acN句

June 2262009

 山椒魚あらゆる友を忘れたり

                           和田悟朗

椒魚と聞けば、井伏鱒二の短編を思い出す。近所の井の頭自然文化園別館に飼育されているので、たまに見に行くが、いつも井伏の作品を反芻させられてしまう。この国では、本物の山椒魚よりも、井伏作品中のそれのほうがポピュラーなのかもしれない。この句を読んだ時にも、当然のように思い出した。作者にしても、おそらく井伏作品が念頭にあっての詠みだろう。文学、恐るべし。谷川にできた岩屋を棲家としている山椒魚は、ある日突然、その岩屋の出口から外に出ることができなくなるほど大きくなってしまっていることに気づく。大きくなった頭が、岩屋の出口につっかえてしまうのである。孤独地獄のはじまりだ。そこでついには、岩屋の中に入り込んできた蛙を自分と同じ境遇にしてしまえと考えて、閉じ込めてしまう。彼らのその後の運命については、書かれていないのでわからない。しかし、たぶんその蛙は先に死んでしまい、その後の山椒魚は孤独の果てに、ついには世俗へのあらゆる関心を失って行く。ただ、ぼおっとしていて、ほとんど身じろぎすらもしない存在と化してしまう。そのことを「あらゆる友を忘れたり」と一言で表現した作者の想像力は深くて重い。なんという哀しい言葉だろうか。今度山椒魚を見る時には、私はきっとこの句を思い出すにちがいない。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 2892012

 ローマ軍近付くごとし星月夜

                           和田悟朗

白い比喩だなあ。そういう予感があって星空を見上げたというドラマの設定ではなくて星空そのものをローマ軍に喩えた句だ。この句の面白さはなぜ「ローマ軍」なのかの一点。星の数から連想される大軍のイメージ。ならば家康軍でも蒙古軍でも米軍でもソ連軍でもいいのだけれど作者にとってはローマ軍なのだ。歴史ドラマではローマ軍は悪役になることが多い。でもこの句には悪役が近づいてくる危機感なんかない。ギリシャ軍だと悲劇は演出できるけど星の数ほどの大軍のイメージはないし。そんな入れ替えが楽しめる句だ。『季語きらり100』(2012)所収。(今井 聖)




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