっきりと浮きあがる模様などから、古今東西神秘的なものとして見られている。また、タクシードライバーが持つ安全手帳には、満月の夜に注意することとして「不慮の事故」「怪我」「お産」と書かれていると聞いたことがある。生きものの大半が水分でできていることなどを考えると、月の引力による満潮や干潮の関係などにも思い当たり、あながち迷信妄信と切り捨てられないようにも思う。蝉が何年もの間、長く暮らした土中から、必ず真夜中に地上に出て、夜明けまでに羽化するのは、月からの「いざ出でよ」のメッセージを受けているのではないのか。地中から出た蝉の背を月光がやわらかに割り、新しい朝日が薄い羽に芯を入れる。今年のサインを今か今かと待つ蝉たちが、地中でそっと耳を澄ましているのかと思わず足元を見つめている。〈ラムネ玉こつんと月日還りけり〉〈蟻穴を出づる大地に足を掛け〉『夕月抄』(2008)所収。(土肥あき子)


May 1852009

 筍と若布のたいたん君待つ日

                           連 宏子

の命は「たいたん」という関西言葉だ。関東言葉に直せば「煮物」であるが、これではせっかくの料理の「味」が落ちてしまう(笑)。この句には、坪内稔典・永田和宏による『言葉のゆくえ』(2009・京都新聞出版センター)で出会った。出会った途端に、美味しそうだなと唾が湧いてきた。ただし関西訛りで読めない人には、お気の毒ながら、句の味がきちんとはわからないだろう。同書で、稔典氏は書いている。「女性がやわらかい口調で『たいたん』と発音すると、筍と若布のうまみが互いにとけあって、えもいえぬ香りまでがたちこめる感じ。『たいたん』は極上の関西言葉なのだ」。ついでに言っておけば、関東ではご飯以外にはあまり「炊く」を使わないが、関西では関東の「煮る」のように米以外の調理にも頻繁に使う。冬の季語である「大根焚(だいこたき)」は京都鳴滝の了徳寺の行事だから、やはり「煮」ではなく「焚(炊)」でなければならないわけだ。同じ作者で、もう一句。「初蝶や口にほり込む昔菓子」。これも「ほうり込む」では、情景的な味がでない。言葉の地方性とは、面白いものである。なお、掲句の季節は「筍」に代表してもらって夏季としておいた。『揺れる』(2003)所収。(清水哲男)


May 1752009

 大の字に寝て涼しさよ淋しさよ

                           小林一茶

茶の句はなぜこれほどわかりやすいのかと、あらためて思います。変な言い方ですが、どうもこれは普通のわかりやすさではなくて、異常なわかりやすさなのです。わかりやすさも極めれば、感動につながるようなのです。ずるいわかりやすさなのかもしれません。「淋しさよ」と、直接詠っています。いったい一茶はどれだけ淋しいといえば気がすむのかと、文句を付けたくなりますが、なぜか納得させられてしまうのです。体の部位や姿勢が、悲しみや淋しさに結びつくことは、だれでもが知っています。なぜなら悲しみや淋しさを感じるのは、ほかでもない自分の体だから。この句では姿勢(大の字)を涼しさに結び付けて、さらに付け加えるようにして淋しさに付けています。淋しいとき人はどうするだろう。むしろ身をかがめて膝を抱えるものではないのか、といったんは思いはするものの、いえそれほどに単純なものではなく、身を広げても、広がりの分だけの淋しさを、ちゃんと与えられてしまうようです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 小林一茶』』(1980・桜楓社)所収。(松下育男)




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