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June 1762009

 海月海月暗げに浮かぶ海の月

                           榎本バソン了壱

水浴シーズンの終わり頃になるとクラゲが発生して、日焼けした河童たちも海からあがる。先日(5月下旬)東京湾で、岸壁近くに浮かぶクラゲを二つほど見つけた。「海月」はクラゲで「水母」とも書く。ミズクラゲ、タコクラゲ、食用になるのがビゼンクラゲ。近年はエチゼンクラゲという、漁の妨害になる厄介者も大量発生する。掲出句は海水浴も終わりの時節、暗い波間に海月がいくつも浮かんで、まるで海面を漂う月を思わせるような光景である。実際の月が映っているというよりも、ふわふわ白く漂う海月を月と見なしている。解釈はむずかしくはないが、「海月(くらげ)」と「暗げ」は了壱得意のあそびであり、K音を四つ重ねたのもあそびごころ。「海の月」と「天の月」をならべる類想は他にもあるが、ここはまあそのあそびごころに、詠む側のこころも重ねて素直にふわふわと浮かべてみたい。了壱は「句風吹き根岸の糸瓜死期を知る」というあそびごころの句にも挑戦して、既成俳壇などは尻目に果敢に独自の「句風」を吹きあげつづけている。かつて、芭蕉の「夏草や兵共が夢の跡」を、得意のアナグラムで「腿(もも)が露サドの縄目の痕(あと)付くや」というケシカランあそびで、『おくのほそ道』の句に秘められた暗号の謎(?)をエロチックに解明してみせて、読者を驚き呆れさせた才人である。そう、俳句の詩嚢は大いにかきまわすべし。『春の画集』(2007)所収。(八木忠栄)


February 2422010

 大井川担がれて行く冬の棺

                           榎本バソン了壱

井川は静岡県中部から駿河湾に注ぐ、全長百六十八キロの川。その昔、架橋や渡船が禁じられていた川だから、人足が肩車や輦台(れんだい)で渡したことで知られる。担がれて渡るのは人ばかりではなく、棺だって担がれて渡ったであろう。冬の水を満々とたたえた、流れの速い大河を、棺がそろそろと慎重に担がれて行く。寒々とした冬である。命知らずの猛者たちが棺を担いで渡る様子が、大きなスケールと高いテンションを伴って見えて印象深い。掲出句は本年1月に刊行されたバソン了壱の第一句集『川を渡る』のなかの一句。東京から京都の大学へ通う新幹線が渡る百十一の川をネットで確認し、番外一句を加えて川を詠みこんだ百十二句の俳句を収めている。尋常ならざるアイディアと、尋常ならざる俳句の人である。しかも、全句を多様なスタイルの筆文字(左利き)で自ら書いたという、コンパクトでユニークな句集である。「小さな事件に悩み、喜んでいるささやかな自分を川という鏡に映して、反問している」、それが句集全般を支配している、と前書で本人は述懐している。掲出句よりもバソン了壱らしい句は、むしろ「秋刀魚焼く女の脂目黒川」とか「安藤川一二三アンドゥトロワ」などのほうにある、と言っていいかもしれない。ともかく、「冬の棺」が担がれ去って行くことで、いよいよ冬も去り春が近いことを暗示している。もう二月尽。『川を渡る』(2010)所収。(八木忠栄)


March 2332011

 うらなりの乳房も躍る春の泥

                           榎本バソン了壱

もとの辞書によると、「うらなり」は「末生り/末成り」と書いて、「瓜などの蔓の末に実がなること。また、その実。小振りで味も落ちる」とある。「うらなり」は人で言えば顔色がすぐれず元気のない人、という意味合いもあるが、この句では「乳房」を形容していると思われる。「小振りで味も落ちる乳房」という解釈こそ、バソン了壱好みの解釈と言えそうである。春の泥は、雪が溶ける春先のぬかるみだから、いよいよ春を迎えて心がはずみ、気持ちがわくわくと躍動する時季である。豊かな乳房が躍るのは当然過ぎるけれど、「うらなりの乳房」だって躍動せずにはいられないうれしい時季であり、そこに着目したところに春到来の歓びが大きく伝わってくる。じつは春泥をよけながら、やむを得ず跳びはねているのかもしれない。近年は道路の舗装が進み、よほどの田舎道でないかぎりぬかるみに遭遇する機会は少なくなった。ところで、春泥に躍っているのは何も乳房(女性)だけではない。男性だって躍る。――「春泥に子等のちんぽこならびけり」(川端茅舎)、ほほえましい春泥の図である。バソン了壱には他に「地平線幾度書き直し冬の旅」「この狭き隙間に溢るる臓器学」などがある。『少女器』(2011)所収。(八木忠栄)


May 0252012

 自由への道出口なし嘔吐蠅

                           榎本バソン了壱

れが俳句?――といぶかしく思われる御仁は多いだろうけれど、れっきとした俳句である。(俳人はこういう句は間違っても作らないだろう。)畏れ多くも、サルトルの著書のタイトルを列挙しただけだが、ちゃんと五・七・五の定形であり、夏の季語も入っている。句意も妙に辻褄が合っているし、下五「嘔吐蠅」は「オートバイ」の駄洒落。「ガリマール版人文書院フランス装実存主義への憧憬」と添え書きがあるが、私などの学生時代には、あの「人文書院フランス装」が大抵の書店には必ず並んでいた。「実存主義」に遅れはとらじと買いこんで貪り読んだ、青い日々が懐かしい。「私が影響を受けたフランスの文学、美術、映画、街区、生活、極めて個人的なさまざまな記憶を掘りおこして、俳句にしてみようと考えた」と後書にある。なるほど、ランボオ、ヴェルレーヌに始まって、ゴダールあり、オペラ座やエスカルゴを経て、クスクスまでと幅広い。48句は「AKB48への対抗である」と鼻息も荒い。ちなみにランボオを詠んだ句は「少年は地獄の季節駆け抜けり」。各句とも例によってユニークな筆文字で書き添えられていて楽しめるし、さらにひるたえみ嬢による仏訳もそれぞれに付されている。『佛句』(2012)所収。(八木忠栄)




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