裁判員制度スタート。守秘義務はあれど、人の口に戸は立てられない。(哲




2009ソスN5ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2152009

 愛鳥の週に最たる駝鳥立つ

                           百合山羽公

鳥週間の休日、御岳山の茶店の餌台に向日葵の種をつつきに来た山雀を見かけた。オレンジ色の胸が可愛い。バードウィークと言えば山雀や四十雀のように可憐な野鳥を思い浮かべるが、その視線をすっとはずして、飛べない駝鳥を登場させたところがこの句の眼目だろう。駝鳥は大きい。駝鳥の卵も大きい。肉の味が牛肉に似ているとかで駝鳥を飼育する牧場も生まれたようだけど、お尻をふりふり駆けてゆくあのユーモラスな姿を思い浮かべると食べるのはちょっとかわいそうな気がする。熱帯の土地でこの鳥がどんな生活を営んでいるのかよく知らないが、厳しい日差しと他の動物から卵を守るのに、オス、メス交代でじっと座って卵を暖めるらしい。大きくてやさしい駝鳥が鳥の最たるものとして立ち、うるんだ瞳で人間たちを見返している。『百合山羽公集』(1977)所収。(三宅やよい)


May 2052009

 鶯のかたちに残るあおきな粉

                           柳家小三治

は「春告鳥」とか「花見鳥」とも呼ばれるように、季語としては通常は春である。けれども、東北や北海道では夏鳥とされ、「老鶯」の場合は晩春から夏にかけてとされるのだから、この時季にとりあげてもよかろう。鶯はきれいに啼く声や鮮やかな鶯色、つまり声と色彩に注目して詠われることが多い。俳句では「鶯」の一語に、すでに「啼いている鶯」の意味がこめられているから、「啼く鶯」とも「鶯啼く」とも詠む必要はない。小三治は、ここでは鶯の「かたち」から入って、青黄粉の「あお」に到っている。そこに注目した。餅か団子にまぶして食べた青黄粉が、皿の上にでもたまたま残った、そのかたちが鶯のかたちに似ていることにハッと気づいたのであろう。青豆を碾いた青黄粉の色は鶯色に近いし、そのかたちに可愛らしさが感じられたのであろう。黄粉も青黄粉も、今は和菓子屋でなければ、なかなかお目にかかれなくなった。この投句があった東京やなぎ句会の席に、ゲストで参加していた鷹羽狩行はこの句を“天”に選んだという。そして「すばらしい。歳時記を出す時には〈鶯餅〉の例句に入れたい」とまで絶賛したと、狩行は書いている。青黄粉といえば、落語に抹茶とまちがえて青黄粉と椋の皮を使ったことで爆笑を呼ぶ「茶の湯」という傑作がある。その噺が小三治の頭をちらりとかすめていたかも……。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


May 1952009

 蝉の羽化はじまつてゐる月夜かな

                           大野崇文

は満ち欠けする様子や、はっきりと浮きあがる模様などから、古今東西神秘的なものとして見られている。また、タクシードライバーが持つ安全手帳には、満月の夜に注意することとして「不慮の事故」「怪我」「お産」と書かれていると聞いたことがある。生きものの大半が水分でできていることなどを考えると、月の引力による満潮や干潮の関係などにも思い当たり、あながち迷信妄信と切り捨てられないようにも思う。蝉が何年もの間、長く暮らした土中から、必ず真夜中に地上に出て、夜明けまでに羽化するのは、月からの「いざ出でよ」のメッセージを受けているのではないのか。地中から出た蝉の背を月光がやわらかに割り、新しい朝日が薄い羽に芯を入れる。今年のサインを今か今かと待つ蝉たちが、地中でそっと耳を澄ましているのかと思わず足元を見つめている。〈ラムネ玉こつんと月日還りけり〉〈蟻穴を出づる大地に足を掛け〉『夕月抄』(2008)所収。(土肥あき子)




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