July 032009
長持のやうなものくる蟻の道
蝦名石蔵
楸邨は名所旧跡に案内されると、絶景を見ないで、よくしゃがんで野草や蟻などを見ていたらしい。その場所を歩いた故人や先達に向ける思いも、その地の霊や自然に対する挨拶も、そういう態度が俳句というものの性格の歴史的な成り立ちに関わるという理解は間違ってはいまいが、その名のもとに図式的、通俗的な「挨拶」になっては一個の作品として生きてこない。その地、その場、その瞬間に生きて息づいているもろもろと「私」との一回性の出会が刻印されるのが「挨拶」の本意であろう。いわゆる「蟻」というものではないその日その瞬間に見たただ一個の蟻を通して、作者は他の誰でもない「自分」というものを確認しているのである。『遠望』(2009)所収。(今井 聖)
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